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アレクサンドル・ベリャーエフ 作
「両棲人間」

Александр Беляев
Человек-Амфибия

2005.1.15
2020.06.05
2023.10 最終更新日

第二十二章 全速前進

クリストは、バルタザールに向かって言った。
「サルバトールは、明日帰ってくる。話したいことがたくさんあるが、ワシも熱を出して、しばらく来れなかったんだよ」
 二人はバルタザールの店で、座り込んで話していた。
「兄弟として、話さなきゃあならんことがある。途中で口を挟まず、よーく聞け。そうしたらワシも、忘れずに話せるってもんだからな」
 クリストは、考えをまとめるかのように黙り込み、そして続けた。
「ワシらは、ズリタのためにずいぶんと骨を折った。ヤツはワシらよりも金持ちだってのに、もっと金持ちになろうとしている。海の悪魔を捕まえて……、」
 バルタザールが話しかけようとした。
「黙って、黙って聞いてくれ。でないとワシは、どこから話していいのか、わからなくなっちまう。ズリタは海の悪魔を奴隷のように働かせるつもりだ。けれどお前だって知ってるだろう? 海の悪魔は、お宝そのもんだ。尽きることのない財産だ。海の悪魔は海の底から真珠を集めてくることができる。たくさんの素晴らしい真珠をな。それだけじゃない。海の悪魔なら、沈没船の数え切れない宝物だって、海の底から取ってくる。そいつが全部、ワシらのものだ。ズリタのもんじゃなく、ワシらのな。そういう話を、ワシはしようとしてるんだ。いいか、バルタザール。イフチアンドルが、グッチエーレに惚れていることは知っているか?」
 バルタザールは、何か言おうとしたが、クリストは言わせなかった。
「いいから黙ってよく聞け。途中で邪魔されたら話せない。そう、イフチアンドルはグッチエーレに惚れてるんだ。ワシに隠し事なんぞできるもんか。そのことに気づいた時、ワシは思った。『こりゃあいい。イフチアンドルをグッチエーレとくっつけちまえ。ヤツはズリタよりも素晴らしい夫……お前の義理の息子になる』ってな。それにグッチエーレもイフチアンドルが好きなんだ。ワシはこっそりイフチアンドルの後をつけていたが、あいつらはしょっちゅう会ってたぞ」
 バルタザールはため息をついた。しかし何も言おうとしなかった。
「それだけじゃない。耳をかっぽじってさらに聞けよ。ワシは何年も前のことを、思い出そうっていうんだからな。二昔も前のことだ。お前の女房が、お袋さんの葬式のために山の実家へ行って、その帰り道ワシが付き添った時のことだ。その帰り道、お前の女房は赤ん坊を産んで死んじまった。赤ん坊は生まれた時には死んでいた。その時ワシは、お前を悲しませたくなくって、一つだけ言わなかったことがある。それを今話そうってんだ。お前の女房は帰り道で死んじまったが、赤ん坊は弱っていたものの、まだ息があったんだ。小さなインディオの村だった。一人のばあさんがワシに、偉大な奇跡を起こす神サルバトールのことを教えてくれたんだ……」
 バルタザールが、耳をそばたてた。
「ばあさんはワシに、赤ん坊をサルバトールの所へ連れていくように言った。ワシはその助言にすがって、サルバトールのところへ赤ん坊を連れて行って言った。『この子を救ってください』ってな。サルバトールはゆっくり頭を振って『この子を助けるのは、難しい』と言って、赤ん坊を連れてった。そして日が暮れる頃黒人が来て『赤ん坊は死んだ』と言ったんで、ワシはそこを出た。そう……」クリストは続けた。「それでサルバトールは、赤ん坊が死んだと黒人に言わせただけだ。生まれたばかりの赤ん坊、お前の息子には、アザがあった。ワシはそれがどこにあって、どんなアザだったのか、よく覚えてる」
 クリストは、しばらく黙り込んでから、先を続けた。
「つい最近、誰かがイフチアンドルの首を傷つけた。包帯を巻くために、ワシは鱗の服を少しばかりめくってみた。そこに、お前の息子と同じアザを見つけたんだよ」
 バルタザールは、目を見開いてクリストを見た。そして、心配そうに質問した。
「お前はイフチアンドルが、俺の息子だと思うのか?」
「黙って。黙って聞いてくれ。そうだ。ワシはそう思う。ワシはサルバトールがワシに嘘をついたんだと思う。お前の息子は死ななかった。そしてサルバトールは赤ん坊を、海の悪魔にした」
「おお!……」バルタザールは、大声で叫んだ。「なんてことをするんだ! 俺はこの手で、サルバトールを殺してやる」
「黙れってっ! サルバトールはお前より強い。それに、たぶんワシの勘違いだ。二十年も経ってる。同じようなアザが首にあるやつが、別にいたっておかしかない。イフチアンドルは、お前の息子かもしれんし、息子でないかもしれん。何もかも注意深くやる必要がある。お前がサルバトールのところへ行き、イフチアンドルが自分の息子だと言ったとする。ワシがお前の証人になって、ヤツに息子を返せと言ったとする。返すもんか。なら、お前はヤツに、息子の体を不自由にした罪で告訴すると言うんだ。そうすればヤツは怖気づくだろう。それでうまくいかなければ、お前は裁判を起こす。けれど、ワシたちが、イフチアンドルがお前の息子だと証明することができなかったら、グッチエーレと結婚させればいい。グッチエーレは前の養女だ。グッチエーレは、あの時あんまりにも妻と息子のことを嘆くお前に、ワシが見つけてきてやった孤児なんだから……」
 バルタザールが、椅子から飛び上がり、カニや貝殻を払いながら、店の中を歩き回った。
「俺の息子! 俺の息子! あぁ、なんて不幸なんだ!」
「なんで不幸なんだ?」と、クリストは驚いた。
「俺は邪魔せず話しを全部聞いた。なら今度は俺の話しを聞いてくれ。お前が熱をだして来られないうちに、グッチエーレはズリタと結婚しちまったんだ」
 このニュースに、クリストは衝撃を受けた。
「しかもイフチアンドル……、俺の可愛そうな息子は……」バルタザールは俯いた。「ズリタに捕まっちまった!」
「そんなバカな」クリストは信じられなかった。
「そうなんだ、そうなんだ。イフチアンドルは、今メドゥーサ号だ。今朝ズリタがここへやってきて、俺たちを嘲り笑いながら文句を言ったんだ。ヤツは俺たちがヤツを騙したと言った。ヤツ自身が俺たち抜きでイフチアンドルを捕まえた! もう彼は俺たちに何も払わない。だが俺は、もう金なんか欲しかない。自分の息子を売り渡すことなんぞできるか?」
 バルタザールは絶望した。
 クリストは不満げに弟を見ていた。
 今こそ彼らは断固として行動すべき時だった。けれど、バルタザールは、助けとなるよりも、物事を失敗させかねない。
 クリスト自身は、バルタザールとイフチアンドルの関係を、まるで信じていなかった。
 確かに生まれたばかりの赤ん坊には、アザがあった。しかしそれが、何の証拠になるだろう? イフチアンドルの首のアザを見たクリストは、それが似ていることを利用して、儲けようと思いついたにすぎない。しかしこの話に、こんなにもバルタザールが反応するなど、どうして想像できただろうか? しかもバルタザールがもたらしたニュースは、クリストを充分にうろたえさせた。
「今は嘆いている場合じゃなかろうが。行動しないといかん。明朝サルバトールは帰ってくる。お前は勇敢な男じゃないか。日の出ごろに桟橋の上で待っていろ。まずイフチアンドルを助け出さなきゃならん。しかし、まだ、お前がイフチアンドルの父親だってことを、サルバトールに言わないよう注意しろ。ズリタがどこへ行くつもりかわかるか?」
「ヤツは言ってなかったが、俺は北に向かうと思う。ズリタはずっと前から、パナマの海岸に行きたがっていたからな」
 クリストは、うなずいた。
「いいか、忘れるんじゃないぞ。明朝、日の出前、桟橋だ。たとえ夕方まで待つことになっても、そこにいろ。離れるんじゃないぞ」
 そしてクリストは急いで帰ると、間もなく戻るはずのサルバトールに、どう話そうか、一晩中かかって考えた。サルバトールに対する言い訳が必要だった。
 サルバトールは、夜明けに帰宅した。
 クリストはサルバトールを出迎えると、いかにも忠誠を尽くせず落胆しているといった悲痛な表情で、こう言った。
「悪いことが起きやした……。あっしはイフチアンドルに、何度も入り江で泳がないよう、注意しやした……」
「それでどうした」と、サルバトールが急いでたずねた。
「ヤツらは坊ちゃんを盗み、帆船で行っちまったんです……。あっしは……」
 サルバトールは、クリストの肩を強くつかみ、その目をしっかと凝視した。それは時間にして僅かではあったが、クリストはこの人を見極めるような視線に射すくめられて、顔色を変えた。
 サルバトールは眉をひそめ、何かぶつぶつ言って、クリストをつかんだ手を緩めると、急いで言った。
「何があったのかは、後で詳しく聞こう」
 サルバトールは黒人を呼び、クリストにはわからない言葉で何か言うと、彼に向き直って大声で言った。
「ついてきなさい!」
 サルバトールは旅から帰還したまま休みもせず、服も着替えず、家を出て庭に向かった。
 クリストは、ついていくのがやっとだった。
 彼らが三番目の壁にやってきたとき、二人の黒人が追いついて来た。
「あっしは忠実な犬みたいに、坊ちゃんを見張ってたんです」と、クリストは急ぎつつ息を切らして言った。「目を離さないように、してたんです……」
 けれどサルバトールは、聞いてはいなかった。そしてプールの手前で立ち止まると、イライラしたように足で何かを踏んだ。するとハッチが開き、プールの水が流れ出す。サルバトールはプールに開いた水門に水が流れ込むのを待ちきれないかのように、足を叩いていた。
「私についてきなさい」と、地下への階段を降りながら、再びサルバトールは命じた。
 クリストと二人の黒人は、暗闇の中サルバトールを追った。
 サルバトールは、地下迷宮に精通した男のように階段を駆け降りた。
 最深部に下りると、サルバトールは以前来た時のようには、明かりを点けなかった。暗闇の中で手探りで右側の扉を開けると、そこにも真っ暗な通路があった。そこはもう階段はなく、サルバトールは暗闇の中をさらに急いだ。
 クリストは(罠にはまって井戸で溺れてしまうんじゃなかろうか?)と考えながら、サルバトールの後を追った。
 急ぎ足でずいぶんと歩いてから、クリストは通路が下っていることに気がついた。時折かすかに波の砕ける音が聞こえてくる。
 ついに、旅は終わった。
 先を歩いていたサルバトールが立ち止まりライトを点灯する。
 クリストは、楕円形の丸天井に覆われた、長くて大きな水の入った洞窟にいることに気がついた。この洞窟の向こうの方は、水にむかって沈んでいる。
 彼らが立っている石造りの床ぎりぎりの水面に、小さな潜水艇が停泊していた。
 サルバトール、クリスト、二人の黒人が乗り込むと、サルバトールが明かりをつける。黒人の一人が上部ハッチをバタンと閉め、もう一人がエンジンをかける。
 クリストは、潜水艇が震え、ゆっくりと向きを変え、沈み、そしてゆっくりと前進するのを感じた。
 二分もたたないうちに、潜水艇は海面に浮上した。
 クリストはサルバトールと一緒に、艦橋に出た。
 クリストは潜水艇など乗ったことはなかった。けれど、海面を滑るこの船を見たら、造船業者は腰を抜かすだろうことは、想像できた。船の構造は非凡で、エンジンはは巨大な力を発揮している。まだ全速ではないけれど、素早く前進した。
「イフチアンドルを誘拐した者は、どちらへ向かった?」
「海岸沿いに北に向かいやした」と、クリストは答えた。「あっしは、あっしの弟を連れいくことを、お許しいただきたいと思いやす。あっしは弟を、すでに海岸に待たせておりやす」
「なぜだ?」
「坊ちゃんをさらったのは、真珠採りのズリタなんで」
 サルバトールは疑いの目でクリストを見た。
「なぜお前にそれがわかる?」
「あっしは船に詳しい弟に、坊ちゃんをさらった帆船のことを話したんでございやす。そしたらペドロ・ズリタのメドゥーサ号だってんです。おそらくズリタめは、真珠採りをさせようと、坊ちゃんを盗んでったに違いありやせん。あっしの弟のバルタザールは、真珠が採れる場所を、よく知っていやす。ですから、必ずあっしらの役に立ちやす」
 サルバトールは考えた。
「いいだろう。お前の弟を連れていこう」
 バルタザールは、桟橋の上で兄を待っていた。
 潜水艇は岸に向きを変える。
 バルタザールは、まだ距離がある間は、眉をひそめて息子を傷つけたサルバトールを睨みつけていたが、近づいてくると丁寧にサルバトールにお辞儀をしてから、泳いで潜水艇に向かい、乗り込んだ。
「全速前進!」
 サルバトールが命令した。彼は艦橋に立ち、じっと海を見つめていた。

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