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アレクサンドル・ベリャーエフ 作
「両棲人間」

Александр Беляев
Человек-Амфибия

2003.11.5
2005.1.15
2020.06.05
2024.10 最終更新日

第八章   襲撃

「バルタザール。今日のうちに来なけりゃ、お前とは縁を切って、もっと器用で信用できるヤツと組むからな」ズリタは、もじゃもじゃの口髭をイライラ動かしながら、そう言った。
 ズリタは、白い背広にパマナ帽といったいでたちだった。彼は、ブエノスアイレスの郊外、耕作地が終りパンパス草原が始まる場所で、バルタザールと待ち合わせていた。
 バルタザールは開襟シャツに濃紺の縞ズボンという姿で、黙って道端に座り込み、乾いた土から枯れ草を毟っている。
 彼はサルバトールの調査に、兄のクリストを潜入させたことを、後悔し始めていた。
 クリストは、バルタザールよりも十歳年上だった。しかし年にもかかわらず元気で機敏で、そしてパンパス草原の猫のように狡猾だった。しかも、まるで信用できない。
 以前彼は畑仕事をしていたけれど、すぐにそれに退屈してしまった。そして港で安酒場を始めたものの、ワインに溺れて破産した。
 近頃クリストは、その並外れた狡猾さと、時には裏切りを利用して、裏仕事ばかりしている。スパイにはもってこいだが、信用ならない。自分に利があれば、実の兄弟だって裏切るだろう。バルタザールはそれを知っていたので、ズリタ同様心配していた。
「クリストは、お前が飛ばした風船を見たと思うか?」
 バルタザールは投げやりに肩をすくめた。彼はできるだけ早くこの計画を放り出し、家に帰って冷たい水で割ったワインで喉をうるおし、眠りたかった。
 小山の向こうに日が落ちかけて、舞い上がった塵を照らし出した。その時、長く鋭い口笛の音がした。
 バルタザールが顔を上げる。
「クリストでさぁ!」
「ようやくだ!」
 クリストは、すたすたと歩いてやって来た。そこには痩せ衰えたインディオの老人の面影は、まるでない。クリストはもう一度威勢よく口笛を吹くと、バルタザールとズリタに挨拶した。
「どうだ。海の悪魔を見つけたか?」と、ズリタがたずねる
「まだだ。がヤツはいる。サルバトールは、四番目の壁の後ろに海の悪魔を隠している。ワシはサルバトールに仕えて、彼はワシを信頼している。病気の孫娘で、うまいことやったからな」クリストは、狡猾そうに目を細めて笑う、「彼女は治ったときに、計画を台無しにするところだった。ワシは孫を愛する祖父のように抱きしめキスをした。そしたら愚かな孫娘は泣いてワシを蹴ったんだ」クリストは、また笑った。
「孫娘なんて、どこで手に入れたんだ?」と、ズリタがたずねる。
「病気の女の子っていうのは、金よりずっと簡単に見つけられるからな」と、クリストは答えた。「女の子の母親は喜んだよ。彼女は元気な女の子を受け取り、ワシに5ペソくれたよ」
 しかしクリストは、サルバトールから貰った重い金貨の袋については、一言も喋らなかった。もちろん、少女の母親にそれを渡すなど、考えもしなかった。
「サルバトールの奇跡の動物園を、あらかた見てきたぜ」そしてクリストは、見たものについて、片っ端から話し始めた。
「そいつは興味深い話だな」と、ズリタは葉巻に火をつけながら言った。「が、肝心な海の悪魔は見ちゃいない。クリスト、次に何をするんだ?」
「これからか? 次はアンデス山脈に行くことになった」
 クリストはサルバトールが、動物狩りに行くことを説明した。
「そいつはいい!」と、ズリタは叫んだ。「サルバトールが遠くまで出かけるってなら、留守を襲って海の悪魔を盗み出そう!」
 クリストは、首を振った。
「ジャガーに頭を食いちぎられて、あんたは悪魔を見つけられん。ワシが見つけなければ、あんたの頭じゃ無理だ」
「それならこうだ」ズリタは、考え込んでから言った。「サルバトールが狩りに出たところを待ち伏せて捕まえ、身代金として海の悪魔を要求する」
 クリストは、ズリタのポケットから、器用に葉巻を抜き取った。
「ありがとよ。そりゃいい考えだ。待ち伏せの方がずっといい。が、サルバトールは身代金を払うといって騙すだろうな。払うもんか。なにしろスペイン人……」クリストは、葉巻にむせる。
「じゃあ、どうしろってんだ」ズリタはいらいらしながら言った。
「あわてなさんなって。サルバトールは、ワシを信じた。だが四番目の壁の向こうを見せるほどじゃない。なら自分自身と同じぐらいワシを信じさせたら、自分からワシに悪魔を見せてくれるだろうさ」
「そんなもんか?」
「そんなもんだ。というわけで、サルバトールは盗賊に襲われる」といって、クリストはズリタの胸を指差した。次に自分の胸を叩いた。「誠実なアラウカンが、彼の命を助ける。そうすりゃサルバトールとクリストの間に秘密なんてなくなるさ」(そしてワシは、また褒美の金貨を貰う)「悪くないな」
そして彼らは、クリストがサルバドールを案内する道について、話し合った。
「出発する前の晩に、ワシは壁の向こうに赤い石を投げておく。用意しといてくれ」
 しかし綿密に立てた襲撃計画も、たった一つの誤算でダメになるところだった。
 ズリタ、バルタザール、港で集めた十人のチンピラたちが、ガウチョ(ガウチョとは、パンパスで暮らす牧畜民族で、インディオとスペイン人の血を引く混血であり、優れた騎馬民族のことだ。)に扮し、武器を手に馬に乗り、人里離れた場所で獲物を待ち構えていた。
 暗い夜だった。馬のひずめの足音が聞こえないかと、耳を澄ませていた。しかしクリストは、サルバトールが、数年前からこうして狩りに出かけることを、知らなかった。
 予期せぬエンジンの唸りが近づいてきた次の瞬間、丘の向こうからヘッドライトのまぶしい光が現れた。何が起きたのか盗賊たちが理解する間もなく、大きな黒い車が走り去った。
 ズリタは怒ってわめき散らしたが、バルタザールは笑いだした。
「ズリタのダンナ、落ち着きなって」と、インディオは言った。「日中は暑いから、夜移動するんでしょう。サルバトールの車には太陽が二つついてますからね。そして日中彼らは休みますよ。俺たちはそこで追いつけますさ」
 そしてバルタザールは、馬に拍車をかけて自動車を追い始め、他の者たちもそれに続いた。
 そして二時間ほど走ると、前方に予想外の焚き火を見つけた。
「あいつらだ。何かあったようですな。俺が行って見てくるんで、ここで待ってなさい」
 バルタザールは馬から飛び降りると、這うようにして偵察に行き、一時間後に戻ってきた。
「車が故障して、そろそろ修理が終わるところでさ。クリストが見張りをしてますよ。急いだ方がいいでしょうな」
 あとはあっという間だった。盗賊たちが襲撃した。サルバトールが何が起きたのか気づかないうちに、彼とクリストと三人の黒人たちの手足は縛られていた。
 ズリタは表に出ることを好まなかったので、盗賊のリーダーがサルバトールに、多額の身代金を要求した。
「放してくれれば、金を払おう」サルバトールは答えた。
「これはお前の分だ。あと四人分貰わないとな!」と、盗賊はさらに脅した。
 サルバトールは肩をすくめた。
「今すぐその金額を払うことはできない」サルバトールは考えてからそう言った。
「なら死んでもらおうか!」と、盗賊が叫んだ。「夜明けまでに俺たちの要求を飲まなけりゃ、殺すからな」
 サルバトールは、肩をすくめる。
「そんなに持ち合わせていないんだ」
 冷静な博士の様子に、盗賊たちは驚いた。そして縛った男たちを車の後ろに押し込むと、盗賊たちは辺りをあさり、標本用のアルコールを見つけた。彼らはアルコールを飲み、酔っ払って、地面に倒れ込んだ。
 夜明け前、誰かがあたりを警戒しながら、サルバトールの所へ這ってきた。
「お静かに。あっしです」と、クリストはささやいた。「なんとか戒めを抜け出してきやした。銃を持ってる見張りは殺しやした。他の連中は、酔っ払って寝てまさぁ。運転手は車を修理いたしやした。急ぎやしょう」
 そして全員車に乗り込むと、黒人の運転手はエンジンを噴かして発進し、道路を駆け抜けた。
 叫び声と無闇と発砲される銃声が、後ろで上がる。
 サルバトールは、クリストの手をしっかりと握って感謝を示した。
 ズリタは、サルバトールが行ってしまってから、彼が身代金を支払うタイプの人物であったことを、盗賊から聞いて知った。
(なんだかわからない海の悪魔を誘拐するより、身代金を手に入れる方が簡単だったんじゃないか?)と、ズリタは考えたが、その機会は失われ、あとはクリストからの知らせを待つしかなかった。

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