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アレクサンドル・ベリャーエフ 作
「両棲人間」

Александр Беляев
Человек-Амфибия

2003.10.31
2005.1.15
2020.06.05
2023.10 最終更新日

第五章   病気の孫娘

 太陽が、情け容赦なく照りつけていた。
 痩せこけたインディオの老人が、小麦やトウモロコシやオーツ麦の豊かな畑にそって伸びる埃っぽい道を歩いている。彼は破れたボロを着ていた。彼は病気の子どもを、日差しから守るように古い毛布に包み、抱きかかえていた。
 半ば目を閉じた子どもの首には、大きな腫瘍が取りついていた。時おり老インディオがつまづくと、子どもはしわがれ声でうめき、瞼を開く。老インディオは立ち止まり、子どもにやさしく息を吹きかけた。
「どうか生きてたどり着けますように!」老インディオは急ぎ足で歩き出しながら、ささやいた。
 鉄の門に到着すると、老インディオは子どもを左手に抱いて、右手で鉄の扉を四度叩いた。扉の上部がわずかに開き、誰かの目が覗くと掛け金がきしむ音がして扉が開いた。
 インディオは、おずおずと敷居をまたいだ。彼の前には白衣を着た、縮れた白髪の年老いた黒人が立っている。
「先生に、病気の子どもを診て欲しいんでやす」と、老インディオは言った。 
 黒人は無言でうなずき、扉を閉ざすと、ついてこいと身振りで示した。
 老インディオは、あたりを見回す。石畳が敷かれた、小さな中庭だ。
 中庭は、一方を高い壁で、もう一方を中庭と敷地の内部を隔てる低い壁で囲まれていた。草も緑の茂みもない、牢獄の庭だ。中庭の隅、第二の壁の門のところに、大きな窓のある白い家が建っていた。男女のインディオが、その家の近くの地面に座っていた。インディオたちの多くは、子どもを連れていた。
 ほとんどの子どもたちはまったく健康そうに見えた。何人かは貝殻を使って、「奇数か偶数か」遊びをしているし、黙々と相撲を取っている子どももいた。
 白髪の老黒人が、子どもたちが騒がないよう、厳しく見張っていた。
 老インディオは家の影にそっとすわり込み、動かない子どもの青い顔に息を吹きかけた。
 隣には、足が腫れたインディオの老女が座っていた。彼女は老インディオの膝の上に横たわる子どもを見て、こう聞いた。
「娘さんかい?」
「孫娘でさ」と、老インディオは答えた。
 老女は首を振った。「あんたの孫娘は、沼地の精に取りつかれたんだ。でも先生は、邪悪な精よりもずっと強い。沼地の精は追い払われ、あんたの孫娘はきっと元気になるよ」
 老インディオは、黙ってうなずいた。
 白衣の黒人が病人たちの間を歩き回り、老インディオの子どもを見ると、家の扉を指さした。
老インディオは、床に石版が敷かれた大きな部屋に入る。
 部屋の中央には、白いシーツで覆われた、細長いテーブルがあった。
 奥にある曇りガラス戸が開き、白衣を来た、背が高く、肩幅が広く、日焼けしたサルバトールが部屋に入ってきた。サルバトールの頭には、黒い眉毛と睫毛を除けば、髪は一本もなかった。見たところ日焼けした頭は、絶えず剃っているようだ。ごつい大きな鼻、突き出た鋭い顎、そして薄い唇が、彼を残忍な捕食者のように見せていた。茶色の目も、冷たく見えた。
 その視線を浴びて、老インディオは不安を感じた。老インディオは頭を低く下げ、子どもを差し出した。サルバトールは素早く、自信を持って、同時に慎重に、病気の女の子を老インディオの手から奪い、子どもを包んでいた毛布を剥がし、部屋の隅にたっている箱に投げ込んだ。老インディオはよろよろと箱へ向かい、ボロ毛布を取り出そうとした。
 だが、サルバトールがきっぱりと、制止した。
「放っておけ、触るな!」
 そしてテーブルの上に女の子を置くと、その上にかがみ込んだ。
 老インディオは、その横顔を見て、コンドルが小鳥を襲っているようだと思った。サルバトールは、指先で子どもの喉の腫瘍を調べ始めた。この指は、またも老インディオを驚かせた。指は長くて、異様なほどよく動いた。その関節は、まるで上下左右自在に曲げられるかのようだった。老インディオは、臆病ではなかった。だが、この理解を越えた男を恐れる気持ちを抑えつけなければならなかった。
「こいつは見事だな」
 サルバトールは、まるで賞賛するように、腫瘍に触っている。
 診察が終わると、サルバトールは老インディオに顔を向けた。
「今日は新月だ。一ヶ月後の次の新月には、元気になったこの女の子を返そう」
 そして子どもを、ガラス戸の向こうにつれていった。そこには、浴室、手術室、病室があった。
 黒人が次の患者、足を患った老女を部屋に案内して来た。
 老インディオは、サルバトールの背後で閉まったガラス戸にむけて、深々と頭を下げて帰っていった。
 ちょうど二十八日後、同じガラス戸が開いた。
 健康で薔薇色の頬の女の子が、新しいドレスを着て、戸口に立っていた。そして、恐る恐る祖父を見た。
 老インディオは彼女に駆け寄り、手を掴んで口づけ、喉を見た。腫瘍は、その跡すら残っていなかった。手術のことを思わせるのは、ただほとんど目立たない小さな赤みがかった傷跡だけだった。
 女の子は、両手で祖父を遠ざけようとし、そしてキスされて、そのチクチクとした髭に刺されると、悲鳴を上げた。
 老インディオは、抱き上げようとしていた女の子を床に降ろすしかなくなった。
 女の子の後から、やってきたサルバトールは、微笑み、女の子の頭をなでて言った。
「さぁ、お前の孫娘を連れて行きなさい。もう数時間連れてくるのが遅かったら、私であっても彼女を生き返らせることはできなかったぞ」
 老インディオは顔をしわくちゃに歪め、唇をひきつらせた。その目は涙で覆われている。そしてもう一度無理やり女の子を抱き上げると、サルバトールの前に膝をつき、涙声でこう言った。
「先生は、孫娘の命を救ってくださいやした。命のお礼に、どうかこの貧しいインディオの命をお受けくださいやすでしょうか?」
「お前の命を、私にどうしろというのだ」と、サルバトールはいぶかしんだ。
「あっしは年寄りですが、まだ力はございやす」と、老インディオは床に伏せている。「あっしはこの子をこの子の母親、あっしの娘のところに連れていき、戻ってきやす。あっしはこの命の残りを、あなた様に捧げたいと思いやす。あっしは犬のように仕えやす。どうかお願いいたしやす。どうかあっしを拒まないでくださいやし」
 サルバトールは、考えた。
 彼は、新しい使用人を雇うことに消極的で慎重だった。雇うなら黒人の方がよいと考えていた。しかし、仕事はたくさんあって、ジムだけでは庭を管理しきれなくなっている。このインディオならいいだろう。
「よし。命を私にくれるという、お前の好意を受け取ろう。で、いつから来てくれるのかね?」
「一ヶ月の四分の一が終わるまでに、ここに戻ってきやす」と、老インディオは、サルバトールの白衣の裾にキスをしながら言った。
「名前はなんだね」
「あっしですか? クリスト。クリストバルです」
「ではクリスト、行きなさい。私は待っているよ」
 クリストは、もう一度女の子を抱き上げた。
「さあ、帰るよ!」
 女の子は再び泣き出して、クリストは急いで出ていった。

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