まるで、映画が始まったようだった。
足長はお嬢につれられて、一度だけライラベルで映画を見たことがある。
テレビなら、ライラベルの街頭に特大のやつがいくつもあり、最初は目を見張ったものの、嫌だといっても煩わされるものだと知った。
なのにわざわざ薄暗くしたホールに集まり、きれいに横並びした椅子に行儀良く座り、みんなで一緒に大きな画面を見る。
せめてもう少し席の間隔に余裕があり、テーブルがあり、その上に少々のつまみと酒でもあり、そして一緒に見ている仲間と喋ることができればいいのだが、じっと黙って映画を見ることしか許されない。
だから映画に、特別な価値があるとは、思えなかった。
それでもお嬢が、テレビより面白いものをやっているし、途中で広告も入らないと、熱心に主張するので試したのだが、内容はテレビと変らず、前後には広告も入っていた。むしろ広告なしのぶっ通しで画面を見続けなければならないことが、苦痛でさえあった。
今、再現が始まった過去の情景には、音が伴っていない。
だが、それでも目を奪われた。
自分たちが登場しているというだけでなく、確かに思い出深いシーンだったからだ。
ネズミとの出会い。バンダナやお嬢との出会い。そして共有した、いくつもの時間。
つらいことも衝突したこともある。手を取り合って乗り越えた苦難も、手を取り合った喜びもある。ごくささやかな、何気ない日常も含まれている。
映し出されるものは、ひどく断片的な情景にすぎない。だが、その瞬間、当時のことが記憶の底から鮮明に蘇る。耳にした声も、頬に受けた風も、その時の気分さえも。映し出されたものは、その僅かな手がかりにすぎなかった。
足長は、その記憶の再現が終わったことに、はたと気づいた。
息をつめ、目で見たものを思い出す。
他人に見られてはまずいものが、あっただろうか?
あったとしてあの断片から、こちらの事情に気づかれるだろうか?
気づかれたとして、しらばっくれたほうがいいのか、ケリをつけておくべきか。
二人はどう考えているだろうと、バンダナとお嬢に目をやれば、二人とも悩みなどなさそうな笑顔を浮かべている。
「今度は私の番ですね」
「ま、まて!」
お嬢がミーディアムを取り出したのを見て、足長は慌てて声を上げる。
「どうしてですか。まさか、もう一度自分のを見たいとか? いけませんよ。私たちは好意で特別の計らいを受けているのですから、あまりわがままを言っては」
お嬢は、そして隣に立つバンダナも、まったく問題に気づいていない。
それらの問題には、それぞれ長らく悩まされてきた。とくにこの二人の悩みは、人間関係だ。だが、こうして仲間になり共に旅をするうちに、悩みを忘れはじめている。
だが、根本的な問題が、解決したわけではない。
わかっているはずのネズミは、ジャケットの頭の上で、その髪をネズミの巣のようにひっかきまわしたまま、くつろいでいる。
「ち、違う!」
叫んでおいて、とりあえずもっともらしい言い訳はないかと考える。
「つ、つまり一番ミーディアムを使っているのはお前だが、俺たちは使い回している。つまり、どのミーディアムを使っても同じじゃないか? だとしたらほら、俺たちはつまり好意で特別の計らいを受けてるんだから、試すのは一度だけでいいはず……」
「その通りだよ。さすが年の功だね」
ジャケットに口を挟まれた。
「ミーディアムを共有してる場合、記録されているものは、ほぼ同じらしいよ」
出任せは的を射て、お嬢もバンダナも納得したようで、足長はホッとする。
だがそれも、ジャケットがお嬢に向かってニッコリ笑うまでだった。
「種族を越えて、仲間とうまくいってるってことが、よくわかったよ。よかったね」
足長は凍りついたが、お嬢もバンダナも、まるで気にした様子もなく、笑顔で受け応えている。
ジャケットの頭の上のネズミが、やれやれと両手を広げる。
「あのさ、別に隠さなくてもいいことを、隠そうとしてない?」
「いや、なんだ。……いつ気づいた?」
「何を。もしかしたら、彼女がベルーニだってことかい? えーっと、会ってすぐに、ボクと彼女はライラベルで会ってるって、言わなかったっけ?」
「そいつは、ガールハントの決まり文句かと思っていた」
「彼女は、ボクたちハンターの間で、密かに『街角の君』って呼ばれて慕われてたよ。当時と今とは、まるで印象が違うから、すぐには気づかなかったけどね。
そして『赤目の……」
足長が緊張する。バンダナの目は、赤みがかっている。それが彼の背負う問題の一端を現わしている。
だが、ジャケットが続けた言葉は、予想とは違っていた。
「……受付嬢』と人気を2分するヒロインさ。
そのころは、病弱な深窓の令嬢が街角に出てきたような儚げな雰囲気が魅力だったけど、今の健康的で明るい雰囲気の方が、ボクは好きだな」
お嬢は、「まあ」とかいって、照れている。
「それに、ボクは仲間たちと一緒に、彼女から彼への手紙を運んだこともある」
ジャケットが、足長を見ながら、バンダナを指し示す。
「お前ら旧知の間柄だったのかッ!」
「いや手紙を届けただけで、知り合いって程じゃない」
足長は、まじまじと自分の仲間たちと、ジャケットを見る。
最後にジャケットの頭の上の相棒と、目があった。
やれやれと、ジャケットとその頭の上のネズミが、両手を広げて肩をすくめた。
結果的に、この遺跡には、足長たちが求めるものは何もなかった。
未来を切り開くための手がかりも。
そして活動資金になりそうなものも。
この程度の遺跡が、世界政府の手によって封鎖されていること自体が解せなかったが、もっとでかい秘密が隠している様子もない。
「そうだねえ。ボクは見てないけれど、一度だけ過去ではなく未来が映し出されたことがあったそうだよ。かといって、未来を左右するようなものでもなかったし、性質上それ一度きりか、当人が未来の記憶でも持ってないかぎり、そんなことは起きないだろうっていうのが、学者たちの見解さ」
村への帰り道、このあたりの他の遺跡の情報と共に、ジャケットはそんな話をしてくれた。
村へ帰還すると、ジャケットはその入り口で足長たちに約束通りの報酬を支払った。
けれどそのまま村を出て、メシス駅へ向かうという。
ここはあなたの故郷で、しかも夕食時なのに? 他の方々に挨拶もせず? せめて一緒に食事をと、お嬢とバンダナが誘ったが、ジャケットは、列車の時刻があるからねと笑って指を振って背を向けた。
まだこの地域の探索をすると決めた足長たちは、ここに泊まると決めている。
いくつかジャケットから情報も手に入れたし、宿代さえも節約したい足長たちのために、報酬の一部として、ジャケットの家を借りることにもなっている。
「集合住宅の一室で、狭いしホコリまみれだけど、それでよければ」ということだ。
ジャケット抜きで戻ってきて、ヤキソバを注文した足長たちを、野外食堂をかねた店の主は、いぶかしがりもしなかった。
そして作業着もメイドも、その姿を消している。
幾人かの村人たちが夕食を取っているが、騒がしいというほどではなく、これがこうした小さな村の、在るべき姿としてしっくりきた。
ネズミの相棒も、ジャケットの頭の上から足長の肩へと戻り、お嬢もバンダナも相変わらずだ。
「セルフサービスだよ! 取りに来とくれ!」
女主人に声をかけられて、ヤキソバの皿を受け取りに行く。
「言った通り、何もなかっただろ?」
「けれど、面白いものを見ることができました」
そう笑うお嬢を、店主は見もせず、一枚の皿に三人分、やきそばを盛り上げようと、苦心している。
「それで満足なのかい? あたしたちには、渡り鳥の好奇心ってのが、わからないよ。だって言うじゃないか、『好奇心猫をも殺す』ってね。こうやって地道に働いていても、明日のことが心配でならないのに、あんたたちときたら、まるで考えちゃいないんだから」
足長には、その言葉は聞き捨てならなかった。自分はまだしも、生きる道を自分の居場所を、必死で探っている仲間たちのために。
「俺たちは、明日を掴むためにあきらめず今日を生きてるんだ」
女主人は足長に、三倍盛りの焼きそばの皿を押しつける。どうやら食べるのはお嬢でも、運ぶのは足長の役目だと、決めているようだ。
「若いからそう言えるのさ。いっぱい現実を見て苦労してやっと、希望だの明るい未来なんて、信じない方がマシだったって、わかるんだろうね。
中にはいつまでも夢にすがっちまう子もいるけど、そんな子でさえ、あたしたちのこういう考え方は、わかってくれてるよ」
ジャケットの彼のことだと、ピンと来た。
だから足長が、最初女主人に情報を求めた時、彼は双方のために割って入ったのだと、気がついた。
その勘が正しかったことを、問われもせずに語る女主人が、証明する。
「あの子が一人で渡り鳥みたいなことをしてるのは、夢を見るためさ」
「それが俺たちを雇ったあいつのことなら、夢にすがってるようには、見えなかったがな」
そりが合わないというよりは、つかみ所がない相手だったが、足長はつい、そう口に出していた。
「あの子のことを知らないから言えるんだよ。持って生まれたものも、手に入れたものも失うばかり。大事なもののために頑張って成し遂げた瞬間、肝心の大事なものをなくしちまう。
子どものころ村を抜け出して親父さんが出稼ぎに行ってる山へ向かう。子どもなのに荒野を渡りきって無事到着。なのに直後、目の前で親父さんが石に押しつぶされ、そのまま暗闇に閉じ込められる」
足長は、ジャケットの話を思い出して、顔をしかめる。
女主人は、足長を見ようともせず、話を続ける。
「その繰り返しが、あの子の人生さ。あの子はそんな現実を、何度も味わってきた。自分が無力だってことを知ってる。知ってて、どうしようもないから夢にすがるのさ」
足長は違うと言いたかった。
足長の直感がそう告げている。だが、女主人の言う通り、ジャケットのことは、何も知らないのだ。
女主人は足長に、二つ目の三倍盛りの皿を押しつける。両手に花ならぬ、両手に皿だ。
バンダナとお嬢も、一つづつ皿を渡されて、先にテーブルへと運んでいく。
だが足長は、その長い足をしばし止める。
全ての皿を渡した女主人は、そんな足長をやっと見上げる。
「仲間を大事におし。ここで多くの渡り鳥を見てきたけど、孤独な渡り鳥ほど、あやうい者はないよ。たとえ誰かと一緒に旅をしていても、心を閉ざし孤独に溺れたら、それきりさ」
足長は、両手に皿を持ったまま女主人に反論する。
「それはわかる。だが、あいつはそんな孤独を抱えているようには、見えなかった。だいたいここにも友だちがいたし、仲間と旅したこともあるようだ」
女主人は足長を、じっと見上げる。
「仲間や友だちがいても、結局あの子は自分で一人を選んじまうんだよ。自分の不幸に巻き込みたくないって。あんたたちも中身のない無駄話で、煙にまかれたんじゃないかい?」
ジャケットは、長々と自分のことを話していた。
だが、思い返してみれば、ありきたりのどうとでも取れる話ばかりだったことに、気づかされる。
「あの子はね、疫病神なんだよ」
「それは聞き捨てならないな。あいつが疫病神ってことがじゃない。あいつはこの村で生まれ育ったんだろう。なのに疫病神よばわりか?」
「あの子が自分でそう言ってるのさ。どんなに周りが否定しても、そう思い込んでる。そしてうしなわないために、大事なものから逃げ出して、荒野に自分を捨てちまうんだ」
あっけに取られた足長から、女主人はぷいと背を向ける。
「もうこんな話はよして、冷めないうちに食べとくれ。いつまでも片付きゃしない」
この話を続ける気はないと、その背中が語っていた。