母をたずねて
7 エルヴィス教授のお嬢さん
彼女の家の中は、外見同様に、みすぼらしいものだった。
ただ貧しいというのではなく、何もかもが雑然としている。
ベッドの上には、毛布と衣類が山となり、テーブルの上には汚れた食器が置かれたままで、食べこぼしがこびりついている。
そのひどさは、家に招いた彼女にもわかっているのか、慌てて食器を片付けながら、「先に来ると伝えてくれれば、きちんと掃除して待っていたのに」と、小さく言い訳をする。
勧められるままにキャロルが椅子に座ると、足が一本短いらしく、ひどくがたついて落ちつかない。
一方チャックは、彼女のすぐ後ろの壁に背を預け、立ったままを決め込んでいる。
そしてテーブルの向かいには、産みの母と見知らぬ男。
どうやら産みの母の、新たな夫であるらしい。
彼もまた、チャック同様に、椅子に座った彼女の後ろに立っている。
この家には、椅子が二脚しかないらしい。
だが、そのつもりがあれば、椅子の代わりになるものを、いくらでも用意できるだろう。
「貧しくてさ、お茶も出せやしない。
今はニンゲンが支配者なんだろ? そいつは仲間であるあたしたちの生活を、どうにかしてくれる気はないのかね?」
キャロルは、それは誤解だと説明したかった。
そうした誤解を解き、新しい体制をわかりやすく説明することが、テレビでの彼女の主な役割といってもいい。
けれど彼女の前では、どんな言葉も出てこなかった。
幼いころから、彼女が自分を責めようと決めたなら、いかに説明しようとも、彼女の耳に入りはせず、ただ火に油を注ぐだけだった。だからキャロルは、口を閉ざすことを覚えたのだ。
それは自分に強いたことであったはずなのに、身に染み付いてしまったのか、話そうとしてなお、言葉が出ない。
キャロルは昔そうしたように、彼女の話を聞き流す。
いや、どんなに集中しようとしても、頭がそれを拒んでしまう。
見回せば、この家にはテレビがなかった。
ベルーニの時代から、テレビはニンゲンの思想を支配するための、重要な道具だった。
今でも情報伝達と周知の重要性は変わっていない。
そのためテレビだけは、どんな辺境の里でも見ることができるようになっていた。
いや、ベルーニは、テレビが視聴できない地域には、ニンゲンの里を作らせはしなかったと言っていい。
逆に言えば、テレビがないことは、年貢を納めていない隠れ里であることの現われだ。
カポブロンコは、その点を逆手に取ってさえいた。テレビと、そしてやはりベルーニの許可がなければ開くことができない店を、村の目立つところに置いたのだ。
テレビは天路歴程号で技術を学んだトニーが、ショップとその商品は店の夫婦が、それぞれ独力で手配していたらしい。
その偽装は、そこで生まれ育ったディーンやレベッカが、カポブロンコが隠れ里であることに気づかないほど、徹底されたものだった。
この里の場合には、遠目にはアンテナが見えたし、テレビを見ていたからこそキャロルのことを知ったのなら、村のどこかの家には、テレビがあるに違いない。
この村が、いまだ隠れたままの里であるなら、誰かが個人的に持ち込んだのだろう。
テレビは貴重な情報源であり、娯楽でもある。可能ならば、人々は隠れ里にも、テレビを持ち込もうとする。
彼女は、まだなお娘との再会を喜ぶ母親を演じている。
いや、キャロルには、演じているようにしか見えはしない。
愛を訴え、哀れを誘い、泣き喚き、情に訴えかける。
彼女がなんの反応も示さないキャロルを責め始めたとき、チャックが口を開いた。
「それより、彼女と生き別れになった事情を、説明願いませんか?」
彼女は、憎しみのこもった眼差しをキャロルの背後に送り、そしてあやふやな説明を試みる。
「この子の父親は、ほんとに性悪でさ、あたしにもこの子にも、乱暴ばっかり働いてたんだよ。それでこの子は、あたしを置いて、村から逃げ出しちゃったのさ」
「探しましたか?」
「ま、まあ。でもあたしはARMだって持ってないから荒野にだって出られないし、渡り鳥に頼む余裕もなかったし……」
以前は、ベルーニの支配下にあるかぎり、一定年齢になれば、誰もがARMを貸与される。
けれど、精神力に威力が比例するARMは、誰もが使いこなせるわけではなく、ARMが使えない者には、貸与されないこともある。
「で、放置したと」
とたんに彼女は喚きだす。
「そんな言い方って、ないじゃないかい! 母親だよ! 子どもがかわいくないわけないだろ! あんたに何がわかるっていうんだい!」
「確かにボクの母親は、最後までボクをかわいがってくれましたよ」
キャロルは、そのチャックの言葉に驚いて、思わず振り向いた。
チャックは、薄く笑いながら冷たい眼差しを産みの母に向けていた。
彼女の反応を確かめれば、その眼差しに、射すくめられているようだ。
彼女は息を飲み、やっと言葉を搾り出す。
「だったら!」
チャックは、それを最後まで言わせはしない。
「けれど世の母親が、無条件で子どもを愛し可愛がると信じられるほど純真でもないんですよ。ボクは」
「あんた! 子どもの前でなんてこと言うんだい!」
チャックが、しかたないなとでもいうように、大きく手を広げながら肩をすくめる。
「キレイごとはよしましょう。お嬢さんの父親を自称する男も、あなたと同じことを言っています。
あなたはとても性悪で、お嬢さんに乱暴ばかりを働き、だからお嬢さんは村を逃げ出さなければならなかったと。
少なくとも父親と母親のどちらかは、子どもをかわいがらず、そして嘘をついていることになりますね?
あるいは両方が」
「嘘つきは、あっちだよ!」
そして、気がついたようだ。
「……なんだって? あいつが生きてるってのかい!」
驚いたのは、キャロルも同じだった。
母親を自称する者が複数表れているという話同様、これも嘘なのだろうか?
チャックは笑みさえ消し、彼女をじっと見つめている。
「ご希望なら、相手にあなたの居場所を、お伝えしておきますよ」
「やめとくれよ! あんな疫病神とは、二度とかかわりたくない!
鉱山で死んでくれてたと思ったのにさ! それに大嘘さ! あいつは大嘘つきなんだ!」
「どちらが嘘を言っているかは、お嬢さんには明白だと思いますけど?」
彼女が、憎しみを燃やした眼差しでキャロルを睨みつける。
それはどんな魔獣の精神攻撃より恐ろしい。
その後ろにいた男が、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「ふん。てめーの話なんぞ、あてにならねえことは、わかってたさ。
前のダンナが死んだだと?
そして金持ちになった生き別れの娘がいて、好きなだけ金を恵んでくれるだと?
てめーはなんでもかんでも、自分に都合よく話をでっちあげてるだけだろうが。
だが、金持ちの生き別れの娘が実在していたことだけは、褒めてやるぜ」
そして男は、腕をまくる。
このうらぶれた村には似つかわしくない、太い腕だ。
だがキャロルには、ただ太いだけの腕とわかった。
けれど男は、自分の腕の太さと力について、疑いなど抱いてないようだ。
「この小娘は、実の母親を恐れちまってるじゃねーか。
ならいいさ。お前が母親らしいふるまいをするところなんぞ、想像すらできねえからな。
この青二才は始末してやる。お前はもう一度、今度は小娘の新しい父親に手紙を出すんだ」
男はニヤリと、色の悪い唇をゆがめる。
「いや、お前さえ必要ねえ。小娘に手紙を書かせりゃいい。
怪我をして寝込んだ母親の看病のために、ちと帰りが遅くなり、ついでに金が必要だとな」
産みの母の顔色が、この薄暗い小屋の中でもはっきりとわかるほど、さっと白くなった。
彼女にとってキャロルが金づるでしかないように、彼にとっても彼女は金づるでしかないのだ。
そんな男とわかってなお、彼女は男にすがりつく。どのような手段を使っても、男を手元にとどめようとする。
実の娘をダシにすることなど、彼女にとっては当然のこと。
けれど男は、彼女など必要ないと、そう言った。
怒りの形相を浮かべた彼女が、テーブルの向こうから自分に向かって掴みかかってきた。
彼女はいつも、そうだった。いつもこうなのだ。
強いものから受けた理不尽に対する怒りを、こうしてキャロルに向けてくる。
小さな頃から、この彼女を前にしては体が硬くなり、動けなくなり、逃げ出すことができなかった。
そしてやっと、やっと勇気を振り絞って、荒野へと逃げ出し、幸せを掴んだというのに、なのに今、どうして今また動けなくなってしまうのか?
わずかに意思の力を働かせさえすれば、お父さんがキャロルが自身で身を護れるようにと作ってくれた背中のARMが、目の前の敵意の塊を、楽々打ち砕いてくれるのに。
……血が繋がっているからだろうか?
それはそんなに、大事なことなのだろうか?
ふっと隣に、チャックの気配が移動した。
チャックはテーブルに片足をかけ、それを軽く蹴り飛ばす。
動作そのものは、軽くなにげないものだった。
けれどチャックが蹴ったテーブルは、彼女とその夫を、向こうの壁に叩きつけた。
ものすごい音に、キャロルは我に返って立ち上がる。
チャックはキャロルの隣に立ったまま、キャロルの肩にそっと手を乗せ、もう一方の手で軽々とパイルバンカーを操り、壁際に縫いつけられた二人にぴたりとその切っ先を突きつける。
「失礼。お嬢さんに危害を加える相手は、誰であろうと容赦しませんから。
青二才ですが、腕っ節で負けるつもりはありません。
これでも手加減しましたが、怪我をしたとしても、それはあなたがたの自業自得です。ボクは可哀想だとは思いませんよ」
チャックが、きどった声でそう告げる。
けれどその眼差しは、ひどく冷たいに違いない。
彼女は壁際に倒れたまま、ひどく怯えた顔でチャックを見上げている。
男の方は、この若造の予想外の反撃に仰天して、にじりながら壁づたいに逃げ出だそうとしている。
「オレは知らねえぞ! この女に誘われただけだ!」
産みの母は、震えながらチャックに向けて金切り声を上げる。
「あんたなんかに、何がわかるっていうんだい!」
チャックはいったんパイルバンカーを下げ、片手で彼女を押さえ込んでいるテーブルを、にじる男に向けて放り出す。
その直撃を受けて、男はその下で伸びてしまったようだ。
確かにパイルバンカーに比べたら、テーブルなど軽いものだろう。
だが、普段の言動に似合わぬその乱暴なふるまいに、そしてそれを何気なく行うチャックに、キャロルは驚いた。
チャックは腰を下ろして、彼女に顔を近づける。
「ボクはハニースディの出身なんですよ。ご存知かどうか知りませんが、この南東地方にある、ありきたりの農村です。
お嬢さんが村を出たこととその事情は、当時すでにハニースディまで伝わってきてるんです。
これ以上あなたが、どのような理由をつけてであろうと、キャロルお嬢さんにかかわろうとするなら、しかたありません」
チャックは胸ポケットから、ハンターライセンスを取り出して彼女に見せる。
「ボクはあなたと、あなたの夫を、お嬢さんに危害を加える者として逮捕します」
彼女は憎々しげにチャック睨み、ツバを吐く。
「ゴーレムハンターを気取るヤツが、まだいるなんてね」
チャックはそれを頬に受けたまま、大げさに肩をすくめると、彼女に背を向けキャロルと向かい合う。
「お嬢さん。そろそろ帰りませんか?」
ニッコリと、チャックはキャロルに笑って見せる。
まるでツバを吐いた女など、そこに存在しないかのように。
「あ……」
キャロルは慌てて、ポケットからハンカチを取り出して、チャックに差し出す。
「キャロルのハンカチが汚れちゃうよ。もったいない」
そう言ってチャックが自分の手袋でツバをぬぐったとき、キャロルはムカッときた。
しかも『お嬢さん』が『キャロル』になっている。
チャックにお嬢さんと呼ばれるのも、なんだか居心地が悪かったが、ここで素に戻るなと、そう思った。
そしてそのままその怒りをしっかり保つ。
怒りは、度を越さなければ人間の正常な感情の働きの一つにすぎない。
怒りは、行動力を与えてくれる。
今さっき産みの母がしたように、異なる相手に、けれど自分が怒りを向けるべき相手に、正しく向けてやればいい。
キャロルは産みの母を、にらみつける。
そしてはっきり、こう告げた。
「産んでくれたことには、感謝します。でも、これっきりです。
あなたの娘は、荒野に出た時に死んだんです。
そのとき父と出会わなければ、私は本当に死んでました。
だから今の私は、今の父がなければ、存在しません。
私は父の、エルヴィス=PALB_3106の娘です。
もう、あなたの娘のキャロルなど、どこにも存在しないんです」
それだけ言って、キャロルは彼女に背を向けた。
扉を押し開き、小さなその家を出ると、暗い目をした人々が、家のまわりを取り囲んでいた。
家の中から彼女がわめく。
「分け前をやるよ! 娘をとっつかまえとくれ! ベルーニから搾り取るんだ! 男のほうは、殺しちまえ!」
暗い目をした人々の輪が、二人に向かってわずかに縮む。
隣に立つチャックがオーバーアクションと共に、パイルバンカーを構えている。
重いパイルバンカーを振り回すと、しかも両手使いのそれを片手でとなれば、どうしてもバランスを取るために、オーバーアクションになるのはしかたがない。
けれどチャックのそれは、半ば以上にただのカッコつけだろう。
ちらりと横目で見上げれば、やっぱりものすごく楽しそうだ。
「やっちゃいましょう! チャックさん!」
「了解! お嬢さん!」
間合いに突入してきた数人を、パイルバンカーがなぎ払う。
チャックを避け、キャロルのみを狙おうと左右に回り込もうとした者たちを、ミラクルアコーディオンのミサイルが、叩き伏せる。
それで終わった。
なんの手ごたえも、ありはしない。
どちらも本気での攻撃ではないから、誰も命は落としはしないが、たったそれだけで、そこに立っている者は、キャロルとチャックの二人だけになってしまった。
もがいている者も数人いる。
けれどが、今立ち上がって、この二人に挑みかかろうという愚か者は、いないようだ。
チャックが家の中に向かって振り返り、目を丸くしている産みの母に笑いかける。
「実はボクより、お嬢さんの方が強いんですよ」
彼は二本立てた指を振りながら「アデュー」と笑って扉を閉めた。