母をたずねて
6 みすぼらしい村
昼までには、目的地に到着できるはずだ。
キャロルが前を歩き、前を向いたまま、チャックに朝から続く小言を言い続ける。
チャックは後ろを歩きながら、ウン、ウンと、相槌を打っている。
「ウン しか言えないんですか!」
「ウ……、あ、ゴメッ」
キャロルに睨まれて、チャックは、大げさな全身アクションつきで、ゴメンの言葉も慌てて飲み込む。
キャロルは、みよがしに大きなため息をつく。
何度かそっと後ろを振り返るが、そんな時はそのたびに、どうしたの? とでも言いたげな笑顔が返ってくるばかりだ。
なぜこうも、この人はわざとらしいほどに濃すぎるか空気かの、どちらか極端な反応しか返せないのだろう?
多人数ならともかく、そんな彼との二人旅は、普通以上に疲れるではないか。
ディーンなら、いや他の誰でも、隣に並んで歩き、普通の笑顔と普通のおしゃべりが、できる気がする。
教授であれば前を歩くかキャロルを抱き上げ、尽きることのない様々な薀蓄を語ってくれる。
なぜ彼は、黙ったまま私の真後ろをついて歩くのか?
「あれかい?」
チャックの声に、しばらく自分も黙りこくって歩いていたことに気がついた。
そして振り返り、彼が指差すほうを眺めると、白茶けた岩山に隠れるように、わずかに人工的な直線と、そこから突き出すテレビのアンテナが見えている。
「だと思います」
へらへらした笑みを浮かべるチャックに、眉をひそめる。
チャックはそんなキャロルに、ニッコリ笑いかける。
「大丈夫だよ」
「何がですか?」
「うまくいくさ」
「産みの母と会って、直接もう縁はないと、はっきり言うだけです。彼女がどんなつもりであっても、私の意志は変わりません。
だから、うまくいくも、いかないもありません」
「そうだね」
チャックは、わかっているのだろうかと不安になる。
けれど自分は、今自分が言った通りにやるだけだ。
これは大事なことだから、手紙ではなく、どうしても直接言わなければならないのだ。
キャロルは、胸の内で大きくなっていく不安を吐き出すように、大きなため息をついた。
無言で岩山の合間の小さな道を登っていく。
やがて雑然とした村が、見えてきた。
そこはキャロルが生まれ育った村を思わせた。
確かに、最近できた村らしい。やっつけ仕事のバラックを寄せ集めのような住宅と、手入れの悪い小さな畑。
手紙にあった通り、どうしようもない貧しさが、ここにはある。けれど手の入れようは、いくらでもある。
隠れ住まなければならなかったとしても、もっとましな場所だってあったはずだ。
今からだって遅くはない。各地で人手が必要とされ、贅沢さえいわなければ、働き口はいくらでもある。
旅することも引っ越すことも、もはや禁じられていないのだ。
いや禁じられた時代に、ここの人々は旅をし、ここへ移り住んだはずではなかったのか?
来訪者に気づいて集まってきた人々の、無気力と怠惰と、他者への羨望と憎悪に染まった、暗い眼差し。
働けぬ老人と、技術のない子どもばかり、というわけでもない。
身にまとうのは、いかにもなボロ着。
そうしたものしか手に入れられない人々がいることは、知っている。洗濯して清潔に保つほどの水に恵まれない地域も、少なくはない。
だいたい渡り鳥こそ、荒野を渡る旅の間は、体を洗うことも、洗濯をすることも、滅多にできないのが普通なのだ。
だからこそ、わかる。
水さえなくとも、顔についた泥を落とさず、髪に手ぐしさえ入れぬ理由は、どこにもない。
対比して、キャロルもチャックも、短い旅とはいえ砂ぼこりには、まみれている。
それでも二人は、浮いていた。
世界最大の都市、ライラベル仕込みの服は、多少砂まみれになろうとも、精彩を放っている。
特にキャロルは、この伸び盛りで以前の服は着られなくなり、最近新調したばかり。
この所テレビに出るばかりで、ライラベルから出ることがなかったため。荒野向きの服ではないのだが、少しばかり荒野を渡ったくらいで型崩れするような安物ではない。
高級ブランドを着る、という趣味はないのだけれど、教授がやたらとキャロルの服を買いたがるのと、たとえ背が伸びて着られなくなるとしても、上等な服を買った方が、結局は安上がりだと理解した。
中古として売れるからだ。
このところ伸び盛りのせいか、服が傷むよりも早く、サイズが合わなくなってしまう。
髪も、テレビ局内の美容院でセットもカットも、してもらっている。それがキャロルのチャームポイントだと、リボンを逆さにしか結んでくれないのには、閉口するが。
チャックの方は、以前と変わらず同じ服を使い続けているので、使い込まれた感がたっぷりある。けれど手入れが十分されているのと、元の作りがよいせいか、型崩れなどはしていない。
人々は何も言わぬまま、ただこの二人の来訪者に敵意を向けている。
ざっと見たところ、ARMを持つ者は数人で、しかもベルーニがニンゲンに貸与される最低限の標準品。それをこちらに向けてもいない。
こちらは二人しかいないが、どうやらチャックのパイルバンカーを、警戒しているらしい。
ガンタイプと違い、ぱっと見では、どう使うのかもわからないARMだが、ニンゲン用のARMの中では、最大級の大きさと重量がある。
事実、うまく使えば、破壊力もある。うまく使うのが、とことん難しくはあるのだが。
それでもキャロルはもう見慣れていたし、さらに大きな特殊ARMを操るベルーニと戦っているうちに、パイルバンカーが大型ARMだということすら忘れていた。
それに性能だけでいえば、キャロルのミラクルアコーディオンの方が、ずっと高い。お父さんの愛がつまった一点もので、事実キャロルにしか、使いこなせないといっていい。
が、なんだかわからないがARMには違いないパイルバンカーと違い、ミラクルアコーディオンの外見は、背負いカバンそのものだ。この外見とコンパクトさ自体も、お父さんの愛の現われ。
そしてパイルバンカーも十分珍しいARMなのだが、ミラクルアコーディオンとなれば、存在自体が知られていない。
ついでに言うなら、キャロルの外見年齢なら、ARMを持ってないのが普通である。テレビの中でも、これを披露することなど、まるでない。誰もこれがARMだとは、思っていないだろう。
けれど人々は、二人が誰であるか、気づいたようだ。
あるいはキャロルが誰であり、誰を訪ねて来たのかに。
それでも黙り込んだまま、じっとこちらを見つめて、様子をうかがっているばかり。
「キャロル!」
キャロルがいたたまれず、人々に声をかけようとしたとき、その人々の後ろから、一人の女が、耳障りな声で叫びながら駆けてきた。
産みの母だった。
記憶よりも、ずっとやつれ、老いている。
こんなに小さな人だっただろうかと、そう思った。
きっと自分が大きくなった分、小さく見えるのだろう。
それでも体がビクンと震えて硬直した。
小さくて無力な昔の自分に、戻ってしまったような、そんな気がした。
彼女はキャロルに駆け寄ってくる。
その両手を広げ、大げさな抱擁しようとしているのだと、頭ではわかる。
けれどキャロルの感情は、ぶたれると判断して、硬く目を閉じ、両手は頭をかばおうと上がる。
怖い!
たとえ抱擁されるとしても、それが怖くてならなかった。
人が怖くてならない昔の自分に戻っていた。
テレビの番組の一つに、生き別れの誰かを探すという再会もののバラエティがある。
そして毎週、涙しつつの抱擁か、あるいはすでに他界していた相手の墓の前で、涙にくれる姿が、テレビに映し出されている。
テレビ局に出入りしているうちに、誰かを探す誰もが、そんな結末を迎えられるとは限らないことを知った。
様々な事情で、探されている方が再会を望むとは、限らないからだ。
テレビで紹介される感動のラストは、嘘のまじらぬ事実の映像ではあるらしい。
それでもキャロルには、その感動の涙の抱擁が、嘘っぽく見えてならなかった。
身を硬くして待ち構える。
が、その衝撃は、いつまでたっても襲ってはこなかった。
そっとまぶたを上げると、見慣れた細身の黒い背中が、自分の前に立っている。
今までずっと自分の後ろにいたチャックの背中だ。
彼女と自分の間に割って入っている。
「あんた誰よ。なんで邪魔するのよ」
彼女が文句を言っている。
「ボクは、『エルヴィス教授のお嬢さん』の護衛ですよ」
チャックは、軽い調子でそう告げた。
「あたしは、キャロルの母親だよ!」
チャックの背中が、肩をすくめる。
「そう自称する方は、何人もいらっしゃいましてね」
チャックの言葉に、キャロルは目を丸くした。そんな話は、あったためしがない。
そしてびっくりしたのは、彼女も同様であったようだ。
「あたしは、本物さ! テレビで行方不明の娘の姿を見つけて、会いたくなって手紙を出した。ただそれだけだよ!」
チャックはもう一度、肩をすくめる。
「ボクにとっての事実は、彼女が『エルヴィス教授のお嬢さん』であることですよ。そしてボクの仕事は、エルヴィス教授の許へ、お嬢さんを無事に帰すことでしてね」
彼女はチャックの後ろへ回り込むようにして、キャロルを覗き込もうとする。
キャロルはチャックを盾にして微妙に位置をかえて、顔を合わせることを避け、チャックは腕を広げて覗き込もうとする彼女の行動を制限する。
「キャロル、忘れたわけじゃないだろ? 血が繋がった母子だもの。ね?」
哀れっぽい声を聞かされて、キャロルはチャックの背中にしがみつく。そして小さな声で、こう言った。
「あのチャックさん。一応本物です」
その声が、彼女にも聞こえたのだろう。
「ほら! 言った通りだろ! あたしは間違いなく、キャロルの母親なんだ!」
勝利宣言と共に、改めてキャロルに近づこうとする彼女を、チャックはなおも阻んでいる。
「なにすんだい! あたしはあんたが護衛する、キャロル・アンダーソンの母親なんだよ! ちょっとは敬意を払ったらどうだい?」
「ボクは、キャロル=PALB_3107お嬢さんの護衛なんですよ」
チャックは、ことさらキャロルの、書類上の新しい名前を強調する。
ベルーニのエルヴィス教授の娘であることを現す名前だ。
「血の繋がった母親であっても、お嬢さんがそう望み、なおかつお嬢さんに害をなさないとわかるまでは、誰も近づけさせないのが、ボクの仕事なんです。
とりあえず、彼女があなたの許を離れた経緯でも、お聞かせ願えませんか?」
とたんに、彼女が引いたのがわかった。
「ケッ。なんだかんだ言ったってベルーニの犬じゃねーか」
まだ遠巻きにしていた人々の間から、小さなつぶやきが漏れる。
「わかったわよ。でも、ここで立ち話もなんだし、あたしにだって娘とつのる話もあるんだ。家へ入っておくれよ」
人々の白い目。
頭に響く彼女の声。
キャロルは、現状に耐えられなくなりはじめていた。
「あの、チャックさん。そうしてください」
チャックは肩をすくめると、キャロルの隣に立つ。
そしてキャロルの、産みの母に対し、案内するようアゴでうながした。