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母をたずねて 5

5 南東地方

 南東地方で列車を降りて、再び徒歩の旅を始める。
 キャロルが育った村があった地方だ。
 といってもその村は、ずいぶん前になくなっている。
 目指すのは、手紙で知らされた、小さな村。
 南東地方の村がいくつも崩壊しはじめた頃、行き場を失った人々が寄り集まり、ベルーニの目から隠れながら暮らし始めて出来た、隠れ里の一つらしい。
 こうした隠れ里も、新体制と共に違法ではなくなった。
 その機に存在を明らかにした隠れ里もいくつもある。
 が、まだ新体制が信じられず、ひっそりと隠れ住むことを選ぶ人々もいる。
 なにしろディーンの故郷であるカポブロンコですら、療養中のアヴリルの身辺を騒がせたくないという理由で、いまだ隠れ里のままなのだ。
 といってもカポブロンコの場合は、政府の公の資料に記載されていないというだけで、しっかり政府は、その存在を把握している。
 まあ、ディーン=政府なのだから、当たり前の話ではあるのだが。

 そんなカポブロンコは例外として、今キャロルが向かっているのは、まだ存在を公にしていない、名前すらない隠れ里の一つであるらしい。
 キャロル自身は、もはや隠れ里の存在理由はないと思っている。
 新しい政府は、無理な年貢の取立てなどしない。
 貧しい地域でも再生が可能と判断されれば、さまざまな援助を受けられるし、その可能性が薄ければ、移住の相談にも乗る。
 まだそうした新しいシステムは、完全でも完璧にも程遠い。けれどストリートチルドレンたちが寄り集まって暮らしていたミッシーズミアは、子どもたちの自主的な暮らしというその特色を残したまま、劇的な変化を遂げつつある。
 こんなことは、以前なら考えられなかったことなのだから、信じられない人がいるのも、わからなくはないのだけれど……。

 今でも各地で労働力が不足している。
 ニンゲンの独立の前の一時期は、特にそれが顕著だった。
 Ubによるベルーニの急激な人口の落ち込みは、教育を受けた技術者の損失でもあった。
 さらに穏健派と強硬派の対立が、危険な重労働を必要とする生産の現場から、ゴーレムを不毛な戦闘用配備へと振り向けさせた。
 現場はその不足を、ニンゲンの人海戦術で埋めようとした。
 東南地方では、ナイトバーンがその空白を埋めるように鉱山事業をはじめ、そこに労働者を集めるために、年貢の率が引き上げられた。
 そうすれば年貢を納めきれない者たちや、喰うに困った者たちが、より鉱山に集まるというわけだ。
 多くの人が出稼ぎに出て、そして帰ってこなかった。
 ベルーニ兵による年貢を納めきれない者たちを集める労働者狩りもあったし、奉公人を集める人買いもやってきた。
 あとでわかったことだけれど、体格のいいニンゲンが、ベルーニのふりをしてニンゲンを狩り、報酬を受け取るという、誘拐と人身売買も、含まれていたらしい。
 無茶な労働者狩りや、飢えに絶えられず、村から逃げ出す人もいた。
 労働力を失った東南地方の農村は、畑を維持できなくなって悪循環に陥った。そして次々と消えていった。

 キャロルは思う。
 もし自分の父親が、この労働者狩りに連れていかれていたら、自分の人生は違っていたものになっていたかもしれないと。
 彼が遺伝子上においても、事実キャロルの父親だったのかどうかは、怪しいところだ。
 似ているところはカケラもなかったし、あまり熱心にも働かなかった。
 産みの母のヒモに近かった。
 キャロルは本心から、自分と彼に、似ているところがなくてよかったと、そう思う。
 あるいは自分が、奉公に出ることができていたら、どうなっていただろう?
 鉱山労働者の扱いは、それこそ人間扱いされないひどいもので、労働者は使い捨てにされ、多くが命を失ったという。
 一方女性向けの奉公は、キャロルの想像と、まったく違っていた。
 もちろん一部には、ひどい扱いを受けた女性もいたようだ。
 けれど大半の女性にとっては、奉公先のほうが故郷よりもマシ、という状態だったらしい。
 特にしっかりした奉公制度のあるトゥエールビットに働き口を得た女性たちは、年季を終えても故郷に帰ろうとはしなかったそうだ。
 故郷を見捨てた者ばかりではない。
 帰る前に故郷を失った者もいれば、年季を終えても、帰って畑を耕すより、街で働き続けたほうが、ずっと実入りがよかったのだ。
 それになにより、ベルーニ主体の街は、大都会のライラベルであれ、落ち着いたトゥエールビットであれ、ニンゲンにとって、あまりにも魅力的だった。
 キャロルもまた、お父さんに連れられてそうした街に足を踏み入れた時には、ここは夢の世界かと目を丸くした。
 その豊かさばかりではない。そこで暮らす人々の表情が、キャロルが生まれ育った村とはまるで違ったからだ。
 後に、敗残者には居場所がないという厳しい現実も知ったけれど、それでもそうした街は、まったくチャンスがない寒村よりも、ずっと魅力に満ちている。

 同じ南東地方に、チャックの育った村もある。
 そしてそのハニースデイは、今でも村として存在している。
 新体制になってから、ジリ貧の状態からは抜け出したものの、貧しい農村であることには変わりないらしい。
 ナイトバーン体制が始まる前から、割と近いということもあり、男たちは冬になると、ポンポコ山へ出稼ぎに出かけていっていたそうだ。
 そしてチャックの父親は、ナイトバーン体制がはじまった年、春になっても出稼ぎから帰ってこなかった。
 その身を案じて、無断で山まで出かけ潜入したチャックの目の前で、彼の父は落盤に巻き込まれ、命を落としたという。
 よい父親だったのだろう。
 それはチャックの当時の行動や、その嘆きを見るだけでも、よくわかる。

 世の中は、うまくいかないものだ。
 自分の父親が山に連れていかれて命を落とし、チャックの父親が生き延びていればよかったのに。
 そう考えいることに気づき、キャロルは自分が怖くなる。
 けれど思いなおす。
 そのほうが、本当にどんなにかよかったのに、と。

 産みの母から来た手紙によると、彼はキャロルが逃げ出してから間もなく、結局労働者狩りに捕まった。
 その後は消息知れずのまま、村に残っていた者たちも離散した。
 産みの母は、噂も聞かぬというただそれだけで、彼が死んだと決め込んで、別の男と再婚したらしい。

 キャロルは、てくてくと荒野を歩く。
 チャックは、その後ろをついていく。
 列車の中でのおしゃべりは、キャロルにとっても楽しいものとはいえなかったし、同じ小言を何度も繰り返していたように思う。
 話すことにも疲れて、てくてくと歩く。
 背後にチャックの気配は感じるのだが、まるで一人旅のようだ。
 一度チャックが話しかけてきたのだが、どうでもいいくだらないことだったので、「考え事のじゃまをしないでください」と、拒絶した。
 チャックは「ウン」と返事して、それきり話しかけてこなかった。

 なぜチャックは、本当は話しかけて欲しいのだということに、気づいてくれないのだろう?
 振り向けば、きっとニッコリ笑いかけてくるのだろう。
 その笑顔を見るのがいやで、キャロルは前を向いたまま、後ろのチャックに話しかける。

「チャックさん。そろそろここで、キャンプをしましょう」

 正直、思いつきでそう言った。

「ここで? もうちょっとマシな場所を見つけた方がいいと思うけど?」

 だだっぴろい、荒野のど真ん中だ。

「ここがいいんです!」

 別に、ここがいい理由などない。
 けれどチャックに逆らわれるのが、いやだった。
 チャックはそれ以上逆らいもせず、モノホイールを呼び出して荷物を下ろすと、手早くテントを作っていく。
 キャロルも焚き火を作り、湯を沸かす。
 今回は短い旅でもあり、保存食だけですませるつもりだった。
 キャロルも、食料は持ってきている。
 どんなに短い予定の旅でも、荒野では何があるか、わからない。
 その日のうちに次の人里へ渡れるはずであったとしても、一通りの荷物を持ち歩くのが、旅のセオリーだ。
 チャックは、自分の荷物から下ろした鍋と食料を使って、さっさと二人分を作っていく。
 ピクニックではないのだから、二人が別々に弁当を食べるわけではない。だから、当たり前といえば当たり前。なのに、なんだか頼りっぱなしが癪にさわった。

 チャックは、頼りないはずではなかったか?

 しかし考えてみれば、チャックも一人旅の時期が長いのだ。別に何もおかしな話ではない。
 みんなと一緒に旅をしていたころも、チャックはこうした当番を、そつなく自然にこなしていた。
 印象に残っていないのは、ディーンと違って大騒ぎにならないからだ。
 両親を早い時期に失ったディーンは、食事面をレベッカ母娘に依存していたらしい。
 ゴーレムパーツを掘り出すのだと、里の周辺をほっつきあるくうちに、食料集めや焚き火作りも覚えたと言っていた。
 だが、ちゃんとした料理は、からっきしだった。
 肉も芋も丸焼きで、せいぜい塩を振る程度。果物はもちろん丸かじり。
 ちゃんとした料理は、里へ帰ればいつでも食べられる。集めた食材を渡す方が、むしろ喜ばれる。となれば、料理の習慣がつかなかったのも当然だろう。
 そんな生活ができたのも、なによりカポブロンコが隠れ里で、ベルーニに年貢を納める必要がなかったからだ。
 しかも畑にできる土地は小さくて、むしろ村の中での労働力はあまっていたという。

 キャロルは両親がいてもなお飢えた。
 チャックの父は出稼ぎをしてでも家族の口を見たそうとし、チャックも両親を亡くした後、それなりの苦労をしたらしい。
 一人旅を経て仲間たちと旅をするころには、二人共一通りのことはできるようになっていた。
 もちろん人里にいる時のようにとはいかないし、ライラベルの生活を垣間見るかぎり、チャックは街ではほぼ外食ですませているらしい。
 自宅のあるキャロルと違い、キッチンのないギルドの宿泊所住まいだから、そうなってしまうのも当然だろう。
 また、多人数の旅では、手が込んだものを作る余裕など、ほとんどない。一つの焚き火で人数分をとなれば、料理のバリエーションは、限定される。
 たった二人で、さらにモノホイールに荷物を運ばせての、短いとわかっている旅では、料理もいつもと違ってくる。

「はい、どうぞ」

 差し出された皿に盛られているのは、鶏肉と野菜がゴロゴロしているスパゲティだ。見た目は悪いが、お腹が鳴って、聞かれはしなかったと、心配になった。

「飲み物はコーヒーにする? 紅茶にする? それともココアがいい?」

「そんなに持ってきてるんですか!」

 チャックは笑顔で、返事を待っている。

「ココアにします」

「お砂糖とミルクたっぷりでいいかい?」

 それまで持ってきたのかと、何かいいたげなキャロルの顔に、チャックは笑顔の口元を少しだけひきつらせ、先手を取って「ゴメン」とあやまる。

「悪いことしてないのに、あやまらないでください」

 チャックは「ゴメン」といいかけて、あわてて「ウン」と言い直したようだ。

「お砂糖とミルク、たっぷりでお願いします」

 チャックがココアの用意をしている間に、キャロルはスパゲティに手をつける。
 おいしそうな匂いはするが、見た目通りの大味だろうと思った。
 確かに塩味のシンプルなスパゲティながら、ライラベルのレストランにも負けないほどに、おいしかった。
 胡椒と、ガーリック。バターと、かすかなレモンの香り。他にも何か隠し味が使われているようだ。

「おいしい?」

 チャックに聞かれて、思わずうなずく。

「よかった」

「きっと、たくさん歩いて、お腹が減っているからですね」

 おいしいのが悔しくて、そんな言葉が思わず口をついて出た。
 しまったと思ったけれど、チャックは笑顔を崩さない。

「そうだね。徒歩で旅しようっていった、キャロルのおかげだよ」

 チャックはそう言って、キャロルの足元の平たい小さな石の上に、ココアの入ったカップを置く。
 そして自分の分を皿によそい、食べ始める。

 塩味のスパゲティに、ミルクたっぷりの甘いココアは合わなかったけれど、それでも十分においしくて、満ち足りた。

 その晩は、チャックが先に見張り番をして、テントの中で一人寝入る。
 お父さんを追いかける一人旅をしていたころは、極力夜は人里で過ごすようにしていたけれど、宿に部屋をとっても一人で寝るには違いない。
 野外でキャンプすることもあったけれど、見知らぬ渡り鳥のキャンプにお邪魔させてもらうことも、しなかった。集団同士や、腕に自慢があるならともかくも、キャロル一人の旅では、相手次第でそれはひどく危険なことになりかねない。

 一人が、怖い。
 けれど人は、いつ豹変するかわからない。信頼できる人が一緒なら、それが一番だ。
 テントの外で、焚き火がはじける音がする。
 テントの分厚い布越しに、チャックの気配が感じられる。
 ひさしぶりにたくさん歩き、キャロルはぐっすりと眠り込んだ。

「どうして起こしてくれなかったんですか!」

 気がついた時には夜が明けていて、消えかけた焚き火の前で、パイルバンカーをかかえて座っているチャックを、とりあえずキャロルは叱りつけた。

◆続き