母をたずねて
2 暇そうな人
「ふうん。悪いお父さんも死んじゃったし、新しいお父さんは優しいから、キャロルに戻っておいでと……」
「内容を声に出さないでください!」
「ご、ゴメンゴメン!」
ライラベルの裏通り、とはいえ暗いイメージのない閑静な通りにある喫茶店。そこにギルドにいたチャックを呼び出して、手紙を見せてまもなくのことだった。
午前中の、けれどモーニングサービスが終わった直後で、他に客はない。
けれど、だからといって、声に出していいことと悪いことがあるとばかりに、キャロルはチャックを叱りつけた。
毎度ながら、なんて気のきかない人だろうと思う。
……毎度というほどに、キャロルに叱られるチャックという組み合わせは、この喫茶店ではたびたび見られる風景になっている。
チャックは、皆との旅の途中でその気になったとばかりに、ゴーレムハンターギルドに足しげく通い、再建するのだと頑張っている。
が、キャロルが見たところ、なんの進展もなければ、将来性もなさそうだ。
今までハンターにのみ許されていた特権である、旅も、ゴーレム探索も自由化されたし、ファルガイア・エクスプレスも料金さえ支払えば誰でも乗れるようになった。
ベルーニの下位組織でしかなかったギルドは、新政府下の組織として存続しているとはいえ、それほど魅力があるとは思えない。
事実ハンターたちの大半は、それこそナイトバーンから見習いまで、散り散りになり、ギルド会館は閑散としている。
まあ、ナイトバーンがテレビ局でプロデューサーをしているのは知っているけれど、ゴーレムハンターとしてのナイトバーンは、完全に鳴りを潜めている。それもギルドが、新時代の到来と共に、存在意義を失った現われだろう。
キャロルも、チャックに、ギルド再建の立役者になれと煽った一人ではあるけれど、状況がこうなってなお、彼がそれにこだわり続けるとは、思わなかった。
結局、新政府の人手が足らずに困っているというこの時期に、それこそまだ実権を握るベルーニたちに囲まれたディーンは、気心の知れた人手を必要としているのに、ギルドの再建にこだわるというのは、ゴーレム好きが高じて遊んでいるとしか、言いようがない。
自分やレベッカは、新しい時代のイメージ戦略の一環として、テレビに登場し続けている。ややこしい状況のアヴリルには静かな生活が必要だし、グレッグは一人で一つの街を護っている。
なのにチャックだけが、好きなことをして遊んでいる。それをディーンがそれを認めているのも、同じくゴーレム好きだからに違いない。
そのことで、会うたびに小言を言い続けてきたが、チャックはのらりくらりと言を左右して、ギルド再建に精を出し続けている。
ならば、とキャロルは思う。
このチャックであれば、遠慮なしに私用に使っても、かまわない。
そしてこればかりは、絶対に引き受けさせると、そう誓った。
が、しょっぱなからこの調子で、その誓いを後悔しはじめたというわけだ。
いや、だからこそ少しばかりチャックにちゃんと護衛の仕事をさせて、しっかりさせる必要があるのだと、キャロルは考え直す。
数日でも一緒に旅をすれば、少しは躾けなおすことが、できるかもしれない。
「それでですねチャックさん。産みの母のところへ行って帰ってくるまで、私を護衛して欲しいんです」
「え? 行くの? やめておいたほうがいいんじゃない?」
この反応に、キャロルは逆に驚いた。
チャックは、一番最後に加わった仲間で、しかも空気みたいにあっというまに溶け込んだ。
別にそれ自体はかまわないのだが、それこそディーンたちが旅を始めた事情も知らないのに、目的を同じくした後は、なんとなく溶け込んでいたのだ。
それはそれで、一種の才能のような気がしないではない。
そのくせ、言葉端からうかがい知るに、ハンターとしての獲物であったグレッグについては詳しいようだが、普段の言動にはあらわさない。
ならば自分の事情について、チャックはどこまで知っているのだろうと、考える。
きちんと話したことがあっただろうか?
テレビでは、いろいろと仲間のプロフィールが公開されてしまっているが、キャロルが両親に虐待を受けて逃げ出した、というところは、テレビ局止まりで開かされてはいない。
けれど仲間内の話で、そうと知られてはいたような気がする。
いや、確かに一度、チャックの前で、自分からそんな話はした。
その時の話の流れで、ディーンに
「俺の妹になれ!」
と言われて、ひどく舞い上がってしまったことを覚えている。
キャロルは小さくため息をつく。
チャックは、空気みたいにそこにいるけれど、チャックにとっても他人は空気みたいなものなのではないだろうか?
他人が自分に危害を加えてくるのではないかと、いつもビクビクしていた自分には、とうてい想像もできないが。
逆にキャロルは、チャックのことをよく知っている。
というか、しょっぱなの出会いから、チャックは自ら自分の事情と最も情けない部分を、これでもかというばかりにさらけ出した。
強がって当り散らす人や、あきらめきって無気力になっている人はいくらでも見てきたし、チャックも最初その後者の一人としか見えなかった。
が、叫びながら駆け出していくのを見て、煽られやすい人物なのだと評価を変えた。
さらに評価は、弱くて情けなくて頼りない人へと変わっていった。
彼を見て、なるほど自分はしっかり者なのだと、初めて自覚した。
彼を見ているだけで、イライラさせられた。
両親を亡くして自分を疫病神だと思いこみ、逃げ出した。
しかも自分のミスで死なせた、とかいう話ですらないらしい。
こんな話があって、いいものだろうか?
自分も両親には、疫病神だと罵られた。
けれどキャロルは、事実両親こそが自分にとっての疫病神だと知っていた。
その両親に、ベルーニの人買いに売られそうになったとき、実の所両親から離れられることに安堵した。
どんな仕事をする羽目になったとしても、どんなに暴力をふるわれたとしても、今より悪くはならないだろうと、そう思った。
同じひどい目に合わせられるなら、両親からよりも、赤の他人からのほうが、ずっといい。
しかしベルーニの人買いは、キャロルは小さすぎるから奉公人として雇うことはできないと言って、帰ってしまったのだ。
落胆した両親は、キャロルを放置した。
同じ家の中に両親と共にいて、分け与えられるパンもなく、もぐりこむ一枚の毛布すらない。
たとえキャロルが残飯を漁って口にしても、両親の目にはキャロルの姿は映ってはいないようだった。
両親にとって、キャロルはすでに存在しない空気であり、そしてキャロルにとっても両親は空気だった。
互いが互いの存在を認めあうのは、ただ暴力を振るい、振るわれる時に限られた。
もはやその暴力すら、この家からは消え去った。
それにキャロルは、耐えられなかった。
だから両親を捨てたのだ。
苦しんで、苦しみぬいた上での選択で、けれど常識というものに責めたてられて、自分がひどく悪い子に思えて落ち込んだ。
それに比べたら、このチャックという青年の悩みは、なんと温く、そして常軌を逸した幼い思い込みなのだろうと、そう思った。
もう少ししっかりして欲しいものだと、それがチャックに対する第一印象で、その後少しは変わりはした。
普段はむしろおとなしく落ち着きがあり、微笑んでいることが多いとか、日常的なことも戦闘も、一通りそつなくこなすとか。
そこだけ見ていれば十分大人っぽいというよりは、ひっかかりのない空気なのだけれど、油断したころに唐突に妙な言動で、周囲をあきれさせるとか。
けれど頼りないという評価だけは、ずっと、そして今だに変わりはしなかった。
へらへらと笑いながら自分を見ているチャックを、キャロルは精一杯睨みつける。
「行くか、行かないかは、私が決めることです。私はチャックさんに、護衛をお願いしたいだけなんです」
「行って、会って、どうするんだい?」
「チャックさんには、関係ありません」
「キャロルの判断には、もう口を挟まないよ。でも護衛だろ?」
「ですから!」
と言いかけて、キャロルは気がついた。
チャックは、旅の護衛を前提に話しているのではない。
キャロルが会う相手から、キャロルを護る話をしているのだ。
それを臭わせるようなことは、手紙には一切書かれていなかった。
まるで砂糖をまぶしたように、甘い言葉と親子の情に訴える言葉が、並べられているだけだ。
そしてキャロルは、それこそ自分が求めた護衛だと、気がついた。
もしそれが、この用件でなかったならば、キャロルは護衛など思いつきもせず、一人で向かったであろう場所に、その目的地はある。
どうやら無意識のうちに、違う意味での護衛を、付き添いを求めていたらしい。
「キャロルがどうしたいのかは、知っておきたいな」
「縁を切ってきます」
へらへら笑うチャックに、きっぱり言い切ると、チャックは笑顔を抑えて、困ったような顔をした。