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(C)hosoe hiromi

アヴリルの家出

3 キミの記憶

 チャックはふいに立ち止まり、振り返った。
「キミが知っているセレスドゥのことを教えてよ」
 アヴリルは、先を歩くチャックを見上げる。
「月の守護獣ということしか知りません。ただ……」
 アヴリルは言いよどみ、そしてチャックをしっかりと見据えて言葉を継ぐ。
「災厄は司っていたという話は、なかったと思います。もしそうであれば、守護獣の反存在、星に害なす災厄獣としてカテゴライズされていたはずです」
 チャックは悲しそうに微笑み、そして 「ありがとう」と小さくつぶやくと、再び山を登り始める。
 アヴリルはその背に向かって語りかける。
「けれどチャックのセレスドゥは、やはり守護獣ではないかと思います」
「ボクの、かい?」
「はい」
 月はさらに傾き、二人は頂に近づきつつある。
「ボクは、何者なんだろう?」
 振り向かぬまま発せられたチャックの問いに、アヴリルは戸惑う。
「月のミーディアムを、ボクの手に留まるように作ったキミなら、知ってるんじゃないかい?」
「わたくしは……」
「教授が言ってたんだ。もしキミに、本当に一万二千年前の記憶しかないのなら、すぐにはボクたちと言葉を交わすことさえできないはずだって。
 なにしろ遺跡に残るキミの時代の言語は、今とはまったく違うんだ。口語もそうであったはずだよ」
 アヴリルが立ち止まり、月の光を浴びるチャックの背を、じっと見上げる。
 アヴリルが立ち止まった気配に、チャックもその歩みを止める。
 けれど、振り返らない。
 細く軽い金の髪が、月の光を含んでいる。
「それだけじゃない。キミはさっき、暗くて寒い場所を怖がってたよね? 暗くて寒い荒野を渡ってきたキミは、ひどく怯えていた。
 なぜだい? キミが過去からやってきたなら、実質コールドスリープしてないのと同じはずだろ? なら、それを怖がる理由はないはずだよね?」
 チャックにとって、それは推測でしかない。今のアヴリルが、暗くて寒い場所を怖がっていることも、以前のアヴリルが、長期のコールドスリープが原因で、それを怖がるようになったであろうことも。
 けれどアヴリルは、否定しなかった。

「いつか、気づかれると思っていましたが、チャックに指摘されるとは、思っていませんでした」
 チャックは肩をすくめる。
「それも、ボクたちと一緒に旅をした時の印象のせいなのかな?」
「そうですね。チャックは人に踏み込まないものだと……」
「けど、レベッカは気づいてるんじゃないかな? レベッカの日記に、どこまで書かれているのか知らないけれど、それにしたってキミはボクたちのことを知りすぎてるし」
「はい。けれどレベッカは、気づかぬふりをしてくれます」
 アヴリルは言いよどみ、そして話すことにしたようだ。
「わたくしは、ループしていません。次元の乱気流に巻き込まれた直後、記憶の混乱によって大半を失った状態だったのも事実です。
 そしてレベッカの日記を手がかりに、わたくしの記憶を取り戻しました。みんなと一緒に、旅をする記憶です。
 ですがそれは、別人になった夢を見ているかのような、奇妙な記憶でした。
 確かにわたくしは、この時間軸のループ中のアヴリルと、記憶を共有しています。
 その意味までは、わからなくとも」
 ゆっくりと振り向いた、月の光に照らされたチャックの頬は、ひどく青ざめていた。
「もうすぐ月が沈む。夜明けもまもなくだ。少し急ごう。けれど足下には気をつけて」
 ただそれだけ言ってまた背をむけ、歩き始める。
「チャック! わたくしは、知っていました! 月のミーディアムを手にしたチャックがどうなるかを!」
 チャックは立ち止まらず、山を登り続ける。
「あはは! だから何だって言うんだい? 月のミーディアムのせいだなんて、なぜわかるんだい? もとからボクは疫病神だったのかもしれないじゃないか!
 それに確かにキミは、知っていたのかもしれない。ボクがかかわる人々を失うことも、グレッグが奥さんと息子を失うことも。それから宇宙へ出た古代の強硬派が、ベルーニとして帰還することも、ベルーニとニンゲンの軋轢で、多くの人々が不幸になることも、そのベルーニたちがUbで死んでいくことも!
 けれどそれは、キミのせいじゃない。キミは知っていただけだ。どうにもならない。どうにかしてたら、ボクたちそのものが、最初からいなくなってたかもしれないじゃないか!
 何かしたとすれば、キミはミーディアムを作ることで、その被害を抑えたんだ。
 それにこうなるとわかっていて、この道を選んだのは、キミじゃない。選べたって、どうしようもない! あまりにも遠い未来の出来事だよ! 手の出しようなんかあるもんか!」
 くるりと全身で振り返ったチャックは、見開いた眼差しでアヴリルを見つめながら、けれどその瞳に何も映さず、満面の笑みを浮かべていた。
「チャックは、あきらめられるのですか?」
「過去は変えられないよ。
 ゴメン。責めるつもりじゃなかったんだ。一番苦しんでるのは、キミなのに。
 キミは、キミの世界と大切な人を全て失って、ここへ来たのに」
 その言葉に、アヴリルは息を呑む。
「キミの時代の遺跡を調べるほどに、すごい時代だったんだなって、圧倒されるよ。
 地平線まで覆う都市や、ライラベルの何倍もある摩天楼。ポンポコ山がまるごと人工物だったって知った時は、本当に驚いた。
 けれど今は全て遺跡なんだ。文明は受け継がれず、ボクたちの先祖は今に残るようなものさえ作り出せなかった」
「わたくしたちは、過ぎたことをして、その全てを失いました」
「行き過ぎたからって、それが全部いけなかったなんてこと、ないだろ?
 その時代じゃなければ、ミーディアムは作り出せなかった。ミーディアムがなければ、今頃ベルーニは、そしてボクたちも、滅びてたかもしれない。
 たとえその一つが、疫病神を生み出したとしても、世界全体から見れば、そんなにたいした災厄をもたらしてるわけじゃない。
 ただボクは、なぜボクなんだろうって、そう思わずにはいられないんだ」
 しばらく二人は黙り込む。
「チャック、わたくしの手を引いてくださいませんか?」
「え?」
 チャックは驚きを隠せない。
「月は傾き、空が白んできました。まもなく夜明けです。チャックがわたくしに見せたいものは、夜明けにしか見ることができないのでしょう?」
 チャックは手を差し出し、アヴリルの手が重ねられ、しっかりと手を繋ぐ。
 二人は、互いの暖かさを感じ取りながら、歩き出した。

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