アヴリルの家出
1 深夜の客
「なぜチャックがここにいるのですか?」
焚き火の前に座るのがチャックと知り、アヴリルは驚いているようだった。
青白い顔で目を見開いている。
驚いたのは、チャックの方も同様だ。
ここは調査中の、だだっ広い荒野の遺跡のど真ん中。
しかも遺跡といっても、土台が微かに残っているだけの大きな街の痕跡にすぎず、今のところ学術的な意味しかない。
テレポートしてくるにも、目標物もなければ、まだ名前もついてはいない。
この場所のことは、今ここを調査しているチャックと、そしてエルヴィス教授しか知らないはずだ。
もちろん、エルヴィス教授がアヴリルに教えていた、という可能性は、大いにあり得る。
「教授なら、調査に出かけたまま戻ってきてないんだ。ボクは教授に、手伝いに駆り出されたんだよ」
アヴリルに向かって、両手を広げて肩をすくめる。
そう。アヴリルが来る、という話も聞いていないが、ここにチャックがいるというのも、予定外のことだ。
このところ毎度のことになりつつあるが、ギルド会館から引っ張り出された。
大事な論文に取り組んでいるキャロルに代る、便利な助手代わりとして目をつけられたらしい。
教授レベルの大物ならば、いくらでも助手のなり手はいるはずなのだが、妙に気に入られてしまっている。
教授の仕事は、ゴーレムハンターであるチャックにとっても興味深いし、一応現役のハンターとして、常に旅支度も調えてある。デスクワークをサボれるいい口実にもなる。
いきなりギルドにやってきた教授に、拉致られるように荒野に連れ出されるのにも、こうやって荒野の真ん中に置き去りにされるのにも、すぐに慣れた。
どうせまた、興味深い研究対象でも見つけて、真夜中だろうがおかまいなしに、熱中しているのだろう。
「アヴリル、そんな所に立ってないで、座って焚き火にあたったらどうだい? ずいぶん体が冷えてるんじゃないかい?」
一番近くのテレポートポイントまで跳んでから来たとしても、ここまで徒歩でずいぶんかかる。
しかもこの荒野を吹く風は、ひどく冷たい。
「連絡くれたら、モノホイールで迎えにいったのに」
あつい紅茶に、体が温まるよう砂糖とブランディーと、それからミルクをたっぷり入れる。
「チャックがいるとは、思っていませんでしたから」
湯気の立つカップを受け取り、アヴリルはやっと緊張を解いたようだった。
「でもどうしてこんな時間に? しかもたった一人かい?」
それには応えず、アヴリルは紅茶を一口飲み、
「おいしい」とつぶやいた。
チャックは片方の眉を上げて、その問いを取り下げると、立ち上がって毛布を持ってくると、くるむように、アヴリルの肩に掛ける。
「何か食べるかい?」
少し驚いているアヴリルに、チャックは尋ねる。
「いいのですか?」
「なぜ遠慮するんだい? ちょうど夜食にしようと思ってたところだし、教授はいつ戻ってくるかわからないしね。
遠慮はいらないさ。大歓迎だよ」
そして小さな足つきのトレーを二つ出すと、皿を並べ、大きなパンの固まりを切り分け、焚き火からおろした鍋から、熱いシチューをよそう。
「ずいぶんと充実した夜食なのですね」
「あはは。移動し続ける旅と違って、余裕があるからね。ここは調査のためのベースキャンプで、水も食料も燃料も、たっぷり持ち込んでるのさ。パンだって、ここで焼いてる」
「チャックが焼くのですか?」
チャックは返事がわりに、ニッと笑い、食べてみなよと促した。
ホイール型の固まりから、皿の上に切り分けられたそのパンは、普通よりも硬めで重い。
根菜とスジ肉のシチューは、時間をかけて煮込んである。具は煮崩れる寸前で、口の中でほろりと溶ける。
「暖まったらさ、テントで休むといいよ。朝までには教授も戻ってくると思うし」
「チャックはどうするのですか?」
「ボクはここで十分。キミと関係なく、ここですませてる」
一人旅をしていたチャックは、座ったままの仮眠にも慣れている。
「ここはこんなに寒いのにですか?」
「大丈夫だよ。それに、こう静かで暗いと、ちょっとね……」
自嘲気味のチャックに、アヴリルは、少し寂しそうに微笑む。
「わたくしも、眠れそうにありません」
「そうかい?」
テレポートオーブを使っていると、いわゆる時差ぼけをしやすい。どこか近くまで跳んで、そこから歩いてきたのだとしても、アヴリルにとってはまだ眠る時間ではないのかもしれない。
「でもよくここがわかったね。このあたりでキャンプするといっても、範囲は広いのに」
「焚き火が見えましたから」
「なるほどね。焚き火を見つけるために、夜の荒野を渡ったのかい? もちろんキミなら敵なしだろうけど」
アヴリルは少し困っているようだ。
「チャック。あなたは以前から、そんなにも詮索好きでしたか?」
「ああ、ゴメン。気に障ったなら謝るよ」
「いえ、ただ軽薄なうわべだけの会話はしても、中身の伴った話をするタイプではないような気がしましたので」
チャックはその言葉に苦笑する。
「そうだね。以前は、キミの話を聞いてる方が多かったかな? 教授みたいな長話はしないけど、一言一言が深くてさ」
とたんに目を伏せるアヴリルに、チャックはしまったと後悔する。今の発言の方が、本気で失言だ。
「ゴメン。ループ中のキミと比較するようなことは、言うべきじゃなかった」
「いいえ……。その深い言葉は、ループの中で紡ぎ出された言葉。わたくしは、到底ループしているわたくしには、なれないのです」
「キミはキミのままでいいと思うよ。無理に他人になる必要はないさ」
「ループ中のわたくしは、他人ですか?」
「そのへん、ボクにもよくわからないけどね。勝手な想像だけど、疫病神のボクと、そうでないボクぐらいの違いはあるんじゃないかな?
あ、ゴメン。もう一人のキミを、疫病神と一緒にしてるわけじゃないんだ」
「もう一人のわたくし、ですか……」
しばらく沈黙が降り、そして再びアヴリルが、その形のよい口を開く。