『パワープレイ・プログレス(以下PP)』を作ろうとして、真剣に悩んだことがある。それは、「RPGにおいて、ワールドとは何なのか」という、深刻かつ基本的な疑問である。
これは、ある意味「RPGとは何か」という疑問にさえぶち当たってしまう難問であることは、読者にも理解してもらえるだろう。
1.RPGとは、ワールドを表現するルールシステムのことである。
2.RPGとは、行動を判定するルールシステムのことである。
3.RPGとは、セッションを運営するルールシステムのことである。
RPGについて、上記のように幾つかの観点が存在する。そして、もし1の「RPGとは、ワールドを表現するルールシステムのことである」というのが正しいとすると、今から自分が作ろうとしているものは、RPGではないことになる。あえて言うなら、「メタRPG」ということになるだろう。
そこで、RPGにおいてワールドとは何なのか、本気で検証してみることにしたのだ。
第1世代第2世代RPGの時代、ワールドとルールとは別物であった。それは、汎用的な行為判定ルールがあれば、あらゆるワールドが表現できると信じていた幸福な時代の誤解だった。
例えば、『D&D』のルールの上に、ほんのわずかな修正を加えただけのSFRPGとかが、堂々と商品化されていた時代が第一世代だった。そして、『ベーシック・ロールプレイング』や『GURPS』のような、汎用RPGが一つあれば、あらゆるRPGを再現できると考えていたのが第2世代だった。
しかし、このような幸福な時代は、長く続かなかった。なぜなら、このような汎用ルールでは、背景は違っても、実質的に同じRPGしかプレイできないことが、次第に明らかになって来たからだ。
『007RPG』によるヒーローポイントの発明以降、ルールシステムが違うことによって、全く雰囲気の違うRPGがプレイできることが、明らかになった。いや、ルールが変わらなければ、本質的に違うワールドを表現することはできないのだということが明らかになったのだ。第3世代RPGの出現である。
この第3世代RPGは、以前は「特定のストーリーを表現するための、特別なルールをもったRPG」と説明されていた。しかしそれは、ストーリー側からの表現である。しかし、本来ストーリーは、そのストーリーを作り出したワールドによって大きく変化するものではないだろうか。
このことを確認してみるために、ほぼ同じストーリーを違う第3世代ルールシステムの下でプレイするという実験を行ってみた。結論は、「確かに同じストーリーにはなる。しかし、それによってプレイヤーが抱く感覚は大きく異なっていた」というものだった。このことが事実だとすると、我々は第3世代RPGというものについて、根本的に誤解していたのかも知れない。
つまり、第3世代RPGとは、「特定のワールドを表現するための、特別なルールをもったRPG」と考えることはできないだろうか。そう考えると、今までの第1世代第2世代RPGとは、「我々が汎用だと思いこんできた、ある特定のワールドを表現するルールをもったRPG」だったのだ。たまたま、その特定のワールドが現実世界に比較的近い枠組みを持つワールドだったので、我々は世界とはそのようなものしかないと思いこんでいたのだ。
ここまで読んでくれば、ワールドと考えられて来たものには、実は二つあるのだということが、誰の目にも見えてきただろう。
一つは、誰の目にも一目で見えるワールドである。世界は、ファンタジーなのかSFなのか、それとも現代風なのか。冒険の部隊となる国が王政なのか民主制なのか。王様の名前は何だとか、そういった代物だ。つまり、世界設定と呼ばれる部分である。
もう一つは、そのRPGの持つルールシステムそのものによって規定されるワールドである。
前者は、今まで見慣れているだろうから、後者についてもう少し説明しよう。
まずは、敵の背後から攻撃すれば有利なRPG(リアルな戦闘志向のRPGか?)と、敵に向かってカッコイイセリフを言いながら攻撃すれば有利なRPG(シネマティックな演出を行うRPGか?)だ。これらは枠組みとしては同等である。どちらも、プレイヤーはPCを有利にするために、必要な行動を選択するであろうという点において、全く同等の構造を持ったルールである。しかし、そこから受けるイメージには大きな差がある。
これがワールドを表現しているのかと疑問を持つかも知れない。しかし、「背後から攻撃すると有利」なのは、【現実世界】という我々の慣れ親しんだ特定の世界における枠組みではあるが、全ての世界において正しい枠組みではないのではないか。
次に、PCが無茶な行動でも押し通せるだけの能力と運(プレイヤーのサイコロ運のことではない。PCにルールシステム上保証される幸運である。具体的には、ヒーローポイントや神業のようなものと考えてほしい)を持っているかどうか。これによって、PCがどのような行動を行うかを規定する。
能力や運を持っているゲームにおいては。プレイヤーは、その力に頼って無茶をするだろう。そして、それこそがそのゲームにおいて正しい行動選択である(ここで、そのようなことリアルでないと文句を言うことは野暮なことである。ルールが、それを主張している以上、使わないで不利になるということは、ゲーマーの取るべき態度ではない)。逆に、頼るべき力がないゲームでは、そんなことはしないはずである。つまり、これは世界の枠組みが、そこに登場する人間の行動まで規定していることの端的な表現なのだ。
最後に、世界に住む人々は、ルール的に希望に溢れているのか絶望に打ちひしがれているのか。これは、世界の住人にとって、世界の環境が悪くなることをルールが志向しているか、それとも良くなることを志向しているかを表す。ルール上良くなるのなら、人々は今は苦しくとも将来に希望を抱いているはずである。
『ブレード・オブ・アルカナ』のマローダーなどは、世界に住む人々を絶望させる枠組みの例である。逆に『スターロード』の命力ルールは、世界に住む人々に希望を持たせる枠組みの例である。
他にも、細かいことは多いが、この程度にしておこう。つまり、本来ならルールこそが、ワールドを規定する枠組みであり、それに従って世界設定も作られなければならないはずなのだ。
しかし、過去においては、前者だけをワールドだと考えていた。しかし、それは間違っていた。この誤解は、間違っていただけならまだしも、自作ワールドを作ろうとする人々にとって非常に有害であった。というのは、前者だけをゲームマスターとプレイヤーの間で統一したとしても、何の役にも立たないからだ。
プレイヤーとゲームマスターの間で、また個々のプレイヤー同士の間で、ワールドに関する認識が異なっていることにより(しかも、彼らは前者の統一には成功しているので、ワールドの不統一に気付かない)、セッションが高い確率で失敗するようになってしまった。これこそが、自作ワールドが嫌われる最大の理由である。つまり、ゲームマスターが、「本日は自作ワールドでプレイします」と宣言することは、「本日のセッションは、かなりの高確率で失敗するが、我慢しろ」と宣言するのと同等だったからだ。
しかし、後者も合わせて考えれば、ワールドに関する認識は、かなり埋めることができるはずだ。そう考えて作られたのが、PPのワールド作成ルールだ。
本当のことを言おう。
「システム上ヒーローポイントが何ポイントあるか」とか、「ルールを読むと、PCは自分の倍の実力(能力値の値が2倍ということ)の持ち主ですら倒すことが可能だ」とか、そういうことを知ることは、もちろん有意義なことに違いない。
しかし、本当に必要なのは、ルール的に規定されることによって、初めて認識される後者の統一なのだ。
プレイヤーたちに「後者の統一が必要だ」なんて認識を持たせようなんてことは、もちろん考えていない。ワールドシートを見て、「ああ、今回は無茶できないな」とか「よし、今回は思いっきり行けそうだ」とか、プレイヤーが考えること。そして、それによってPCの行動規準が、ある程度似通ったものになること(完全に同じでは、セッションがつまらなくなる。全然違うと、セッションが崩壊する)。そうして、特に意識することなく、なんとなく後者の統一が保たれること。
それこそが、PPが本当に目指したシステム上の改革なのだ。
そして、それによって自作ワールドにおけるセッションの成功率を高めることが、最終的目的だ。
さて、PPはその目的を少しでも果たせただろうか。それは、皆さんが実際に試してみて判断してほしい。少なくとも、以前より進歩したと自負はしているのだが。