(C)hosoe hiromi
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イライラおばさん

 それは、後々ヴォルスングがハニースデイを訪れた時のことだ。

 ハニースデイは、焼きそばしか誇るもののない寒村のわりに、この星の大物がふらりと訪れる。
 まず先駆者の一人となったチャックはここ生まれだし、ぜんぜん使ってないが家もあり、思い出したように、ふらりとやってくる。
 公平に見れば今やチャックだってかなりの大物だが、まあ当人の振る舞いのせいもあって、村人たちの扱いは「なかなか立派にはなったけど、もっとしっかりしないとダメじゃないかい?」だ。
 だが、ファリドゥーンとなると、物腰柔らかでも村に似つかわしくないほどの大物で、そんな彼がルシルと一緒にやってくる。そして真面目な顔で、焼きそばを食べていく。
 教授もフィールドワークで近くに来た際には、必ず焼きそばを食べに寄る。もちろんキャロルも一緒だ。
 ナイトバーンは、ここに家があるし、そこへペルセフォネやデュオグラマトンもやって来る。
 ディーンの場合、今日の昼飯は焼きそば! なんて気軽なのりで、テレポートオーブを使って来てしまう。そのときレベッカやアヴリルが一緒のことも多い。
 りんご酒の里のヤツは滅多に来ないが、たまにディーンやらチャックやらが来てないかと、訪ねてくる。どうもあの二人は、時折行方不明になっているらしい。

 その他渡り鳥の一人や二人、うろうろしてることも珍しくないハニースデイだが、さすがにヴォルスングがやってきた時は、村人たちもうわぁ! となった。
 失脚してるとはいえ、圧倒的な力を持った、世界を破滅の手前まで追い込んだ男。
 と、言うよりも、昔村から追い出した少年が彼、ってことの方が大きかった。
 当時充分強かった彼を、追い出しちゃったのである。
 むしろ彼が天下取った時、よく村が滅ぼされなかったという状況だ。
 いやこの地方で唯一村が滅びず残ったのは、もしかしたら簡単に滅ぼすのでは足らず、生殺しにするつもりだったんじゃないか? と言う者さえいる。
 実際には、全部を恨み全部を滅ぼすと決めたヴォルスングには、小さな村一つにこだわりはなかったようだ。ニンゲンを滅ぼそうとしていたナイトバーンが、特にこのあたりで活動してから、それでよしとしていた部分も、ないではない。
 そんなヴォルスングだが、何がどうしてどうなったのか、ハニースデイにやってきた。
 村人は、気まずいを通り越して、パニックだ。
 いや、パニックさえ起こさず絶望して、最悪の運命を覚悟しちゃってる人までいる。
 普段通りの生活を変えるものかと、ヤケクソぎみに畑を耕している者もいる。
 ショップのおばちゃんも、昔のことなどなかったかのように、開き直って対応している。
 つっけんどんに対応されながらも、ヴォルスングは目当ての人に会いに行く。
 彼女はヴォルスングの来訪を知り、怯えきってアパートの自室で、縮こまっていた。

 イライラおばさん、と彼女は村人からさえ呼ばれている。
 チャックによると、覚えているかぎり昔から、彼女はイライラしていたそうだ。
 そして手当たりしだい、イライラをぶつけていた。
 もちろんチャックも毎日のように、イライラをぶつけられていた。
 だが、ぶつけてくるのはイライラだけで、逃げれば追いかけてすらこないとは、笑いながらのチャックの話。
 ヴォルスングは、昔理不尽な不満をぶつけられて身動き出来なくなったとき、手を引いてその場から助け出してくれた子どもの一人が、彼だったのだと思い出す。  村の子ども、しかも友だちとつるんでいる子どもにとって、そのおばさんのイライラなど、気にするほどもない日常茶飯事の出来事でしかなかったようだ。
 だが、ヴォルスングには怖くてならなかった。
『ニンゲンでもベルーニでもない、気持ち悪い子』
 その言葉は、今でもヴォルスングの耳に残っている。

 ヴォルスングがハニースデイを訪れようと思ったのは、長い時間が、もとよりプライバシーの希薄な小さな村の過去の出来事が、ヴォルスングの耳に届いたからだ。
 昔々、彼女がまだ若かった頃、一度はベルーニの所へ働きに出たこと。
 まもなく村へ戻ってきたものの、身も心もボロボロになっていたこと。
 それから月が満たぬうちに子を死産し、二度と子どもの産めぬ身体になった事。

 働きに出た娘が、手ひどい扱いを受けることは、状況が悪くなる前から、珍しい話ではなかったらしい。
 むしろ生きて帰り、その後の人生を歩むことができる者は、わずかしかいない。

 ベルーニの元で、ニンゲンがどのような扱いをされていたのか、ヴォルスングは知っていた。
 ベルーニの父に愛され、ニンゲンの扱いが、もっともよいと言われるトゥエールビットで暮らしてなお、母は胸をはって街を歩くことが、できなかった。
 ヴォルスング自身は、自らの力でもってベルーニと等しい扱いを認めさせたが、あるがままのハーフとして認められはしなかったと、そう思う。
 誰よりも、自分自身が、ハーフである己の血を呪った。
 両親を死へ追いやった、自分の存在を。
 それは自分だけでなく、自分を生み出した両親を、両親の互いへの愛を、否定することに他ならなかった。

 彼女のかつての雇い主は、すでにUbで亡くなっていた。
 だが、確証こそなかったものの、残されたわずかな手がかりが、それを示していた。
 彼女はハーフを産んだのだ。
 ハーフは、母体に多大な負担を強いる。
 無事生育し、健康体で生まれてくることは、ほとんどない。
 傷ついた母体は、次の子を宿すことが難しくなる。
 ヴォルスングにも、兄弟はいない。

 彼女の目には、ハーフである自分が、どう映ったのだろう。
 ハーフである自分が両親から何もかもを奪ったように、彼女は多くを失った。
 ニンゲンでもベルーニでもない、気持ち悪い子。
 ああそうだ。己も自らを、ずっとそう思っていた。
 だからこそ、そうじゃない子になろうとして、そしてなれなかった。

 彼女はヴォルスングの再来に怯えきり、アパートの隅で入り口に背を向けて縮こまり、震えていた。
 これ以上怯えさせてはいけないと、ヴォルスングは、部屋に踏み込むのをとどまった。
「あの、あとで手紙を出します。気が向いたら、返事をください」
 なるべくそっと声を掛け、そしてアパートを、後にした。

2011/01/02
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