(C)hosoe hiromi
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親友

「ケント! ケント! ちょっと来とくれ!」

 呼ばれる前から、俺はチャックの叫びを聞きつけて、走り出していた。
 アパートのチャックの部屋の前に、すでに人が集まり始めている。
 ルシルが言葉にならない叫びを上げているチャックを、押さえ込もうとしている。
 俺はすぐさま、それを手伝う。
 這いずるように自分の部屋に戻ろうとしているチャックの胸には、べったりと真っ赤な血。
 何が起きたのかわからない。
「ルシルちゃん! 湯をたっぷり沸かしとくれ! ケント! チャックをしっかり押さえとくれ! こっちへ来させるんじゃないよ!」
 チャックの部屋の中から、ショップのオバさんが叫んでる。
「あとお願いね」
 ルシルはチャックを俺に託して、店の方へ走っていく。
 俺を振り払おうとするチャックを、全力で押さえ込む。
 チャックの胸を汚す血は、チャックの血じゃなさそうだ。
 村中の連中が集まって、わけもわからず覗き込もうとして、最初に部屋に入った女たちに追い払われる。
 その中にチャックの母さんの姿がない。
「母さん! 母さん!」
 チャックの叫びが、やっと言葉になりはじめる。
「チャック! 少し待つんだ!」
 チャックの母さんに何かが起きた。
 だが、何が起きた?
 なんで女たちは、チャックを部屋に入れてやらないんだ?

 ここしばらく、チャックの母さんは具合が悪そうだった。
 けれどチャックの方は、調子を取り戻してきてて、チャックの母さんはそれを喜んでいた。
 やがてショップのオバサンが出てきて、静かにチャックを招き入れる。
「最後のお別れをおし。心配させたまま逝かせるんじゃないよ」
 チャックは魂が抜けたように、ふらふらと部屋へ入っていった。
 湯を届けたルシルを捕まえ、何があったのかと聞けば、ルシルはあたりを見回した。
 村の連中が、ジロジロとこっちをうかがっている。
「チャックのお母さん、突然血を吐いて倒れたの」
 俺はその答えに納得できなかったが、大きく頷いた。
 ルシルがこんな風に言う時は、いつもそれなりの理由があるからだ。

 翌日、俺たちはチャックの母さんの葬式を上げた。
 2年前の採掘場の事故に巻き込まれてから、ひどく落ち込んでいたチャックは、やっと取り戻した調子を全部失って、ふらふらと、誰の言葉も聞こえないみたいに、促されるまま葬式の行列の先頭を歩いていた。
 そして俺たちが村の隅に掘った穴に埋めた。
 ここじゃ葬式はただそれだけで、それでもまだ村に埋められるのはいい方だと、囁き声が聞こえてきた。

「いいチャック。あんたの母さんは、血を吐いて死んだの。それは偶然で、これっぽっちもあんたのせいじゃない!」
 ここ連日、ショップの裏でへたり込んでいるチャックを、ルシルがビシビシと叱りつけている。
 俺は、ルシルがことさらチャックの母さんの死に様を強調していることに、気がついていた。
 だがルシルがそうする必要があると思ったんなら、そうなんだろう。
「ルシル、代るぜ。あいつら腹ペコだとさ」
 不満そうに食堂の椅子に座って、裏から聞こえてくるやり取りを聞いている連中に聞かせるためにそう言って、俺はルシルと交代する。そしてチャックを畑までひっぱっていき、手に鍬を押しつける。
「働かざる者喰うべからずだ」
 チャックは困ったような笑みを浮かべる。
「働くけどさ、食欲ないんだよ」
「身体を動かして、そして喰え。でねえと口にねじ込むぞ」
 チャックはただ中身のない笑みを浮かべて、それでも畑を耕し始める。
 ここじゃ草むしりからはじまって、小さな頃から畑仕事だ。
 事故でひどい怪我をしたチャックも、身体が動くようになったらすぐに畑に出ている。
 けれど性格は変っちまった。
 びくびくと怯え、なんでも自分のせいで物事が悪くなると思い込んだ。
 俺は並んで畑を耕しながら、チャックに囁く。
「お前のせいじゃない」
 チャックは一瞬手を止め、泣きそうな顔で俺を見たはずだ。
 だが俺はチャックを見もせず、もう一度繰り返した。
「お前のせいじゃない。お前は疫病神なんかじゃない」
「ありがとう」
 チャックの返事は、震えていた。けれど手は再び動き始める。
 ここじゃ、死にたくなければ働くしかないんだ。

 そのころ、年々畑の収穫は悪くなっていた。
 オマケにゴブたちの襲撃も増えていた。
 なのに、年貢として収めなきゃならならない量は増えている。
 せめて収穫に比例した量にしてくれと交渉した者もいた。だが、認められやしなかった。
 年貢として収めた作物は、ほとんど全て採掘場で消費される。年貢をごまかし収める量が減れば、採掘場の連中が冬の間に飢えて死ぬだけだとさえ言われた。 
 ゴブの襲撃、労働者狩り、厳しい冬。そんなこんなでこのあたりの村が立て続けに消えている。
 むしろ働きに出た方が食えるんじゃないか? ってな有様だ。
 だが、村と収穫が減ったその分、採掘場へ運び込まれる食料も減っているらしい。
 この村からも、大勢採掘場に働きに出ている。そして帰って来ない。
 畑を耕す者が減って、ますます収穫が落ち込んでいる。
 マシなニュースといえば、ベルーニに顔が利くようになったナイトバーンが、採掘場で働いている者の家族の年貢を、少しばかり減らしてくれるよう話をつけたことぐらいだ。
 その減免措置と身売りと同意語の出稼ぎや奉公で、なんとかこの村は、まだ潰れずにすんでいる。

 俺がチャック抜きで、そして他の村の連中にも邪魔されず、ルシルと話すことができるチャンスを掴むまで、しばらく掛かった。
 あまり長くは話し込めないだろうと、核心から問いただす。
「なあ、何があったんだ?」
 それだけでルシルは、俺の質問を理解する。
 だが、しばらく黙り込んでいた。
 こんなことは、滅多にない。
 俺があきらめかけた時、やっとルシルは短くつぶやく。
「流産だった」
 その一言で、俺はあの時女たちが、あんな風に振る舞った理由を、理解した。
「相手は?」
「さあ」
「チャックは知ってるのか?」
「さあ。ケント、忘れて。チャックのお母さんは、血を吐いて死んだの。いい?」
「わかった」
 別に珍しい話じゃない。
 奉公に出たって同じことだ。
 チャックの母さんは、そんな不手際をするタイプじゃなかったが、背に腹は替えられなかったとしても不思議じゃない。収穫が減って、年貢が増して、減免措置も受けられないチャックの家は、ひどく厳しかったんだ。
 それでもやっとチャックが持ち直して、俺と一緒にいずれ村の外に働きに出て稼ごうと、将来のことを話せるようになっていた。
 にしても相手は誰だ? 村の誰かか? それとも渡り鳥か? たぶん渡り鳥だろう。でなきゃ噂になってるはずだ。
 小さな村だから、誰がどういうヤツだが、みんなが互いに知っている。その上、村には女を買うような男も金も残っちゃいなかった。金の問題じゃないってんなら、そいつはチャックの母さんと、そしてチャックの面倒を、きちんと見るべきだったんだ。

 事故直後のように、夜眠れなくなってしまったチャックの部屋に、俺も一緒に泊まり込む。
 でないとこいつは、ふらりと一人で村を出て行き、戻って来ない気がしてならなかった。
「もしボクがいなければ、あの時死んでいたならば、母さんは死なずにすんだかもしれない」 
 夢見るような不思議な笑みを浮かべ、チャックはそんな風に話を始める。
「そうと限るかよ」
 俺は、息子を失ったチャックの母さんの嘆きを知っている。
 思いがけずチャックが戻ってきたときの、喜びようを知っている。
 俺はそれを、チャックに何度も話して聞かせている。
 チャックもずっと、それに納得していた。
「ボクがいたせいで、母さんは無理をしてたんだ。ボクがいなければ、再婚してたかもしれない」
「誰とだ。再婚相手になるような男は、村には残っちゃいないぞ」
 だが、渡り鳥ぐらい捕まえていたかもしれない。ここんとこ、村へやってくる渡り鳥の数が増えている。もっともここらに来るのは、俺たちとたいして変わらない若い連中ばかりだが、俺たちよりもずっと金持ちだ。
「ナイトバーンとかさ」
 ああ、手頃なのが一人いた。この村出身で、村を出てから出世して、たまに村に戻ってきて、いわゆる故郷に錦を飾っている。オマケに独身だ。噂じゃ若いころ、チャックの父さんと、チャックの母さんを取り合ったこともあったらしい。
「ナイトバーンなら、その気があればコブ付きでも再婚してただろうよ」
 まだ村にいるころから、チャックはナイトバーンに懐いていたし、ナイトバーンもチャックを可愛がっていた。
 もっともあの事故からこっち、二人は目も合わせなくなっちまっていたが。
「母さんは、ボクのせいで死んだんだ」
「偶然だ。誰だって急病で死ぬことはある。お前のせいで無理したんじゃない。みんな無理して働いてるんだ。お前がいたから、お前の母さんは、今まで頑張ることができたんだ。お前のせいじゃない」
「違うんだ、ケント。違うんだよ」
「自分が疫病神だから、か? しまいにゃ殴るぞチャック!」
「ああ、いっそ退治してくれよ。このボクをさ」
 俺が黙り込むと、チャックはしばらくして、ゴメンと小さくつぶやいた。


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