子どもだけが住む町があると、渡り鳥が噂していました。
けれど翼のない私には、地の果ての海の向こうにあるというその町は、存在しないも同然でした。
両親は、私が十になったなら、十二と偽り奉公に出そうと決めていました。
両親から逃れられるその日を、私も心待ちにしていました。
奉公に出たら最後、全ての望みは断たれると言う人もいました。
使い捨ての道具にすぎなくなるのだと。
けれど道具となるのなら、人として憎まれるより、どんなにいいでしょう。
近所のおねえさんは、真新しい服に身を包み、胸を張って村を出ました。
支給された仕事着ということでしたが、私の目には鮮やかに映りました。
私たちの服があまりにボロであるために、奉公の支度金と共に仕事着が支給されるのが、慣例となっていたのです。
両親は、支度金のことを、羨ましそうに話していました。
おねえさんは、ベルーニの妾として売られたのだと言う人もいました。
容色が衰えるまでの、枯れるだけの手折られた花にすぎないと。
けれどおねえさんは村を出る前に、私にこう教えてくれたのです。
「役立つ道具は大事にされる」
私が容色に恵まれていると思ったことはありません。
両親からも、よくみっともないと言われていました。
私が誰かの役に立てるとも思ったことはありません。
両親からも、よく役立たずの無駄飯喰いと言われていました。
けれどその日が近づくと、両親は私に少し太れと言いました。
挨拶を、何度も練習させました。
そして髪や身体や服を洗い、少しでも見てくれをよくしろと命じました。
私も精一杯努力しました。
けれど挨拶する間も与えられず、人買いは私が小さすぎると言ったのです。
十にも見えないと言いました。
十二ならARMを持っているはずだとも言いました。
両親は、この子はバカだからARMを無くしたのだと言い訳ましたが、人買いは嘘を見抜いていたようです。
嘲笑いながら、そんなバカはなら役に立たないと言い、若い人たちを何人かを連れ、帰ってしまったのです。
両親はがっかりし、きちんと挨拶できなかったせいだと、私をひどく打ちました。
両親は、私などもういらないと言いました。
もう食べさせる飯は無いから、荒野なりどこへなりと出ていけと。出て行かないなら殺してやると。
それまでにも、何度もそう言われましたが、その日が本当に近づいていることを感じていました。
村は日々枯れていき、人々はそれぞれ自分のことで精一杯になり、両親のやりどころのない不安と怒りは、暴力となって私に向かい、それは日々勢いを増していたのです。
私がいなくなって両親がどうなるというわけではありませんが、いつか両親は本当に、私を殺してしまうでしょう。
村は、滅びつつあったのです。
そこで私は、自ら村を後にしたのです。
どこかに私を奉公させてくれるベルーニがいるかもしれません。
道具扱いでいいんです。きっと役に立つ道具になります。
人としてイジメられ、愛すべき人を愛せないのは、つらいばかりですから。
それがダメなら、子どもだけの町へ行きたいと、望みました。
詳しいことなど知りません。
ただ、保護者を失ったり、保護者に捨てられた子どもたちが集まり、貧しいながら身を寄せ合って暮らしていると。
食べ物は、渡り鳥の恵みの他は、ゴミをあさるしかないけれど、それを分け合っているのだと。
夢物語だと思いました。
けれど渡り鳥の口ぶりは、実際に訪れたことがあるかのようでした。
地の果ての海の向こう。手がかりは、それだけでした。
南にあるのかも、北にあるのかも。
海がいかなるものなのかも、いえ南や北といった方角のことすら知らぬまま、荒野に歩き出したのです。
世界がどのぐらい広いのかも知らないまま、ひたすら荒野を歩き続けたのです。
それまでの必要に迫られて、荒野で得られる食べ物については、ある程度知っていました。
渡り鳥のように獲物を狩ることも、火を起こすこともできません。
水も入れ物がないため、持ち運ぶことができません。
それでも荒野で手に入れたものは、全て私の物になりました。
けれど同時に、私は荒野に生きるものたちの獲物でもあったのです。
ただ警戒し、逃げることしか、できませんでした。
眠ることもできず、いつしか靴も壊れ、そして無くしてしまいました。
お下がりのお下がりであったその靴は、もとよりぶかぶかでボロボロだったのです。
そんなわけで荒野の旅がうまくいったのは、ごくしばらくの間だけでした。
荒野で力尽きて倒れました。
そして、大きな人に拾われたのです。
大きな人は、教授だと名乗りました。
教え授けることが勤めだと。
教授は、傷だらけになった私の手足に、治療を施してくれました。
水と食べ物を、私の口に運んでくれました。
どんなに熱を出した時であっても、このように世話をされた事はありません。
幾日も世話された後で、私はやっと言葉を取り戻しました。
そして最初に、たずねたのです。
子どもだけの町を知らないかと。そこへ向かっていたのだと。
なんでも知っている教授は、その町のことも知っていました。
けれど教授は、こうも言ったのです。
私はもう、保護者を失った子どもたちの町で暮らす資格を失った。
なぜなら私には、教授という保護者がいるのだから。
こうして私は、ベルーニの教授の助手として、奉公させていただくことになったのです。
そして教授は、私のために、真新しい服と靴と、そしてリボンをあつらえてくれました。
私が今までみたどんな服より、それは素敵な服でした。