手配書の束をめくっていたグレッグは、目的のものを見つけ出して、顔をしかめる。
今日しょっ引いて牢に放り込んだ酔っぱらいの顔を、最近見たような気がしての確認中だ。
確かに手配書が回ってきている。
妻子殺し……未遂。
別れを望む妻との話がこじれ、事件を起こし、逃げ出した。
家族という絆を人を縛る鎖に変え、踏みにじることでしか己を確かめられない輩の存在は、理解できず許せもしないが、知っている。
だが今日捕まえた男が、グレッグが姿を現わした時に一瞬見せたすがりつくような眼差しが、気になった。
夫婦げんかの末にやり過ぎて、そのまま恐ろしくなって逃げ出しただけなのかもしれない。
だが、それなら未遂で手配書がここまで回ってきたことに疑問が残る。
それなら事件を起こした町か村からの追放が、妥当なところだ。他にも事件を起こしているならまだしもわかるが、手配書には書かれていない。
保安官には、手配されていた人物を逮捕したとギルドへ連絡し、引き取らせ、ボーナスを貰う以上の仕事は、求められない。担当地域の安全の確保こそが、最優先だ。
だがグレッグは、かつて自分がそうしてもらったように、事情聴取を試みることにした。
最初男は、黙して語ろうとしなかった。
顔を上げず、視線を合わせず、ただ牢の床に座り込んでいた。
手配書によると、まだ二十代前半だが、やつれて、グレッグよりもなお年老いて見える。
しょっぴくときに見た眼差しに生気はなく、ただ絶望の闇を湛えている。
鉄格子ごしの床に座り込み、届けさせた熱いスープの入ったカップを、格子の隙間から差し入れても、まだ動こうとはしなかった。
男の腹が小さく鳴ったが、グレッグは聞かぬふりをする。
「ゴウノンでの罪は、たいしたもんじゃねえ」
まだ早い時間にやってきて、あるだけの金を酒に代え、煽るように飲み、そして食事に来ていた母子づれに絡み悪態をついた。
ゴウノンは、町の女子どもに絡むよそ者にまで、優しい町ではない。
母子が怖い思いをしたのも確かだが、あっというまに血の気の多い連中が集まって、むしろグレッグは、この酔っぱらいを保護したといってもいいほどだ。
「なんで妻と子を殺そうとしたのか、話しちゃくれないか?」
男は、うつむいたまま呟いた。
「……話して、どうなるもんでもないですよ」
「どうにもならんでも、オレに聞かせてくれないか?」
「オレは……、あなたみたいな上等なニンゲンじゃないから、上等なニンゲンには、なれないから。妻と子を愛してたんですよ。そう思ってたんです。けど、この手に、この手でその妻と子をッ……」
男は、それ以上話せなくなってしまったようだ。
肩をふるわせ、嗚咽をこらえている。
「おい。もしかしてあんた、自分が妻子を殺したと思ってるのか?」
男が驚いて、憔悴しきった顔を上げた。
「今、なんてッ!」
「詳細は知らん。だが手配書には、未遂とあった」
その一言で、男の肩から力が抜けたのが、見てとれた。
男はまじまじとグレッグを見ていたが、やがてボロボロと涙をこぼし、けれどもう一度顔を伏せてしまう。
「それでも、オレが妻と子を殺そうとしたことは、変らないんですよ。憎んだんです。あいつらを」
そして男は、ポツポツと語り始めた。
男は、ポンポコ山で強制労働をさせられていた一人だった。
犯罪者としてや、労働者狩りで不本意に送り込まれたのではなく、収入と年貢の軽減措置を受けるため、帰ってこれぬと半ば覚悟しながらも、妻と幼い子のために、それを選んだのだ。
つらく長い日々の後、グレッグたちの介入により解放された。
生き延びてその日を迎えたことを喜び、勇んで村へと帰った彼が見たものは、誰一人いなくなった村の痕跡。
その地方全域で、働き手が奪われ、あるいは逃げだし、取り残された老人と子どもの多くが荒野を渡ることもできず野たれ死んだという噂に怯えつつも、妻と子を探し続けた。
「生きてたんですよ。生きててくれたんです。けどね、オレの居場所は、あいつらの所にはなかったんです」
妻は、小さな町で、新しい夫との新しい生活を、すでに選んでいたのだ。
「妻はオレを見て、こう言ったんです。『帰ってくれ』って。けど、どこへ帰りゃいいんですッ!」
男は何度も、妻と子の元へ通い、よりを戻そうとした。
妻の新しい夫も、彼の心情に理解は示したが、引く気はなかった。
渡された金を床にたたきつけ、妻子を金で売る気はないと啖呵を切った。
その妻につれなくされ、幾度も叩きのめされ、その町の保安官に町から追い出されても、男は妻子の元へと通い続けた。自分こそが彼女の夫であり、子の父だ。妻子を取り戻そうとしているだけなのに、どうして罪人として追い出されなければならないのか?
「一番つらかったのは、オレの子が、オレを見て怯えるんですよ。そして泣きながら、ヤツの後ろに隠れるんです。けど血は繋がってるんです。話せば、抱きしめれば、きっとわかってくれると。
妻のことはあきらめられても、自分の子を、どうしてあきらめられるんですッ! オレはあの子が生まれた時に抱いた時の感激を、手のひらに感じたあの暖かさと重みを、忘れられやしないんですよッ! 何をしてでも護ってやるって、自分に誓ったんです。
今日死ぬかもしれない、明日死ぬかもしれないポンポコ山で、また家族一緒に暮らせる日が来ることだけを信じて、がんばってきたんですッ!」
そして男は、自分の子を誘拐した。
子どもを手に入れられれば、妻もきっと目覚めてくれると、そう思った。
そうでなくとも、子どもだけでも、取り戻したかった。
「けどね、オレの子が泣くんですよ。抱こうとすれば、怯えて逆らって、『パパこわい、パパたすけて』って。オレじゃない男を呼ぶんです。妻がやってきて、『どうしていい想い出のまま消えてくれなかった、悪夢となって現れた』って、叫ぶんですよッ! オレはあの日のことを、今でも夢に見るんですッ!」
そして気づいた時には男の前に、妻と子どもが倒れていた。
「生きてさえいてくれればいいと願ってた妻と子を、オレはこの手で殺したんです。本気で殺そうとしたんです。死ななかったのは、結果にすぎない。オレは愛してたはずの妻と子を、この手で護らなければならない妻と子を、この手で殺したんです。
頭では、わかってるんです。妻と子が生き延びることができたのは、あの男のおかげだって。赤ん坊抱えたまま、帰って来るかどうかわからない夫を、待ち続けることなんてできないって。オレはそれを喜び、感謝しなくちゃいけないって。一緒に暮らせなくても、幸せを願わなくちゃいけないって。
けどオレには、耐えられなかったんです。何も残らなかった。空っぽだった。
あなたのように本当に失ったわけでもないのに、なのに手に取れないってだけで、オレは……」
「だから、ゴウノンへ来たのか? オレの所に」
男はしばらく黙っていた。
「……そうかも、しれません。あなたなら、オレのケリを、つけてくれるんじゃないかと、そう思った。あなたにオレのケリをつけて欲しかった」
それから男は、本当に黙り込んでしまった。
「あんたの処遇は、考えておく。まずはそのスープを飲んで、そしてパンを食っておけ」
男は何も言わなかったが、もうさめてしまったスープのカップを手にし、泣きながらそれに口をつけた。
数日後、ケントが身元引受人としてやってきた。
犯罪者として引き渡さず、ギルドにかけあって、信用できる身元引受人に引き渡すことを条件に、指名手配を取り下げさせた。
そしてケントに連絡を取ったのだ。
ケントによると、彼のような境遇に陥ったのは、彼一人ではないらしい。
彼がむなしさから逃れられる日が、いつになるかはわからない。
だが男は別の採掘場で、生きる糧を得るための仕事と、自分の居場所と、そして痛みを分かち合える仲間を得るだろう。