(C)hosoe hiromi
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リプレイス!

「先手必勝ッ!」
「ディーン! やたらと突っ込むなッ!」
 外野からグレッグが叫ぶが、もう遅い。
 ディーンは、一番強そうな魔獣の真正面に立ちはだかり、自信満々気持ちよく撃ちまくる。
 レベッカも渋い顔だ。
「もう、倒すのは、チャックが敵をギャザー(ひとまとめ)して、あたしがまとめてスティール(盗む)してからだって打ち合わせたのに、いっつも忘れちゃうんだからッ! あの魔獣しか持ってないレアアイテム、どうすんのよ」
 今のディーンの力量だと、一手でほとんどの魔獣が消し飛んでしまう。
「まあまあ、一撃で屠れるとは限らないんだし」
 パイルバンカーを構えたまま、チャックが取りなすが、レベッカはまだ不満そうだ。
「それはそれで大変でしょ」
「まあね」
 事実、魔獣は倒れず、持ちこたえてしまった。
 なんだかふらふらしているが、じと目で目の前にいるディーンを、じっと見ている。ような気がする。
「うえッ!」
 ディーンは、想定外の事態に驚き、隙をつくる。
 魔獣が行動する前に、攻撃するでも撤退するでも、あるいは防御体勢を取るにしろ、次の手は打てそうもない。
 ディーンは、レベッカかチャックが、この魔獣が動き出す前に、とどめを刺してくれることに期待してみる。だが、一人で前に出すぎてしまった。接近戦しかできないチャックは間に合わないし、レベッカの射線が通ったとしても、この魔獣にとどめを刺すには押しが弱い。
 そのことに、今やっと気づいたらしい。
「あのバカ、調子に乗り過ぎやがって」
 外野のグレッグも、不満げにつぶやく。
「ディーンさんッ!」
 グレッグに並ぶキャロルが、次に起きる出来事を予想して、悲痛な声を上げる。
「大丈夫ですよ。次にわたくしがでますから」
 海のミーディアムを装備したアヴリルが、前線に出る準備しながら、キャロルに優しい声をかける。
 ディーンの負傷は免れそうもない。だが、よほどの不運に見舞われるか、ドジを踏み続けないかぎり、全滅するほどのことはないだろう。
 だから、心配はいらない。
 けれど、そうであっても、キャロルは誰かが怪我をしたり、倒れたりするところなど、見たくはなかった。特にチャックの、最終的に生きていればそれでよし、という戦い方は、好きではない。
 魔獣がディーンに向けて、大きく口を開ける。何かを吐きかけるつもりらしい。
 ディーンは、ダメージを受ける覚悟を決めつつも、不敵な笑みで魔獣を見上げる。
 仲間のサポートを信じているがゆえの、余裕の笑みだ。
 だが、来ると思ったその瞬間、背後でチャックの声がした。
「リプレイス(入れ替え)!」
 とたんにディーンの目に映る景色が変わる。
 前方に、あの魔獣と、そしてその前に立つチャックの背中。
「バカがもう一人いやがった」
 そして後ろから聞こえる、グレッグのつぶやき。
「いいえ、状態異常系の攻撃の可能性が高そうですから、月のミーディアムを装備しているチャックであれば、影響を受けません。なまじ通常攻撃でも、一撃で潰さえしなければ、むしろ本気を出して戦えるようになりますから、なかなか冷静な判断といえます」
 グレッグは、天路歴程号以降、アヴリルこそ落ち着きに磨きがかかったなと、場違いなことを考える。
「誰か交代してッ!」
 レベッカが、後列に呼びかける。状況がどう転ぼうが、この敵の攻撃を見極めてから、誰が出るかを決めた方がよさそうだ。再度アイテムを狙うにしても、体勢を立て直してからでいい。
 ついに魔獣が、チャックに向けて何かを吐き出した。
「はわわッ、チャックさん!」
 キャロルは、両手で目をおおいたい所だが、さすが戦いの場でそれはしない。
 魔獣は、吐いていた。
 だが、月のミーディアムが与えてくれる先読みの力も、こんなことになるとは、教えてくれはしなかった。
「は、吐いてる」と、レベッカがあっけにとられてつぶやいた。
「吐いていますね」と、アヴリルは落ち着いて追従する。
「魔獣さん、気分が悪そうですね」と、キャロルは妙な同情をする。
「二日酔いかなんかだったみてぇだな」というグレッグの意見に、その他があれが二日酔いかと納得する。
 それどころじゃないのが、尻餅をつきつつその嘔吐物を正面からかぶっている、チャックだけだ。
「チャック、大丈夫かッ!」
 ディーンの呼びかけに、チャックは答えもしない。それも当然だろう。今口を開けたら、どうなるかだなんて、考えるだにおぞましい。
 魔獣は、しばらくゲーゲーやっていたが、やがてスッキリした顔つきで、子分の魔獣たちに、ぺちぺちと太ももを叩かれて慰められながら、そろって撤退していった。
「これって、私たちの勝ちなのでしょうか」
 あまりの展開に、しばらく身動きがとれなかった一同は、キャロルの声で我に返る。
 魔獣は去ったのに、チャックが身じろぎ一つしようとしない。
「チャック……さん?」
「チャック!」
 デロンデロンになって倒れているチャックに駆けより助け起こそうとしたディーンを、グレッグが止める。
「何すんだよ!」
「さわるな。毒だ」
「毒! だってチャック月を装備してるじゃないか」
「お前は装備してないし、装備してるチャックが意識不明ってことは、ただ事じゃねぇ。クリーナーも効いてねぇようだ」
「なら、ますます急いで助けないとッ!」
「わたくしに、まかせてください」
 一歩前に出たアヴリルが、他の者たちを後ろに下がらせる。
「状態異常を引き起こす物質の、原液のようなものではないかと思います」
 そして懐から、水色に輝くアイテムを取り出して、あっさり力を解放する。
「ちょっと待て!」
 グレッグの制止も、間に合いはしない。
 水の力の結晶は、対象にダメージを与えつつも、見事にチャックから謎の嘔吐物を吹き飛ばした。


「あれ?」
 手当を受けて、チャックが意識を取り戻し、身体を起こす。
「チャック! よかったッ!」 
 ディーンは、遠慮なくチャックにしがみつくが、他の者たちは、心配そうな顔をしつつも遠慮している。
 その遠慮は、チャックに染みついた酸っぱい臭いと、まったく無関係とは言えないだろう。
「あはは、また迷惑をかけてしまったようだね」
 引きつった笑みのチャックを、アヴリルが慰める。
「いいえ、月装備のチャックだったからこそ、これで済んだのです。ディーンのままであれば、もっと大変なことになっていたでしょう」
 無茶を叱ろうと思っていたグレッグは、出遅れて何も言えなくなる。ちなみにディーンには、すでに後先考えず飛び出すな、作戦を忘れるなと、拳固を一つ落としておいた。
「ところで……」
 しょぼくれた顔のチャックに、レベッカが急いで答える。
「アイテムなら、取りそこねちゃった。あの後魔獣は、勝手に撤退しちゃったの。でも、再戦できるんじゃないかな。その時は、必ず手に入れてみせるから」
 ここへ来たのは、あの魔獣が持っているアイテムが目当てと言ってよく、その獲得にはチャックも乗り気だったのだ。
「すみません、チャックさん」
「なんでキャロルが謝るんだい?」
「だって、私のために」
 チャックも乗り気だったが、アイテム自体はキャロルに丁度よさそうなものだった。
 泣き声になりかけているキャロルに向けて、チャックは手をのばしかけたものの、その手を頼りなげに宙をさまよわせただけで、引っ込める。
「気にする必要ないよ。それよりさ……」
 チャックは、ひどく困ったような、どこか怯えたような笑みを作る。
「……なんで、真っ暗なのかな?」
 問いかけではあるが、チャックはすでに、答えがわかっているようだ。
 すぐさまアヴリルが、ディーンを押しのけ、その顔をのぞき込む。
「目を、やられています」
 アヴリルが見たチャックの瞳は、碧の中で針のような点ほどに、小さくしぼんでいた。



 探索を中断し、外に出て安全な場所まで撤退する。
 再度調べ、試しもしたが、特に即効性のある治療法はなさそうだ。
 目に見える異常は、虹彩が狭まり瞳が閉じられただけだが、視力自体が損なわれているらしい。
 たぶん、時間が解決するだろう。あるいは解決する手段が、見つけられるだろう。
 一同はそう信じ、とりあえず小川を見つけて、キャンプを張る。
 そしてチャックも、チャックの着ていたものも、ついでにパイルバンカーも全部水につけて、洗いまくる。
 その後は、それら全部を乾かす時間だ。皮製品は陰干しで、チャックを含めその他は天日干し。
 下着姿で日向ぼっこしている風のチャックは、普段なら見つめることなど不可能なものを、その閉ざされた瞳でじっと眺めているかのようだった。
「チャックさん。お日様を見ているのですか?」
「ん?」
 声に反応し、チャックは正確に、キャロルの方に向き直る。キャロルを見ているかのようなその目は、碧一色に染まっている。
「強い光なら、見えるのですか?」
「いいや。何も」
 だとすれば、チャックは暗闇の中にいるのだと想い、すでにチャックの暗所恐怖症を知るキャロルは、彼の心情を想い恐くなる。
 けれどチャックは、穏やかな笑みを浮かべている。
 彼が作り笑いをすることも、すでにキャロルは知っていて、ならばこの笑みは、あまりにも本当すぎると、ますます恐くなる。
「暗いの、大丈夫ですか?」
「ふふっ、心配してくれるのかい?」
 突然視力を奪われただけでも、それは恐ろしいことであるはずなのに、どうしてこんな風に笑っていられるのだろうと、キャロルはちょっと不機嫌になる。
 チャックを睨みつけてみても、いつもならすぐに、申し訳なさそうな顔をするのに、当たり前だがチャックはそれに気づきもしない。そして微笑みながら、天を仰ぎながら太陽に向かって手を伸ばす。
「見えなくても、日差しが感じられる。指の間を、風が通り抜けていく。みんなの声や、小川が流れる音が、聞こえてくる。世界の広がりを感じられる。そういったものがないと、薄暗い程度でも、ボクは情けない姿をさらしてしまう」
「自分のことを、情けないというのは、やめてください」
「ごめんごめん」
 謝りながらも、チャックは嬉しそうに笑っている。
「笑ってる場合ではありません。もっとまじめに物事を考えてくださらないと」
 その笑顔を見ていると、今チャックは大変なのだ、ということを、忘れてしまいそうになる。そして大変なのはチャックなのにも関わらず、いつものようにお小言をしてしまう。
 大変なのはチャックなのに、自分はなんてひどいんだろう。
 今、彼に向かって泣きそうになっている自分の顔は、目の前にあっても見られてはいないはずだ。
 それでも声に出そうで、涙を我慢する。
「このままだったら、どうするんですか。大変なことになるんですよ! 心配して、しかるべきです!」
 そう。このまま回復しなければ、彼は戦線離脱を余儀なくされる。
 しかも視力を失った状態で、一人で生きていかなければならなくなる。
 今戦っている敵に立ち向かうためには、一人の欠員も大きな痛手だ。誰かが、……自分が、彼についていることなど、きっと、できは……。みんなと別れて?
 考えているうちに、涙がますます、あふれ出す。
「心配してくれて、ありがとう」
 チャックに言われ、耐えきれなくなった涙がこぼれ出す。
「でもさ、ボクは大丈夫だから」
「根拠があるんですかッ!」
 揺れる声をごまかそうと、きつくきつく言い放つ。
「いやないけど、なんか大丈夫な気がする」
 なんでこの人はと、また腹が立ってくる。
 その時、チャックがその手を、控えめにキャロルに伸ばしてきた。
「さわらせてくれるかい?」
 方向はわかっても、距離感まではつかめないのだろう。
 ドキドキしつつ、キャロルは何も言わず、そっと顔を近づけて、頬を指先に触れさせる。 
 普段見慣れぬ、手袋を外したその指は、穏やかな彼の顔つきに似合わず、ごつくて堅い。
 けれど、暖かい。
 チャックは何も言わず、指をそっと動かして、キャロルの頬を流れる涙をぬぐい取った。


「やった! 見える! 見えるようになったよ!」
 夜中、突然の叫びに、キャロルはテントの中で飛び起きた。
「オレも見えるかチャック!」
「ばっちりだよディーン! キミの歯についた青のりまでしっかり見えてるさ!」
「ええッ! こんなに暗いのにかッ!」
「冗談さッ! けど、そのぐらいしっかり見えてるッ!」
 すぐに状況を理解して、テントから転がり出す。
 満面の笑みを浮かべたチャックが、ディーンと一緒に大はしゃぎしていた。
 テントの中の他のものたちも、騒ぎに気づき、全員出てくる。
 寝ている所をたたき起こされたわけだが、誰も怒ってはいない。
 それぞれが、我先にとチャックを捕まえその顔をのぞき込み、確かめている。
 その勢いに出遅れたキャロルは、あっけに取られてその騒ぎを眺めていたが、ついに嵐の中心はキャロルの元にやってきて、いきなり両手でキャロルの両腕を押さえ、自らその顔を間近につきつけてきた。
「見てくれッ! 治ったよ! キャロルッ! 元通りだッ! ちゃんとキミの顔が見えているよッ!」
 キャロルは、碧の中、しっかりと自分を捕らえている、夜闇に大きく広がった、つややかな黒い瞳孔から、目が離せなくなる。
「よかった。キャロルの目が涙で流れちゃってるんじゃないかと、心配したよ」
「チャックさんッ!」
 ニッコリ笑われそう言われ、思わずいつもの調子で言い返した時には、チャックはディーンに呼ばれ、来た時同様に、あっというまに走り去る。
 呼び戻そうかと思ったが、その寸前、頬の火照りを自覚する。
 きっと今のチャックであれば、わずかなそれさえ見逃すことはない気がして、声をかけるのをやめておく。
「あいつも、かなり不安だったようだな」
 後ろから声を掛けてきたグレッグに、振り向きもせずキャロルは答える。
「チャックさんは、どうして平気なフリをするんでしょう。私たちに心配をかけまいとしてだとしても、こうして、すぐにバレてしまうのに」
「まったくだ」
 一言だったが、グレッグの同意が、キャロルはずいぶんと嬉しかった。
 たき火の周りで、チャックとディーンが何か言い合い、レベッカが割り込み、そしてアヴリルが微笑みながら発した穏やかな一言が、他の者の注意を引きつけている。
 日中、鮮やかな晴天の青空を切り取ってそこに置いたようなディーンの髪は、今は夜空と同じ色に染まっているが、真昼の荒野で目立たぬチャックの鈍い金髪は、昼間よく洗われたせいもあるだろうが、今はふわふわと、たき火の光を十分に含み、その存在を主張している。
「見えるって、いいですね」
「ああ」
 やがてキャロルも、その輪の中に飛び込むと、チャックをかがませ、その眼差しをのぞき込む。
 黒い瞳が、輝いている。
 もう大丈夫。これからもこの人と、一緒に旅を続けられる。

 やがて、ついにしびれを切らしたグレッグが、みんなを寝床に追い込んだ。

09.03.05

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