一般的にゴーレムハンターは、渡り鳥として数えられる。
確かにハンターたちを、ライセンスを手に入れるために自由を売り渡したという者もいる。ベルーニの犬とさえ言う者もいる。自由の代名詞である渡り鳥にはそぐわない者たちだと。
けれどただの渡り鳥が腕も人格も玉石混合なのと比べ、実力の最低ラインは保障されているし、くそ真面目にベルーニのために働くハンターも、滅多にいない。
ギルドから見ればハンターとは、いやニンゲンとは、ギルドが保障する身分や利権ばかりを利用する、はなはだ不真面目でいい加減な連中ばかりということになる。
だがハンターたちから見れば、ギルドの仕事で賞金を稼ぐより、渡り鳥として各地の仕事を請ける方が安全確実。しかも人々に喜ばれる。となれば、いずれを選ぶか、おのずと答えは決まってくる。
ハンターは、いちいちハンターと名乗らずに渡り鳥として仕事を請けるし、仕事を頼む方も相手が実はハンターではないのか? なんて考えもしない。
ハンターなら、大手を振って列車を使えるが、ハンターでなくとも渡り鳥なら、無賃乗車程度できて当然なのだ。
気にするのは、せいぜいテレビの宣伝を真に受けて憧れる、少年少女ぐらいのものだろう。
彼もまた、確かに渡り鳥だ。
最低保障付のハンターで、何をさせても、そつなくこなす。
けれど彼を、力強く羽ばたく翼を持つ鳥に喩えることに、違和感を感じる者は、少なくないだろう。
まず、見た目が軽い。
どう見たって優男だ。
だが、優男だと思ったら凄腕の魔法使い(マジシャン)だったとか、子どもだと思ったら超高性能ARMを使いこなしている、なんてこともあるから、油断はできない。
が、彼は特別凄腕ということはなさそうだ。
確かにARMは、一般に配布されている物よりは性能がいいハンター向け支給品だ。
いかつい大男にこそ似合いそうな、その無骨な大型ARMが彼のご自慢らしく、何かと振り回している。実際威力も大きいようだ。
が、むしろそのARMに振り回されている感じさえする。
いや、それだけなら別にいい。
彼は、言動も軽い。
いかにもなお調子者で、彼にまかせろと胸を張られても、その言葉には重みがなく、いま一つ頼りない。
本当に彼を頼りにしていいんだろうか? という不安は、トラブルが解決した後でさえ、払拭されることはない。
こいつに大きな事ができるのか? という彼への評価は、仕事面だけでなく、あらゆることにつきまとう。
悪事もできそうもないし、顔はいいのに態度が軽すぎるせいか、声を掛けられた女の子が頬を染めたり、うろたえることもない。
仕事を頼むのも、報酬を値切るのも、無報酬の野暮用を押し付けることも、騙して利用することでさえ、彼相手なら気軽にできそうな気になるぐらい、彼は軽い。
そんな軽い青年が、荒野からふらふらとやってきて、またふらふらと荒野へ出ていく。
確かに彼は、ハンターでもあるが、渡り鳥でもある。
仕事だって、こなしている。
そしてハンターであることが、彼の軽さを際立たせてはいるが、ハンターだから軽いわけでもない。
彼の頼りなさ。
それは彼を、力強く羽ばたく翼を持つ渡り鳥と表現することに、違和感を作り出していた。
キャロル・アンダーソンには、そうした『軽薄な彼』を見る機会はさほどなかったのだが、彼ことチャック・プレストンに対する第一印象は、やはり頼りないというものだった。
チャックが仲間入りした後、キャロルの冷静な判断力は、すぐにチャックの実力を認めはした。
なのに感じる頼りなさに変わりなく、キャロルは少々混乱しさえした。
そして彼が、初めて月のミーディアムから『セレスドゥ』の力を引き出した時に、こう思った。
彼は、蝶だ。
渡り鳥ではなく、蝶なのだ。
陽射しの下で花と風に戯れる蝶たちは、夜空の月目指し群れて飛び立つ。
蝶の渡りは、ただ生涯に一度の旅立ちだ。
鳥たちとは違い、帰還することはない。
風に流され、嵐に打ちのめされ、大半が目的地へとたどり着く前に、地に落ちる。
落ちてなお、命失うその時まで、もはや舞い上がることがかなわぬとしても、その翅を動かす。
なぜそうまでして、飛ぼうとするのか。
なぜそこまでして、飛び続けるのか。
なぜ、飛び続けなければならないのか。
死に逝く蝶は、夢の中で飛んでいるのか。
キャロルは月へ舞い上がる蝶を夢見る。
月にたどり着くことなどありはしないのに、蝶はボロボロになりながら、ただ翅を動かし続ける。
けれどついに力を失い、蝶は奈落へと舞い落ちていく。
月の女神はその腕を伸ばし、その掌に落ち逝く蝶をすくい取る。
女神が息吹を与えれば、蝶は女神の腕の中で、一人の青年へと変化する。
青年は、務めを果たしたことに満足し、その胸で笑みを浮かべ、安らかな眠りについている。
キャロルは荒野を両足で踏みしめて、両手を硬く握り締めて、遥か彼方の月に向けて叫ぶ。
「チャックさんを返してください!」
青年を抱いた女神に向かい、キャロルは叫ぶ。
女神は、ただ黙ってキャロルを見下ろす。
煌々と夜空に輝く、虚空の月。
キャロルは女神に手を差し出しもせず、力いっぱい握りしめる。
女神に向かい、懇願などせず、要求する。
「チャックさんを返しなさい!」
一人の少女が、月の女神を睨み上げ、恐れもせずにそう命じる。
『あきらめなさい。人の娘。この子は私の膝元で、やっと安息を得たのだから』
「私は認めません! 私は絶対にあきらめません!」
『ならばその手で掴み取れ!』
月の女神とは異なる気配が割り込んだ。
突如疾風がキャロルの髪を逆立て、その小さな身体を巻き上げる。
背にキャロルを乗せたチャパパンガは、すでに月に向かって駆け上がりつつあった。
その背から、キャロルは天の月に向かって腕を伸ばす。
セレスドゥが膝に抱く青年の、力なく垂れ下がった手に向けて、その小さな掌を大きく広げる。
『私にできるのはここまでだ!』
災厄は、人を選ばず訪れる。
だが運は、自ら掴まなければならないのだ。
このままでは届かない。
そう思った瞬間、キャロルはチャパパパンがの背を蹴り虚空へと身を躍らせ、両手で青年の手を掴み取る。
捕まえました!
その喜びもつかの間、セレスドゥの膝元から、青年の身体がずるりと滑る。
意識のない青年は、キャロルの手を握り返しもせず、ただなるがままに身を任せている。
セレスドゥもまた、その青年の身体を支えはせず、じっとキャロルを見つめている。
チャパパンガの姿はすでにない。
キャロルは、自分が取り返しのつかない大きな過ちを犯したと知る。このままでは、二人して落ちる。だがもし今すぐ自分が手を離せば、落ちるのは自分だけですむかもしれない。
ゴメンなさいチャックさん。
けれど私は、この手を離したくはないのです。
ついに青年の身体はセレスドゥの膝元から滑り落ち、二人は天から落ちていく。
間もなく訪れるだろう衝撃に身構えて、キャロルはぎゅっと目をつむり、ただひたすらに青年の手を握り締める。
その時青年の手が、初めてキャロルの手を握り返す。
驚いて目をあければ、目の前にあるのは、穏やかに眠り続ける青年の寝顔。
チャックの優しく穏やかな寝顔を、間近で見つめていることに気がついて、キャロルの頬が熱を帯びる。
気づかれぬよう、起こさぬよう、そっと離れようとすれば、手をしっかり握り合っていることに、初めて気づく。
ますます熱くなる頬に、慌てて周囲を見回せば、夜の荒野の只中と知る。
チャックは金の髪を月明かりに染め、すうすうと寝息を立てていた。
村から飛び出し、教授に拾われた。
仲間ができて、みんなで旅をし、世界を変えた。
それは変化の始まりにすぎず、忙しい時期がずいぶん続いた。
その山もいつしか越えた。
父の専門である考古学のフィールドワークの手伝い、という名目でバカンスのような旅をした。
そこに時折、チャックも加わった。
父が助手代わりに無理やり引っ張り出したのだ。
その父のせいで、縛り首にされかけたチャックが、それをどう思うのか、キャロルは少々心配した。
けれどチャックは何事もなかったかのように、なにげに一緒に活動した。
そして旅が一段落すれば、キャロルたちと別れ、ギルドという自分の場所へ戻っていく。
キャロルは父が、自分のために昔の仲間を引きずり出してくれているのだろうと、思っていた。
共に旅をした仲間のうち、気軽に引きずり出せるという意味では、確かにチャックは手軽なのだ。
つまり今でも彼は軽いのだ。
やがてキャロルは、自分の仕事を見つけ、取り掛かった。
キャロル自身が望む未来の形を示す論文だ。
論文という形にし、人に認めてもらうことで、キャロルの夢は現実味を帯びていく。
自分にしか書けないものであると思えたし、未来に向けて大きく波紋を広げる、自分なりの一石を投じることになるはずだ。
だから父親のフィールドワークの手伝いからも外れ、それに専念することにした。
だが、それからも父が、チャックを助手として引っ張り出したと知って、少々寂しく思いもした。
父をチャックに取られたような気もしたし、同時にチャックを父に取られたように感じていることにも、気がついた。
自分が二人に置き去りにされてしまったようで、寂しく、そして少し怖かった。
幾度もキャロルを怯えさせる、その想い。
けれどキャロルは、その感情を心の隅へとおいやって、論文の完成に集中した。
そしてついに論文を仕上げた日、キャロルはとまどう父親に論文を押し付け、こう叫んだ。
「チャックさんに、会いに行ってきます!」
ついてこようとするお父さんを振り切り、ギルドに駆け込む。
さして期待してはいなかったが、チャックはギルドにいなかった。そして特殊任務中ではなく、ただの調査旅行(ゴーレムハント)と聞いて、ホッとする。
チャックが何をしてようが、どこにいようが、会うと決めてはいたけれど、それでも迷惑の度合いは少ない方がいい。
荒野のどこにいるかわからない相手を探すことには、慣れているつもりだ。
それでも遺跡をたどればいい父よりも、未発見の遺跡と遺物を探しているチャックを見つけるのは、難しかった。
前回調査地域といったギルドに残された情報を手がかりに、あとは足で探しまくった。
そして、見つけた。
荒野を渡ってやってきたのがキャロルと知った時のチャックの驚いた顔は、見ものだった。
「まさか、キャロルとはね」
「なら、誰なら納得できたんでしょうか?」
「ルートから外れて迷った渡り鳥。でなきゃディーンかアヴリルかグレッグか」
「グレッグさんなら、まだしも解ります。けれど、ディーンさんやアヴリルさんが、どうしてこんな所へ来るんです?」
「ディーンとアヴリルなら、ここにじゃないけど、いきなり来た事があるよ?」
現ジョニー・アップルシードと、伝説のジョニー・アップルシード。二人とも、ふらふらと荒野を渡るような立場にはない。
「お二人でですか?」
二人でお忍びの旅行でもしてたのかと、キャロルは思った。
どんな秘密も探り出し、針小棒大に語るゴシップが大好きな人々が知ったら大喜びしそうな話だが、そんな噂はカケラも流れていなかった。
「いや、別々に」
わけがわからない。
「何のために?」
二人の用が自分のように、チャックに会うことだけが目的だとは、思えなかった。
「それはボクからキミには話せないな」
やっぱり政府がらみの話なのだろう。
「で、キミはどこへ行こうとしてたんだい? 送って行くよ」
優しそうに笑うチャックの目が、彼が何を考えているのか、はっきり映し出していた。
「チャックさんは、私が何をしているように見えますか?」
「論文のためのフィールドワーク中に迷子になった。誰かがキャンプしているのを見つけて近づいたら、ボクだった。どうだい? ボクの推理」
カッコつけて指を振るその姿が、ひたすら軽薄だ。
「大ハズレです。チャックさんは、私のことを、そんなに迷子になってばかりだと思っていらっしゃるんですか?」
「いいや。これは失礼」
形ばかりクスクス笑う口元を隠すチャックの眼差しは、いつもと同じく優しくて、キャロルはその子ども扱いに苛立たされる。
小さく深呼吸をし、チャックに正解を突きつける。
「私は、ここへ来たんです」
「ここへ? ここには何もないけど? ああ、遺跡を調査してるわけじゃないんだ。ここには何もないことを、確認したところさ。こうやってボクは一つづつエリアを……」
鈍いのか、それとも鈍そうに装っているのだろうか。
「私は、チャックさんに会いに来たんですッ!」
「いッ!」
大げさなポーズで引いて見せるチャックに、キャロルは怒りを通り越して、深々とため息をついていた。
「えーっと、親子喧嘩して家出してきたとか?」
「往生際が悪いですね。いい加減、覚悟してください。私は、チャックさんに会いに来たと言ったんです」
とたんにチャックの表情が、物悲しい笑顔に変る。
「そっか」
そう言うとチャックは、キャロルに座るように薦めた。
キャロルが座ると、その正面にチャックも腰を下ろす。
「長くなりそうだね。まずお茶でもどうだい?」
「頂きます。けれどチャックさん。話を始めるのを引き伸ばそうとしてもダメですよ」
「そのつもりはないよ。けれどお茶を入れる間だけ待ってくれ」
チャックが差し出すカップを、両手で受け取る。
掌が感じる温かさが心地よい。
チャックもカップを手に、黙ってキャロルを見つめている。
優しげで、そして悲しげだ。
その視線をしっかり受け止め、キャロルは口を開く。
「いつまでもこうして、お一人で荒野に逃げているつもりですか?」
「ずっと」
出会ったた直後の、ファリドゥーンに打ち倒され、去り行くルシルを見送って、立ち去るチャックの姿を思い出す。
「自分の手で、大事な人を護るのではなかったのですか?」
寂しげな笑みを浮かべて黙っているチャックに、キャロルは厳しく言い放つ。
「私の質問に、答えてください」
チャックはキャロルから視線をそらし、顔を伏せる。
「私を見て、答えてください」
チャックはキャロルの求められるまま、顔を上げる。
「そう。あれはみんなでポンポコ山に、潜入した時のことだったね。残念ながら、ディーンめがけ落ちて来た石が、ナイトバーンを押しつぶした時に、その決意はあっさりくじけたよ」
「それでも、私たちと一緒に旅を続けましたよね」
「関わってしまった以上、キミたちだけはこの手で護りたいと、そう思った。だけどハウムードでグレッグが危険な目に会った時、飛び出すことができたのはディーンだった」
「確かにチャックさんは情けないし、頼りないです」
チャックは、その通りだとでも言うように笑う。
「けれどその後、チャックさんはルシルさんのために、ファリドゥーンさんに活を入れました。チャックさんでなければ、ファリドゥーンさんを説得することは、できなかったと思います。それは、チャックさんがルシルさんを護った、ということでではありませんか?」
「ああ。ボクはそれで満足さ。ファリドゥーンは、二度とルシルを傷つけるようなことはしないからね」
チャックは本当に嬉しそうで、そのことがキャロルの癇に障る。
「チャックさんは、それで満足なんですか!」
「満足だよ」
「そんな風に人任せにすることが、チャックさんの望みなんですか!」
「ルシルが求めているのはファリドゥーンだ。ボクじゃない」
「ならば、私がチャックさんを求めますッ!」
そう言い切れば、チャックの笑みは、再び寂しげなものになる。
「キャロル。ダメだ」
「どうしてですか! チャックさんが疫病神だからですか!」
チャックは、しばらく黙ったままキャロルを見つめていた。
キャロルは逃すまいと、しっかりチャックを睨み返す。
「キャロル。ボクはね、本当は十四の時に、父さんと一緒に死んでたハズなんじゃないかって思うんだ。フフッ、疫病神並にバカげた話だろ?」
「だから子どもっぽいんですね」
「あはは。なるほど、それは気づかなかったな」
「でも、チャックさんは、私の目の前にいます。こうしてお話ししています。幽霊なんかじゃありません」
「キャロルの目の前にいるのは疫病神だよ。深く関わるべきじゃない」
「そういう事を考えるのは、チャックさん自身なのではありませんか?」
「……そうだね。確かにボクだ。そしてそのボクが、あの時本当は死んでるんじゃないかって、考える。そしてそう考えると、とても幸せな気持ちになれるんだよ」
キャロルは黙って、チャックを見つめる。
「ボクは、あそこで死んでいたはずなのに、ゴーレムハンターになることができた。キミたちと会うことができた。ケントを取り戻し、ルシルの幸せを見届けられた。世界中を旅しながら、全てが変っていく様を見ることができた。こんな幸せなことがあるかい?」
キャロルは心の中で、チャックの不幸を数え上げる。
目の前で父親を亡くした。母親を亡くした。親友も一度は失い、自身も理不尽な理由で殺されかけ、初恋の人は去っていった。
そのことで、チャックは苦しんでいた。
「そしてこうして、キミとオシャベリもできる」
「チャックさん。それがチャックさんにとって幸せなことなら、死ななくてよかったじゃありませんか」
「ボクは十二分に幸せさ。だから、これ以上求めないって、決めたんだ」
「それじゃ、私はちっとも幸せじゃありません!」
「キャロル。ボクのことは忘れなよ」
「忘れようと思って忘れられるものじゃありません。だからといってチャックさん! 逃げないでください! 姿をくらませたら、私がチャックさんのことをあきらめるなんて、考えないでくださいね!」
笑みを貼り付けたまま、チャックはひどく困っている。
「キャロル。こんな情けなくて頼りない男より、世の中にはキミに相応しい男がいくらでもいる。まだ出あっていなくても、きっと出会える。そしてキミは、自分で自分の幸せを掴む力を持っている」
「私から逃げないと、約束してください! 私に無断でいなくなったりしないと、私に約束してください!」
そう迫りながらもキャロルは、チャックが逃げられないことを知っていた。逃げればキャロルを傷つけてしまうことを、知っているからだ。
だがチャックは、踏み込んでも来なかった。
「情けなくても、頼りなくても、私はずっと、チャックさんに護って欲しいんです! 私はずっと、チャックさんと一緒にいたいんです!
私のために、生きることはできませんか!」
ただ逃げないだけでなく、踏み込んで欲しかった。
チャックは、もはや泣いているとしか見えないほど顔をゆがめ、けれど口元だけはヘラヘラと笑っている。
「お兄さんとして、じゃダメなのかい? 恋人関係は別れることもあるけれど、兄妹なら一生ものだよ?」
「ダメです。私はチャックさんの意志で、チャックさんの特別大切な人に選んで欲しいんです!」
キャロルは手にしていたカップを地面に下ろすと、そんなチャックに詰め寄って、彼の手からもカップを剥ぎ取り、それも地面の上に下ろすと、しっかりその手を握り締める。
長い旅の間、幾度かこの手を繋いだはずだ。
しっかり握られたこともある。
けれどそれは必要があったからで、普段キャロルがチャックの手を取ることは度々ありはしたのだが、そんな時チャックは握り返してこなかった。
「アハハ……。どうして、ボクなんかを」
「チャックさんがいいんです」
「距離は取ってたつもりだったんだけどな」
視線を落とすチャックに、キャロルは、今までの強気を忘れ、恐る恐る訊ねる。
「……私じゃ、ダメですか? ルシルさんの代わりには、なれませんか?」
チャックはキャロルを見つめ、包み込むような優しい笑みを浮かべる。
「キミはキミだ。ボクはルシルの代わりなんて、求めていない。そしてボクは、キミが好きだ。キミ自身がね。
ただボクは、キミを恋愛対象として見たことはない」
そうだろうと、思っていた。
「私が子どもだからですか?」
チャックは微笑んだまま、小さく頷く。
キャロルには、わかっていた。
いくら頼りなさげでも、情けなくても、気が弱くても、見た目が年齢より幼くても、チャックは、自分よりも七つ年上の大人なのだ。
そして自分は、いくらしっかり者でも、学問の分野では大人として認められつつあったとしても、彼より七つ年下なのだ。
いずれ二人が共に大人になれば、七つの差など、無意味なものになるだろう。とはいえ今の二人には、七つの年の差はひどく大きい。
けれど、越えられないほど高く、壊せないほど厚い壁ではないはずだ。
「ならば、待ってください。
今のまま、私が大人になるまで、待ってください。
私を置き去りにして、どこかへ行ってしまわないと、約束してください」
「わかった。キミがいいと言うまでボクは待つよ」
「けれど覚悟してくださいね。私、それまでに絶対チャックさんに、告白させて見せますから」
「えーっとそれってもしかしたら、ボクがその気になって告白したとたん、フラれちゃうパターンかい?」
「チャックさん!」
「ご、ゴメン! 茶化すつもりで言ったんじゃないんだ」
困ったことに、事実チャックは本気でそう思い、そして口を滑らせたのに違いない。だからキャロルは、少しばかりお説教する。
けれどいつもと違い、チャックの手を放さない。
チャックは確かに困っているが、どこかなんだか嬉しそうだ。
「真面目に聞いてるんですか!」
「いや、なんていうか……」
「聞いてなかったんですか!」
「……知ってたつもりだったんだけど、女の子って男より、よっぽど早く大人になるんだなぁって」
「チャックさん!」
頬の熱を治めようと、キャロルはことさら声を張り上げた。
やがて日が暮れると、夜の見張りをすると言い張るチャックを説き伏せて、その手を握って眠りに落ちた。
きっと自分が眠ったら、チャックはそっと起き出して、見張りにつくだろうと思っていた。
高い位置にある満月が、まだ夜が深いことを示している。
その月の光につつまれて、チャックはすうすうと、安らかなな寝息を立てている。
私の手を取ってくれたのですか?
チャックの寝顔に笑いかける。
捕まえました。もう離しませんからね。
七つも年上の、チャック・プレストン。
キャロルはぎゅっとその手を握り返すと、そのままチャックの隣で、目を閉じた。