昔々、まだベルーニがやってくる前のことです。
そのころミラパルスは、農耕と狩猟で暮らしを立てる別段特徴のない村で、渡り鳥がやってくるのもまれなことでした。
ですが皆無というわけではありません。
その日も若い渡り鳥が一人、ミラパルスを訪れました。
金髪の、見目麗しい青年です。
リンゴの郷ゴウノンで、仕事があると紹介されてやってきたのです。
仕事はミラパルスで月に一度ある、月明かりの儀式の手伝いということでした。
報酬はさして多くはありませんでしたが、本来ミラパルスの人々しか参加することのできない珍しい祭りのゲスト、いや主役。仕事は座っているだけも同然で、飯も酒も出る。いや酒を飲むのが仕事と聞いて、面白半分引き受けたのです。
「いわゆる客人(まろうど)信仰だな。他の地より訪れる者は幸をもたらすとして旅人を歓迎したり、祭りにおいては神としてもてなしたのだ」
青年は、村人たちに歓迎されましたが、まず精進潔斎とかで、牢のような穴倉の中に閉じ込められ、村人たちとの会話もままなりません。ですが、ベッドもあるし食事もでるので、食っちゃ寝しながらすごします。
満月の前日となると、青年以外の旅人は、渡り鳥であれ、近隣の村の者であれ、締め出されてしまいます。
そして満月の日の夕方、青年は穴倉から出て、身体を洗い禊(みそぎ)とします。
さらに用意された薄物に着替えます。
上座に案内されると、ご馳走が運ばれてきますが、まだ食べることはできません。
村の顔役たちが挨拶にやってきて、一人一人青年が手にした大きな杯に強い酒を注ぎます。
それを飲み干すのが、いわば仕事です。
顔役たちの挨拶が終わると、次は他の男たちや女たちも、酒を手に挨拶にやってきます。
全員の挨拶が終わると、やっとご馳走を食べることができます。
酒もご馳走も青年の分しかありませんが、そういう祭りなのでしょう。
男たちは侍り、トイレの間も付き従います。
女たちはこぞって勺をし、夜はふけていきます。
青年のために歌や寸劇、舞なども披露されますが、宴会と違って勝手に騒ぐ者はなく、粛々と物事は進みます。
青年がご馳走を食べつくし、もう酒は飲めないと音を上げても、村人たちは酒を勧め続けました。
「だが、客人神をもてなす祭りではなかったのだ」
やがて青年が酔いつぶれてしまうと、村人たちはその身体を高いやぐらの上に担ぎ上げ、きつく縛り付けました。
そして天頂で輝く満月の光の中で、青年の命を絶ったのです。
「月の女神に生贄を捧げ災厄を退ける、それが百年前までの、ミラパルスの月明かりの儀式だったのだ。渡り鳥を生贄にしたのは、村の若い男を毎月殺していては働き手が減ってしまうし、男たちも逃げてしまい、村が立ち行かなくなってしまうからだろう。
また、全財産を持ち歩く渡り鳥の懐も、魅力的であったようだ」
生贄には月の女神が好むという、金の髪をした美青年がよいとされていました。ですがそう都合よく、そんな生贄が手に入るわけではありません。しかも毎月のことなのです。
身寄りも仲間もいない渡り鳥なら、年齢や見た目については妥協することも、たびたびでした。
時には生贄に選んだ男が、やたらと酒に強く、なんとか酔い潰しはしたものの、最後の最後でやぐらの上から逃げ出すこともあります。
そんな時は、村の男に白羽の矢を立て生贄にしていました。
うまく儀式を終えたものの、他の渡り鳥に儀式を見られてしまったり
後からいないと思っていた渡り鳥の仲間が探しに来ることもありました。
ミラパルスの人々は、まずい事が起きると、酒に酔っての勘違いのせいにしたり、それでもダメなら近くの洞窟の奥に住むという伝説の『デ・ソトの魔獣』のせいにしてごまかしていましたが、次第に渡り鳥たちの間では、ミラパルスについての悪い噂が囁かれるようになっていたのです。
「デ・ソトは、古代ファルガイア文明の言葉のようであったから、ワシはその魔獣に興味を持ち、ミラパルスを訪れた。ちょうど満月の日であったが、生贄の都合がついておらず、村人たちはワシを生贄にしようと考え、受け入れたのだ。秘祭に興味を持ったワシは、二つ返事で引き受けた。
それにそのころのワシは、若い美丈夫であったしな」
すでに日が暮れ、月が出ていました。急がなければなりません。
武装解除をかねた禊までは、無事に進みました。けれど用意した着替えは小さすぎて、大男に着せることができません。
着替えを諦め、上座に案内します。
男の身体は上座からはみ出しますし、大きな杯は、大男が手にすると、まるでママゴトのお皿のようです。
村人たちは、いつもより沢山飲ませなければと、その皿にせっせと酒を注いだのですが、飲ませても飲ませても、大男はまるで酔いません。
刻々と満月は天頂に近づいていきます。
もう猶予はありません。こんな時のために侍っていた男たちが、いっせいに大男に飛び掛りました。
ですが大男は、村の男たちを、腕の一振りでふっ飛ばしてしまったのです。
村人たちは勝ち目がないと見て、泣き落としにかかりました。
すべてをデ・ソトの魔獣のせいにしたのです。魔獣が生贄を要求している。どうかその力で、魔獣を退治してくれと。
当時魔獣は、そんじょそこらにゴロゴロしているものではありませんでした。それに大男の目的は、もとよりデ・ソトの魔獣でしたから、村人たちに案内されるまま、魔獣がいるという洞窟へ向かったのです。
洞窟探索を始めた大男は、すぐそこにあるものに、熱中しました。地の底で、何体もの壊れたゴーレムを含む過去の遺物が、半ば露出していたのです。
大男の訪れに応じるように、そのいくつかが息を吹き返しさえしました。
そこはただの洞窟ではなく、大昔の遺跡だったのです。
大男は土砂を掻き分け、最深部から石碑と鏡を見つけました。
石碑に刻まれた古い言葉によると、デ・ソトの鏡を満月の光にさらせとありました。
「魔獣などいなかった。だが、精神力の大きな者の訪れにより、完全起動とまでいかずとも、ゴーレムが目覚めかけることもあっただろう。不完全なデ・ソトの鏡の伝承とゴーレムの存在が、魔獣の話を作り上げたのだと、ワシはその時は思ったのだ。
村へ戻ろうとした時、入り口が土砂で埋まっていても、ワシにとってはたいした障害ではなかったこともあり、まだ村人を疑いはしなかった。
だが村へ戻った時、全てがはっきりした。ワシを洞窟へ案内してすぐ、村人たちは村の男を、生贄に捧げてしまっていたのだ」
村人たちは、戻ってきた大男を見て、驚きました。
しかも生贄の亡骸を見つけた大男は全てを悟り、大声で村人たちを叱りつけたのです。
ですが村人たちに鏡を渡し、生贄など捧げずとも、この鏡を月の光にさらせばよいと教えると、村を去って行きました。
村人たちは、月の女神は若い男でなくとも、鏡で自分を見て満足するのだろうと口々に語り合いました。
「というわけでだな、ミラパルスの連中はワシのことなど忘れてしまっておるのだが、そもそも鏡はワシが持ち帰ったものであるし、デ・ソトの鏡がなければ、代わりにニンゲンを殺すというのも、別にベルーニのオリジナル・アイデアではなくてだな、むしろワシは無駄な殺生をやめさせた功労者であってだな……」
「だとしても、勝手に持ち出していいわけではありません!」
小さなキャロルに叱られて、教授はその大きな背中を、できる限り小さく丸めた。