(C)hosoe hiromi
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トラブル

「なんでこういうの、もっと早く教えてくれなかったんだよ」

 ディーンは、デスクいっぱいの書類を前に、ひどく不機嫌だ。
 チャックは手近な書類を持ち上げ、眼も通さずその内容を口にする。

「犯罪および不良渡り鳥、家出する子に捨てられる子、ホームレスにストリートチルドレンの増加。旅人を拒絶する豊かな町と、人口流出で崩壊する貧しい村。不公平な雇用契約に、契約違反。弱者を搾取する強者。財産をだまし取る詐欺師たち。その他もろもろ。
 ディーン、素晴らしい成果だと思うけどね」
「チャック! そんな皮肉は、今聞きたくない!」
「皮肉じゃないさ。報告書には、ほとんどベルーニだニンゲンだっていう言葉が出てこないことに、気づいてるかい?」
「あ……」

 ディーンは手近な報告書を拾い上げ、斜め読みしようと試みるが、目はすべりまくり、やがて大きなため息をついてあきらめる。
 ディーンだって、いつもいつもそんな風にあきらめるわけではない。いや、あきらめないのがディーンだと言ってもいい。
 事実この書類の山にも、一度目を通したのだ。だからこそ、疲れ切って血走ったその目が、もう嫌だと文字の上を滑ってしまう。
 もっとも普段は、ここまでデスクを書類に占領されたりはしない。世界中の人々のあらゆる要望は、いくら大きなデスクでも、そこに積み上げられるほど少なくはないからだ。
 それを新たなジョニー・アップルシードと理想を共にする仲間たちが手分けして、重要性や緊急性で振るい分け、どうにかできるものはどうにかし、差し戻すものは差し戻し、重要かつ緊急性がありそうなものは調査し裏付けを取った上で、ジョニー・アップルシードが解決すべきものを厳選し、デスクの上に積み上げる。
 さらに各問題ごとに、詳しい者が担当につき、口頭でディーンに説明し、質問を受け、ディーンの指示に従い再調査や問題解決のためのチームを手配する。
 ギルドのチャックも、そうした仕事を度々引き受ける。
 いや、ゴーレム探索や所有、そして旅が自由化された今、ハンターたちは散り散りになり人手不足。こうしたディーンの仕事の手伝いだけでも手一杯で、渡り鳥を雇ってこなしているのが現状だ。
 チャックは、ハンターや渡り鳥たちと交渉し、仕事を割り振り、報告を聞き取り、書類を作り、ディーンに報告するという、いわば中間管理職をこなしている。  そのチャックが、担当の報告書だけでなく、普段はディーンのデスクまで届かない些細な書類の山を持ち込んだのは、昨夜のこと。
 ディーンは、夜なべでそれを読み、その些細とされる事柄の一つ一つがちっとも些細に思えなくて、どうして今まで教えてくれなかったのかと、いわば八つ当たりぎみに不満を漏らしているというわけだ。
 もちろんディーンも、これについてチャックが悪いわけではないと、わかっている。むしろチャックは、ディーンも承認したルールを無視して、書類の山を持ち込んだのだ。
 なのにどうしても不満げになってしまうのは、友だちに対する気安さと、寝不足と、苦手な書類の山と、そして人ごとのようにからかってくるチャックの振るまいのせいだろう。

「見事じゃないかい? 今や犯罪者たちは、種族なんか関係なく手を取り合ってるし、被害者の種族も気にしやしない。あいつらがそれを意識するのは、それが犯罪に利用できるときだけだ」
「嬉しくない。オレは世界が良くしてきたと思ってたのに、全部オレの勘違いだったのか?」

 チャックは興味深そうに片眉を上げる。

「ボクもディーンの感性に賛成だ。確かに統計上も犯罪は増えている。けれどそこには、今まで犯罪としてカウントされなかった分が含まれてる。
 以前はベルーニであれば、何か適当な理由でニンゲンを処刑しても、犯罪にはならなかった。
 無断で居住地を離れたからって犯罪者扱いされることはなくなったけれど、各地の自治体の渡り鳥への対応が厳しくなっている。
 渡り鳥が増えすぎて、腕がない者たちが食い詰めて、犯罪者へ転落してるってのもあるし、そういう渡り鳥に疑心暗鬼になった自治体が、怪しいってだけで渡り鳥に犯罪者扱いしたり、追い出したりしてるんだ。
 種族なんか、関係なくね」

 チャックは、手にした書類を、ディーンの目の前でひらひらさせる。
 ニンゲン側に対する規制の方が目立っていたが、あの独立宣言前、急激な人口減少により余裕がなかったベルーニ側にも、ほとんど自由はなかったのだ。
 タガがはずれた今、双方で羽目を外す者、それで失敗し転落する者が、多数出ている。
 ディーンはチャックを、睨みつける。

「納得できないッ!」
「もちろん、種族の壁が壊れたなんて、言いやしないさ。種族に対する偏見や憎悪、そして反感は健在だ。差別感情や対立意識も、歩み寄ろうとし、混じり始めた分、ぶつかり合い、ますます反発し、増えている部分もある」
「チャックッ! ケンカ売ってんのかよ!」
「ボクはキミが求める『現実』を語ってるつもりでいるんだけどな。それとも信用できないかい?」

 チャックは手にしていた書類を、ディーンに向かって押しつける。

「信用してるさッ……信用して……。けど、こんなの見せられたら……」

 ディーンは、書類を受け取ろうとせず、顔を背ける。
 だがチャックは、ディーンの態度を気にもしていない様子で、それをそのままデスクの書類の山の上に放り出す。

「キミは少しボクを疑うべきだよ」

 ディーンは目を丸くし、そしてチャックに噛み付く。

「チャック! 騙したのか!」
「いいや。ボクはボクが信じた通りに、報告書を書き、そしてキミに話している。けれどそれが真実だって、どうしてわかるんだい?」

 ディーンは顔を背けたまま、チャックを見ようともしない。

「チャックは……、そんないい加減なことしない。他のみんなもだ」

 チャックは表情を和らげ、そんなディーンに微笑みかける。

「キミらしくないぐらいイライラしてるね。デスクワークに疲れきってるんじゃないのかい?」

 ディーンは顔を上げ、キッとチャックをにらみつける。

「チャックがこれをもってきたんじゃないか!」
「ボクが知る限りの現実だよ。キミは夢なんか見ずに、現実を見るんだろ?」
「これが現実なのか! これがッ!」

 チャックは面白そうに笑う。

「あはは! キミの机の上に、この書類の山に、現実なんてあるもんか」

 ディーンは殴りかからんばかりに、チャックに噛み付く。

「チャック! 何のつもりだよッ!」

 チャックはすまして、大げさに肩をすくめ、両手を広げる。

「ここにあるのは書類だよ。これを書き換えたって、現実が変るわけじゃない。つまり現実なんかであるもんか。
 だいたい以前のキミなら、こんなの見たとたん、自分の目で確かめようと走り出してたんじゃないのかい? ボクにぶつくさ言おうなんて考えもせずにさ」
「え?」
「これが気になるなら、自分の目で見て確かめてきたらどうだい? 一つ残らず、納得行くまで」
「……いいのか? チャック」
「どうしてボクの許可がいるんだい? キミはジョニー・アップルシードで、ボクはただのハンターなのに」
「でもオレには、ジョニー・アップルシードの責任が……」

 ディーンはまだ、そうしてはいけない理由を探してはいる。けれど、すでに瞳は、期待に輝きはじめている。

「キミのやり方が、ジョニー・アップルシードに選ばれた。逆じゃない。
 もちろん我らがジョニー・アップルシードが、もっと書類をお望みならば、遠慮なく申し付けてくれ。ボクはよろこんえ各地へ飛び、いくらだってレポートをキミに送ろう」

 チャックは書く方も読む方も、別に苦ではないらしい。
 それにギルドの再建も着実に進み、ナイトバーンという看板も得て、まもなく組織として、チャックがいなくても動き始める見込みもついた。
 その時がくれば、チャックはギルドの彼のオフィスを出て、荒野に向かうだろう。
 そのことも、チャックだけがデスクから開放されるということも、このところのディーンのいらいらの原因の一つだった。

 けれどチャックは、そうだ、オレを旅に誘ってるんだ。
 そう考えたとたん、ディーンは叫ぶ。

「オレ、行く。そうだ、アヴリルにも、この世界を見せてやりたい。レベッカも、グレッグも、それからキャロルも、もちろんチャックも一緒に、もう一度旅をしよう!」

 ところがチャックは、肩をすくめて両手を広げる。

「キミがしたいようにすればいい。ただしボクは留守番させてもらうよ。キミがいない間にいろいろ画策したくて、こんな話をしてるんだからさ」

 わけがわからず、少し傷ついたような顔をするディーンに、チャックは再び片眉を上げる。

「キミは何んにでも挑戦できる。けれど、なんでもできるわけじゃない」
「あきらめなければ、人はなんだってできる!」
「なら、ボクの首にロープをかけて引っ張ってくかい? けれどボクは以前のように、望まぬ場所に大人しく曳かれて行くつもりはないんだけどね」
「オレと旅したくないのか? チャックは……」

 ディーンの言葉をチャックはさえぎる。

「ファリドゥーンを誘ってみちゃどうだい?」

 きょとんとするディーンに、チャックは笑いかける。

「まあ、誘わなくたって追いかけるとは思うけどね。書類を抱えて」

 ディーンは書類と聞いて、一応げんなりして見せるが、それでも嬉しさを隠せないでいる。
 新たな旅が、過去の旅の再現である必要はない。
 新たな出会い、あらたな経験。それが旅だ。

「ファリドゥーンは融通が利かないからなあ。けど、一緒に旅をすれば、きっと友だちになれるッ!」

 ヴォルスングに対しての忠誠はそのままに、新たな上司であるディーンに仕えるファリドゥーンの態度は、まさに『仕える』という言葉が相応しい。

「それはどうかな? 融通が利かないところが彼のいいところだと、ボクは思ってるよ」
「そりゃチャックは、ファリドゥーンと仲いいからいいけどさぁ」

 ディーンがちょっと拗ねてみせると、チャックはやれやれと言いたげに、大きく両手を広げて見せた。
 ディーンにぶつぶつ言っているが、チャックがこのオフィスを訪れた時の、息のつまるような空気は、今や一掃されている。
 チャックはあとで、ディーンをあおってバカなことをさせたと、あちこちから言われるだろう。けれど、それはたいしたことじゃない。聞き流せばいいだけの話だ。
 これは、かつて自分が前へ進めなくなっていたときに、背中を押してくれたディーンへのお礼、……というほどのものでもない。
 ただ友人として、ディーンが、大きなデスクをすえたオフィスで、少しづつ煮詰まっていくのを見ていたくなかっただけだ。
 今ディーンは、デスクの報告書の一つを、熱心に読み初めている。
 そこに書かれたことは、単なる要望ではなく、まもなく自分が出向く場所についての情報だ。
 小さな村から飛び出して、世界中を回り、世界中の人々の運命を背負う重責を背負って、精一杯がんばり始めたディーンにも、息抜きは必要だ。
 チャックはニッコリ笑い、書類に熱中しているディーンに一声掛けると、彼がスムーズに旅立てるよう、少しばかり支度するため、彼のオフィスを後にした。

08.12.06


 本編三ヶ月後ぐらいの社会的混乱の山場。
 いろいろ考えた末グレッグがゴウノンへ帰った少し後。
 ディーンは世界中を飛び回っている、とはいえカポブロンコとライラベルをいったりきたり。あとは挨拶まわりみたいなもので、旅をしているとは言いがたい状況。

 アヴリルの家出にしろ、ディーンに対してこういう扱いをしてますが、ディーンはそれぞれの問題を、一つ一つ、乗り越えていくと思っています。
 ED時点は、決してディーンの成長の限界ではなく、つまづいた経験が、さらにディーンを成長させていくと。
 ディーンは孤独ではないので、その時々に、仲間や友だちの手を借りながら。もちろんディーンも、仲間や友だちの危機には、その手を差し出しながら。


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