ベルーニ四天王を制し、四つの改造実験塔を停止させた私たちは、それぞれに成長したように思います。
危険は回避されたわけではなく、ヴォルスングはついにニンゲンだけでなく、自らをトップと認めたベルーニにさえ、あからさまに牙を剥き、その滅びを宣言しました。
そのことが、ベルーニ四天王制覇とあいまって、体制に反旗を翻す私たちへの、世間の評価を変えたのです。いえ、すでにベルーニとニンゲン双方が、すでに心の中に秘めていたもやもやとした不安や不満が、ヴォルスングと私たちの対立という明確な形に収束したのでしょう。
蟷螂の斧を振り上げる愚か者でしかなかった私たちに、種族に関わらず、もしやと期待する風向きも、僅かにですが現れたのです。
逆に社会を支える体制を破壊し、たった一人で双方の喉笛に匕首を突きつけたヴォルスングの姿は、孤独に毒され、余裕を失ったように目に映りました。
体制の要が破壊された今、ベルーニかニンゲンかに関わらず、人々は現状を維持するのが、精一杯のようです。
ですが私たちは、未来を信じ、自信に満ち、余裕さえ感じてさえいたのです。
たとえば夕餉の時に、他愛ない話に興じることも、たびたびでした。
「ねえチャック。男ってやっぱり甘えさせてくれる女がいいわけ?」
いきなり大真面目にレベッカさんにそんな話を振られて、チャックさんは少し困り顔です。
すでにレベッカさんがディーンさんを好きだということは、ディーンさんを除いて、みんな知っています。
みんなそれを知っているということを、ディーンさんと、そしてレベッカさんだけが、知りません。
だからレベッカさんが知りたいのは、ディーンさんがそうであるかどうかであることは、チャックさんにもわかっています。
にもかかわらず、レベッカさんが男の一般論として質問なさったので、チャックさんは困ってしまったのでしょう。
「まあ、そういう男もいるし、そうでない男もいるだろうね」
チャックさんは、当たり障りのない返事をしました。
「なら、チャックにとって甘えさせてくれるって、具体的にどういう人なわけ?」
レベッカさんは、本当はディーンさんはどんな女の子が好みだと思うかと、聞きたかったのだと思いますが、さすがにそのものズバリは口にできないのでしょう。
一方チャックさんは、逆に質問を限定されて、ほっとしているようです。
「ボクがしっかりすればいいんだろうけどさ、たまには頼られてみたいよ。仲間や友だちとしてじゃなく、男としてのボクにね」
まるで答えになっていません。むしろそれは、男として意識せずにそんな質問をしてきたレベッカさんについて、言ったのではないでしょうか?
けれどレベッカさんは、気づかなかったようです。ちょっと不満そうに、こういいました。
「それ、甘えさせてくれるじゃなくて、甘えられたい、じゃない?」
チャックさんは口元に手を当てて、まじめに考え始めます。こんなまわりくどい恋愛相談の、本質とズレてしまった質問に対しても、問われればまじめに考えて答えようとするのが、チャックさんなのです。
いえ、ときおり足をすくうように、はぐらかしてしまうこともあります。
チャックさんが今回どう答えるのか、私は気になってなりません。
「そうだね。情けないボクをそのまま受け入れてくれる人、かな?」
「情けない自分を認められないのは、チャックの方なんじゃない?」
私も、そう思いました。けれど、まさかレベッカさんが、それをチャックさんに言うなんて。
きっとレベッカさんの頭の中は今、ディーンさんのことでいっぱいで、チャックさんに気配りなどできないのでしょう。
いえ、もし今チャックさんとお話ししていたのが私だったら、やはりそれを口にしてしまっていたかもしれません。チャックさんとは、つい気配りも忘れるほど、相手に警戒心を起こさせない人なのです。
チャックさんの方も、気を悪くもしていないようです。
「じゃあ普段はきつめで厳しくて、忘れたころにふと甘えさせてくれる、のがいいかな」
気を悪くもしていませんが、まるで他人事のような軽口です。
「その忘れてるころにふと相手が甘えさせてくれた時に、ちゃんと空気読んで甘えられるかどうかが、問題じゃない?」
「あはは! 確かにそりゃあむずかしそうだね」
もはや会話は馴れ合いになったようです。
レベッカさんは、すでにディーンさんについての手がかりを、チャックさんから得るという当初の目的をあきらめたようですし、チャックさんもニコヤカにまじめに答えてはいますが、自分については冗談ごとにしてしまったように見えます。
けれど、冗談めかして本心を言っているような気も、しないではありません。そんな、どこかつかみ所のない人なのです。
そんなつかみ所のなさは、チャックさんの常ではあります。
ただ今回の問いかけに限れば、チャックさんがそんな風にふるまう理由を、レベッカさんは、そして私も、知っています。
チャックさんの念頭にあるのは、たった一人の女性に違いありません。
失ったわけではないけれど、決して手の届かない人。
その人の幸せを願い、チャックさんが身を引くと決めた人。
だから、それ以上は踏み込めなくて、チャックさんの痛みを思うと、だんだん切なくなってきて。
私が『甘えても、私をイジメない人』を求めたように、
チャックさんは、『甘えても、いなくならない人』を求めている。
ルシルさんは、いなくなりはしませんでした。
だからチャックさんは、ルシルさんを護ると決めています。
けれど、決して手を取ることができない人。チャックさん自身が、求めないと決めた人。
いったいチャックさんはどうすれば……。
その答えを、回りくどかった上に、途切れてしまった会話に苛立ったかのように、レベッカさんがあっさり突きつけます。
「ああもうチャック! ファリドゥーンを見習って、絶対にこの人だけは護りきってみせるっていう一人を作りなさいよ! でもって、好きなだけ甘えればいいじゃない!」
私はレベッカさんを、羨望の眼差しで見つめずにはいられませんでした。
私のようにくどくどとお説教するのではなく、回りくどいように見えても、肝心な時に、こうして結論をすっきりと突きつけられる、レベッカさんに。
「いや、でも」
痛いところを不意に突かれて、チャックさんは、おおいにうろたえています。
なにしろチャックさんにとってその人は、いまだファリドゥーンさんと結ばれたルシルさんその人なわけすから。
「いやでもだってじゃなくてッ! チャックは以前のディーンが宝物増やしすぎるみたいに、大事な人を増やしすぎてるのよ! 出会ったばかりの人や、見ず知らずの人まで大事にしようとするから、結局誰も護れない。だから甘えられないのッ! 仲間や友だちであるあたしたちより大切な人じゃなきゃ、甘えられるような特別な人にはならないんだからねッ!」
結論を突きつけた後は、マシンガントークでチャックさんを威圧しています。よくよく聞いてみれば、なんだかディーンさんへの不満を一緒にぶつけているような気もしますが、ここは反論させる間など与えないことが、重要なのでしょう。
私のように、くどくどと理屈で言いくるめようとするよりも、勢いで押した方が、チャックさんには効果的なのかもしれません。
そう思ったのですが、チャックさんは、このレベッカさんの話を冷静に聞いていて、しかも冷静に反論しました。
「やあ、レベッカも、なかなかいい事を言うね。でも、それは無理だよ」
「どこが無理なのよ!」
レベッカさんの方は、勢いがまだ残っています。
「だってボクは、その人を護ろうと、毎日二十四時間べったり張り付いちゃうに違いないからさ。迷惑だろ?」
思い込みの激しいチャックさんなら、それはありそうな話です。
けれどレベッカさんは、あっさりこう言いました。
「いいのよそれで」
興奮状態からも抜け出して、落ち着いています。
「いいのかい?」
「そのぐらい想うからこそ、恋なんじゃない」
私は唐突に、お父さんを思い出します。
死にかけていた私を保護したお父さんは、それこそ毎日二十四時間つききりで、私の看病をしてくれました。
「そうだね。それが恋だ。頭の中が、その人のことで、毎日二十四時間いっぱいになる」
チャックさんは、少し寂しそうに言いました。
「けれど近づいてみないと、相手の本当の気持ちなんて、わからない。チャックが勝手に、相手が迷惑する、なんて決めてたら、何にも始まらない。近づいて、もっと相手をよく見て、実際に近づいたり離れたりしてみないと、ベストの関係なんか作れないでしょ」
近づいたり、離れたりしながら、一番いい距離を掴んでいく。
やっぱり、私とお父さんの事を、言われているようです。
「近づくのはいいけど、いったん近づいたら離れられそうにないな」
ああやっぱり、チャックさんは私たちに対して、そこまで近づいてはいなかったのです。
いえ、クレイドルの暗がりに、チャックさんは一人取り残されるのを、ひどく嫌がったといいます。
一人別行動をしていた私は、そんなチャックさんを見てはいないのですが。
……いえ、いえ、今レベッカさんとチャックさんは、そういう話をしているのではないのです。私は何を、考えてしまっているのでしょうか。
レベッカさんとチャックさんの会話は、続いています。
「だから、そーゆーのは近づいてみてから考えなさいって」
「わかった。近づいて見ることを、考えてみるよ」
レベッカさんはそのチャックさんの答えに、小さくため息をつきました。
少々レベッカさんは、自分のことを棚に上げているようですが、だからこそチャックさんのことが、もどかしかったのでしょう。
けれどいつのまにかチャックさんの表情から、作り物めいた雰囲気も消えていました。
レベッカさんもそれに気づき、そしてそのことが嬉しかったのでしょう。「まあいきなりは無理かもしんないけど」と、笑います。
きっとチャックさんは、レベッカさんと話したことを、大まじめに考えてみるでしょう。
誰かに近づいてみることを。
そしてレベッカさんの助言を、いつか実行に移すでしょう。
きっと、たぶん。私はそうであればいいと、思いました。