湖に突き出すように佇むその遺跡の内部は、しっとりと夜霧に濡れていた。
夜明けが近づいているとはいえ、まだその気配さえ感じられない。
グレッグがそんな時間にこの遺跡を訪れたのは、チャックを連れ帰るためだった。
その日ハニースデイでの夕食時、ほど近いこの遺跡のことが話題に登った。
グレッグたちが訪れたのは、チャックが仲間になる少しばかり前の話だ。遺跡自体についてはよく知られていたものの、その中にある装置の機能についてまでは、知られていなかったらしい。
「へぇ。あそこには昔行ったことがあるけど、気づかなかったな」
チャックはそうつぶやいて、片方の眉を上げただけだった。
ゴブが住み着くより、ずっと前の話だという。
「記憶を他人に見せちまうなんて、大昔の人は何を考えて、そんなやっかいなもんを作ったんだろうね」
兎追いし亭の女主人を含むハニースデイの人々も、それ以上の興味や感想は、ないようだった。
その時はそれだけで別の話題に移ったのだが、後になってケントがグレッグの所へやってきた。
「なあ、あんたらと旅をするようになって、チャックが変ったんならいいんだが……」
普段と違い、ケントは歯切れがわるく、自信がなさげな様子だ。
「オレたちは、今のチャックしか知らん。確かに変わりはした。が、村にいるころのチャックとどれほど変ったかまでは、わからんな」
「あいつは、思いついたら、ふっと一人でどこかへ行っちまうことがあるんだ。こっそりってんじゃないんだが、思い込んだら、とたんに周りが見えなくなる。5年前の、あいつが親父さんを亡くした時もそうだった。親友のオレにも何も言わず、なにげに出かけちまったんだ」
「だから、何だ」
「勘違いなら良いんだが、あいつ、今夜あたりまたやらかす気がするんだ。昼間あんたらが話してた遺跡に、チャックは興味を持ってた」
グレッグには、チャックが遺跡に興味を持ったようには見えなかったが、この親友にはそうは見えなかったらしい。
「わかった。気をつけよう。だが、この村にいる間は、親友のてめぇが見張ってりゃいいだろう」
ケントは少し寂しそうに首を横に振る。
「チャックは、今はあんたらの『仲間』なんだ。それに、あんたたちはテレポートオーブを持ってるんだろ?
オレだって、何度もあいつを怒ったんだ。何かやらかす時は、誘えって。だがあいつは、何かやらかしてる自覚がないんだよ。昔っから大人しそうなくせに、事なかれ主義だったくせに、行動力だけはあったんだ。斜め上にズレたことばっかりしやがるけどな」
そしてケントが予想した通り、チャックはなにげに一人で村を出ていった。外出を隠す気などないらしく、堂々とディーンにモノホイールまで借りて。
「近くの遺跡まで行ってきたいって言うからさ」
「一緒に行かなかったのか?」
「チャックの地元だし、レベッカに気を利かせろって言われたし、すぐ戻るって」
日記から目を上げたレベッカは、ケント同様少し心配そうであり、自信なさげだった。
「なんか訳ありって感じだったのよ。でもチャックが話す気にならない以上、あたしたちが無理に聞き出すべきじゃないと思って」
「え? チャックなんか悩みでも抱えてるのか?」
「ディーン。あんた全然気づいてなかったわけ? チャック、ずーっと元気なかったじゃない」
「えーッ。いつもと変らないじゃん」
「チャックは、元気ないほどはしゃいで見せるのよ」
「じゃあ元気だったら大人しくなるのか?」
「うーん。やっぱりはしゃいてると思うけど。でも、大丈夫じゃない? ここにはチャックが何でも相談できる、大親友がいるんだし」
だがチャックは、ケントには何も言わずに村を出た。
そしてその頃はまだレベッカも、大親友だからこそ相談できないこともあるとは、知らなかったのだ。
もとよりチャックが出かけたのは夕食後と、遺跡の探索をするには少々遅い時間帯だった。そして夜が更けても、チャックは戻らなかった。
グレッグは、心配しはじめた仲間たちに寝るように言い、テレポートオーブを借りると、遺跡に跳んだ。
モノホイールがその入り口で、月の光を浴びている。
内部は、ゴブを退治した後、多少また新たな魔獣が住み着いてはいるらしい。だが先に入ったチャックが、あらかた片付けたようだ。
しんと、静まりかえり、ただグレッグの靴音だけが遺跡に響く。
月明かりさえ届かぬ内部は、闇に閉ざされている。
チャックは闇に足を取られ、身動きできなくなったのか、とも考える。
グレッグは、不安を不満にすり替える。
チャックが仲間たちも親友をも頼らぬ不満に。
たとえやむにやまれぬ事情があったとしても、この闇から引きずり出し、こってり絞ってやろうと。
チャックは、やはりあのミーディアムに刻まれた記憶を呼び出す装置のある部屋にいた。
かろうじて姿が見えるという程度の明るさしかない部屋で、遺跡の出っ張りに座り込み、宙を見上げている。
ちょうど記憶が再現されるあたりだ。
グレッグは、チャックが何らかの記憶を眺め、それが終わった所なのだろうと、そう思った。
仲間たちがこの装置を試した時、グレッグは遠慮した。どうやら印象深い記憶を再現するようであったから、自分が何を見ることになるか、わかりきっていたからだ。
再現し、曖昧にしか思い出せない妻子の仇の姿をはっきりさせることに、そして仲間たちにも知ってもらうことには、大きな意味があっただろう。
だがいかに今の自分の記憶が曖昧であろうと、再びヤツを前にしたとき、わからぬなどという筈はないという確信があり、そしてこれはオレの、オレだけの復讐なのだと、そう思った。
ディーンたちには、関係ない。
このオレの復讐に、関わらせてはならないのだと。
当時グレッグはそう考えた。
そしてたぶん、チャックは今も似たような想いを抱いているのだろう。グレッグはそう考えて、チャックを迎えに来る時、他の者の同行を拒んだのだ。
オレと同じつらさを抱えているなら、チャックもそれを望むだろうと。
そしてケントもレベッカも、そう感じてチャックの行動を許したのだろうと。
グレッグはしばらく部屋の入り口に佇んで、チャックが動き出すのを待っていた。だが、いつまでもチャックは動きだそうとしなかった。
チャックはただ、部屋に凝る闇を見上げている。
それは以前ここへ来た時に見た、持ち主不明のミーディアムが見せた蠢く闇とは違う、あくまでも透明な闇だった。
その闇を、チャックはじっと見上げている。
「おい」
我慢できなくなり、声をかける。
「グレッグ? どうしたんだい?」
「てめぇがあんまり遅いんで、迎えに来たんだ。もうすぐ夜明けだぞ、いつまでここにいる気だ」
チャックは振り向きもせず、闇を見上げたままでいる。
「もうそんなかい? まいったな」
「何を見ていた」
「何も」
「何も?」
「何か見えるような気はするんだけどね」
グレッグは、古代の装置に近づき確かめる。使い方を間違えているわけではないらしい。
「ほら、また始まった」
チャックの声に見上げれば、確かに闇がゆらめいた。だがそれだけだ。確かに装置は動いている。だが映し出すのは闇ばかり。
「どうやらボクのもっとも印象的な記憶は、闇らしいよ」
「何を見たかったんだ」
「……父さんを」
チャックが父親を亡くした時の状況を、ハニースデイで聞いたばかりだった。
「なぜ、見たがる」
「あはは。情けない話なんだけどさ……。ボクはちゃんと覚えてさえいないんだよ。あまりにも何度も、その時の状況を夢に見てさ。現実と夢の区別ができなくなって、本当はどうだったのか、わからなくなってしまったのさ。ひどい……話だよね。ひどい……息子だよボクは」
血の気を失い、恐怖に浸りながらも、それを求め続けていたらしい。
「父さんは、石に押しつぶされた。
けれど言葉を交わした。
土砂の中からこの手で掘り出した。
掘っても掘っても父さんが見つからない。
まだ暖かかった父さんの手が冷たくなっていく。
ボクは身動きできない。
走って逃げ出した。
父さんを見つけた? 見つけられなかった?
『大丈夫か?』ってボクに言った。『母さんを頼む』って。
最後に交わした言葉が思い出せない! わからない!
わかってるのは、ボクには何もできず、父さんはもう戻ってこないってことだけさ!」
チャックは微笑みを浮かべ、闇を見上げていた。
「オレの記憶を、一緒に見てくれるか?」
「グレッグの?」
「オレがこれを試すのは、始めてだ。ろくなもんじゃねえだろう。だが、一緒に見ちゃくれねぇか?」
チャックは小さくうなずき、彼の月のミーディアムを装置から取り外す。
グレッグが剣のミーディアムをセットすると、すぐにそれは始まった。
何度も夢に見もした。そして目覚めていても頭の中を支配していた、あの日の出来事。
嗤うあの男。
無力な自分。
だが、グレッグが思ったほどの激情は、訪れなかった。
最愛の二人が、その魂の器を無残に毀される様が、再現される。
胸が張り裂けそうなほど悲しくなった。
だがグレッグは、狂いはしなかった。
過去を現実として、受け止められるようになったのだと。
だが、二度と見ることはないだろう。記憶は、心に刻めばいい。
「ううッ……」
声は、グレッグの隣から漏れ出ていた。
小さかったそれは、やがて止まることのない号泣となる。
「バカやろう。なんでてめぇが、泣いてやがる」
チャックはそれに、何か答えようとはしているのだが、言葉にもならないようだった。
たぶん、ディーンなら、この理不尽に怒ってくれるだろう。
レベッカやアヴリルは、哀れんでくれるだろう。
キャロルは、怯えるだろう。
そしてチャックは、悲しんでくれる。
ハンターとしてのチャックが、賞金首であるグレッグを見逃したのは、哀れんだからではない。
「ありがとうよ、チャック」
グレッグは、装置からミーディアムを取り外すと、まだ俯いて泣いているチャックの隣に座り、宙を見上げる。
そこには闇などなく、ただ空っぽの遺跡の天井があるだけだった。
朝靄の遺跡から、テレポートオーブでハニースデイに跳べば、村の入り口にケントが待ち構えていて、外敵から村を護るための門を、二人のために開けてくれる。
そして門が開くと、仲間たちが二人のために駆けだしてきた。