いかにハーフが生まれにくいとはいえ、この百年でヴォルスングが始めて、ということはないだろう。闇に葬られた者もいるだろうし、幸運な幾人かは、生き延びたかもしれない。ニンゲンとして。あるいはベルーニとして。
当人はその出自さえ知ることなく。
あるベルーニの娘が、父親のわからぬ子を産み落とした。
その娘さえ、子の父親のことを何一つ知らなかった。
Ubで全てを失うと悲観した娘は、ある日荒野へさまよい出たおり、見知らぬ渡り鳥に犯されたからだ。
いや渡り鳥はニンゲンとは限らない。ベルーニかもしれない。それはもうわからない。そしてどうでもいい。
始めての経験だった。
ただ恐ろしいばかりだった。
自分の部屋へ逃げ帰り、扉を閉ざし、震えて過ごした。
その時から、いやそれ以前から、彼女は近づいてくる死神の足音に、狂ってしまっていたのかもしれない。
やがて娘は、間もなく失われる自分の中に、新しい命が宿ったことに気がついた。
そして恐れた。
腹で自分の命をすするように育っていく子を。
その子の父親がニンゲンであると判断されれば、その子が抹殺されるであろうことを。
愛してもいない男の子ではあったが、娘にとってその子はこの世界に自らが存在したことを示すだろう、唯一の印だった。
娘はひっそりと自らの部屋に閉じ籠もった。
誰が彼女を気に掛けよう? 多くのベルーニがUbに蝕まれ、同じようにしているこの時に。
やがて娘は、その時がやってきた事を知り、はじめて身よりの者を呼んだ。
その者が娘の部屋を訪れた時、すでに娘は生まれた子を抱き上げて、狂女のように笑っていた。
男の子だった。
血まみれのまま泣きもせず、笑う娘に抱かれ、乳を吸っていた。
娘の笑いの意味を知る者はいない。
そして間もなく、娘は死んだ。
身よりは、この醜聞を隠すことにした。
なによりその娘の命を奪った存在でもあったが、それよりもどこか異質な子だった。
父親がニンゲンではないかという疑惑は早くからあったが、そのようなことは、あるはずがなかった。いや、あってはならなかった。
そこで、やはりUbで命を落とした天涯孤独のベルーニの男を父親に仕立て上げて書類を整えた。
そしてレイドバスターに世話をさせた。
娘が死んだ小さな部屋で、レイドバスターは文字通り機械的に、赤子を世話した。
赤子にとって、レイドバスターとその部屋が全てだった。
テーブルと椅子とベッドと、そしてテレビが、世界を構成するものだった。
身よりはこう考えた。なに、長くは持つまい。
誰もがUbに命を奪われるのだ。
たとえ死ぬのが自分であろうと、赤子であろうと、その後のことなど、知ったことではない。
赤子は育ち、幼児になった。
レイドバスターは、そのように作られていたから、子どもの要求を出来る限り叶えようとした。
けれどそのように作られていなかったから、子どもを愛することは、できなかった。
だから子どもは、愛を知らなかった。
幼児はやがて、子どもになった。
自動通報装置により、レイドバスターが機能停止したことを知り、身よりはUbを発症した重い体をひきずって、様子を見にやってきた。
薄暗い部屋の中、バラバラになったレイドバスターの部品に囲まれて、子どもが笑っていた。
あの日の娘そのままに。
身よりは、その子がベルーニ特有の、そしてベルーニの全てが手に入れられるわけではない力を持っていることに、始めて気づいた。
父親はニンゲンではなかったのだと、確信した。
ちゃんと調べたことなど、一度もない。
だが片親がニンゲンならば、このような力は持つはずがない。
それはベルーニだけのものでなければならない。
最初から疑いなどしなければ、こうも放置しなかったものをと、後悔した。
子どもは養護施設に預けられた。
知能は高かったが、言葉は不十分だった。
レイドバスターに命令するだけの語彙しか、持っていなかった。
コミュニケーション能力は、皆無といっていい。
周囲のどんな要求も、受け付けなかった。
まるで獣のように。いや獣以上に、欲望に忠実だった。
機嫌がよいと、異様な声を上げて子どもは笑う。
だが、泣きはしなかった。怯えもしなかった。
子どもにとって、笑う以外の感情表現そのものが、ひどく珍しく、興味深いようだった。
いったいこの子は、どこでこの笑いを覚えたのだろう?
人々は、今までの環境を考えれば無理もないと考えた。笑うだけでも、まだましだと。愛を持って接すれば、やがてこの子も愛を知るだろう。
だが数日もしないうちに、愛を教えようとした人々は挫折した。
子どもの力が、周囲の者たちを、あまりにも激しく傷つけたからだ。
屈強な男たちがやってきて、力尽くで子どもを押さえつけ、別の施設に移送した。
あらゆることを、まるで獣を鞭でしたがわせるかのように、力でもって教え込む場所だ。
その子は、最低限の社会性を教え込まれた。
渇いたタオルのように、知識という水を吸収した。
そして強い者が弱い者を支配するという真理を理解した。
やりたいようにしたいならば、何かをやらせようとする相手より強くなり、その力を示さなければならないのだ。
やがて同じような乱暴な子どもたちの中で、より年長の者をしのぐ力を身につけて、一目置かれるようになっていた。
いや、その力を恐れられていた。
普通ではないと。
特定の血筋にかたよって現れるそうした力は、将来の社会的地位を約束する。彼が将来手に入れるもののおこぼれに与ろうと、名家に縁もなければ実力も無い者たちが、彼にすり寄った。
だが彼にとっては、すり寄ってくる者たちも、敵対する者たちも、違いはなかった。打ち倒しあざ笑うだけだ。
手ひどい反撃や報復をされることもあったが、彼はそれ以上の再報復でもってそれに応え、やがてそれさえ許さぬほどの力を得た。
そんな彼にも、数人のダチができた。普通の意味での友人とは、違うかもしれない。感性が似ている、とでもいうのだろうか。
彼にとって空気のような、いてもいなくてもどうでもいい存在だ。助け合うことなど決してない。互いの存在が喜びに繋がることなどない。共感しあうこともない。
そう。まるで一緒にテレビを見ているだけのような。
彼にとっては、周りの全てがそうであったし、彼の仲間たちにとっては、たぶん彼がもっとも興味深い番組だった。
全ては、彼を楽しませるために存在していた。
そうでなければ、ならなかった。
テレビのように。
怒り、泣き、わめき、雄叫びを上げ、より血まみれに、ドラマチックに。
ある日教官たちから、ここにはもう、お前の居場所はないと言われた。そして軍に行けと言われた。
その頃には、誰よりも背が高くなり、全ての教官が力を合わせても、彼を御すことはできなくなっていた。
自分より弱い者に言われて素直に従う趣味はなかったが、そこはすでに退屈な場所であったから、それを機に出ることにした。
だが軍にも行かず、望むままに巷で力を振るって遊んでいた。
死んだ身よりから相続した金で、しばらくの衣食住は事足りた。そんなものは、最低限あればいい。欲しいものは、自身の力で奪えばいい。楽しみは、自分の手で作り出せばいい。
しばらくそうやって遊んでいたが、やがて気づいた。
今自分が一番欲しいものは、すべて軍にある。
士官学校。
彼がいた施設と似たり寄ったりの、だがずっとお上品な場所。
そのエントランスにたむろする規格品の軍人の卵たち。
プライドの高い彼らは、入り込んだ異物に、いち早く反応した。
低俗な礼儀知らずの不良品。
どこの馬の骨ともわからぬ、ここにそぐわぬ場違いな男。
「おい」
だが、彼を放り出すつもりで近づいた傲慢な男は、一瞬にして背中を地につけ悶絶していた。
面白いもの見たさに彼についてきた、見物を決め込むチンピラの仲間たちが、腹を抱えて男を嗤う。
軍人の卵たちが、一斉に彼に飛びかかる。
彼は飛びかかってきた男たちを、女も区別なく、容赦なくぶちのめす。
ケンカ慣れしちゃいねえと、彼は思った。
こいつらオレを恐れてやがる。ここは敵を無様に打ち倒し、ぶっ殺すための学校じゃねぇのかよ。
彼にとって恐れるということは、その時点で負けが決まったも同然だった。そして彼は、恐れたことなど一度もなかった。
卑怯者めとうめく男の頭を踏みつけながら嗤ってやる。
ケンカに卑怯もくそもあるもんか、弱いヤツが何言ってやがる。そもそも先に手を出したのはそっちだし、多勢で掛かってきたのもそっちじゃねーか。たった一人のチンピラに、こんな大勢で飛び掛かっといて、何が卑怯だ、言ってみな。
背後に感じた殺気に振り向きざま、ARMを構えていた男の顔面に拳をたたき込む。
鼻をつぶされた男は膝をつき、顔面から敷石に突っ込んだ。
そいつが持っていたARMに興味を持って、なにげに拾う。
いい家柄の連中だけあって、街で見知らぬヤツをぶちのめして手に入れたARMとは、根本から物が違う。
使うヤツが物に追いついてねーじゃねーか、と鼻で笑う。
「それを使え。でなければ排除しても恥にしかならぬからな」
その見下した声は、彼を恐れていなかった。
周囲に倒れている者たちは、彼を恐れるように、やってきたその男をも、恐れていた。
背中がゾクゾクした。
やっと手応えのある相手が出てきたかと、嬉しくなって笑う。
彼ほどではないが背の高い、端正な顔立ちの細身の男だ。
テレビに出てくるインテリそのままに、メガネまで掛けている。
規格品の男たちのように筋骨隆々としているわけでもなく、ケンカ慣れした彼のように引き締まっているわけでもない。
だが、それでもその男は、彼を恐れていなかった。
そして自分と同じ匂いがした。
こいつは強い。
だがオレはもっと強いことを、証明してやる!
そのキレイな顔をぶっつぶし、血に塗れさせ、悲鳴を上げさせてやる! ドラマティックに! これが今日のフィナーレだ!
歓喜の雄叫びを上げながら男に飛びかかり、手にしたばかりのARMを向け、銃爪を引く。
彼はどんなARMも、瞬時に意のままに操る自信があった。
普段はこの手でぶちのめすが、それは趣味だ。
ARMだろうと拳だろうと、力が感じられればいい。
だが次の瞬間、空が……見えた。
どんよりとした、空がゆっくりと視界を占めていく。
背中が敷石に叩き付けられ、バウンドした。
自分の両側で、切り離された両手が舞うのを見た。
面白いものを見に来た彼の連れたち上げる、この大番狂わせへの歓声が、耳をくすぐる。
世界が赤く染まっていく。
暗く暮れていく。
紅蓮の炎のような紅に染まった世界に立つその男が、自分を見下ろしている。
男がフッと笑う。
彼は、始めて恐怖を感じた。
いや、その男がやってきた時背筋に感じたものが恐怖だったのだと、始めて理解した。
これだ! オレはずっと、これを求めてたんだ!
この感じを!
オレより強い、オレを支配するに足るヤツを!
オレに恐怖を感じさせてくれるヤツを!
彼は、始めて死ぬのが惜しくなった。
もっと生きたいと。
この恐怖を感じ続けるために。
この男が見せてくれる世界は、さぞや面白いことだろう。
「ヴォルスング様。なぜあのような男を手元に置くのですか?」
「案ずるなファリドゥーン。ヤツはヤツなりに、自らの立場をわきまえている」
カルティケヤは、自分が唯一認める男と、その腹心の部下と言われる男の会話を、ニヤニヤと眺めていた。
彼が認めたヴォルスングは、ベルーニとニンゲンとの間に生まれたハーフで、ベルーニのものだけとされる力を、持っていた。
ファリドゥーンは、生粋のベルーニで、名家の生まれだ。そしてあの士官学校にいた連中よりはずっとマシだが、五十歩百歩だ。戦いになっても、相手を殺そう、殺してやりたいという気迫がない。
二人が並ぶと、匂いの違いが際だった。
面白れぇ。面白れぇ。ヴォルスングの何もかもが、面白れぇ。
コイツだけがオレよりもクレイジーだ。
そしていくら忠誠を誓ってはいても、強いとしても、ファリドゥーンがヴォルスングの匂いを嗅ぎ取ろうとしない限り、この面白さを理解することなど、望めやしないのだ。