(C)hosoe hiromi
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連れション

 無言で立ち上がり、暖かな光を投げかける焚き火の周りに座り込んでいる仲間たちに背を向ける。
 離れ、闇に溶け込む前に、キャロルに声を掛けられた。

「あの、どこへ行かれるんですか? チャックさん」
「用足しさ」
「はわ」

 背を向けたまま、カッコをつけて指を振る。
 見通しのいい荒野の真ん中。かなりの距離をあけても、仲間たちの喧噪は、背中越しに追ってくる。
 まるでそこだけが別世界のように、明るく暖かい。
 心の中で何かが叫ぶ。
『戻れ! あの暖かな場所に!』
 ボクは言い返す。
『ダメだ!』
 戻りたい。けれどダメだ。
 ボクは張り裂け、あふれそうなのだから。
 急かす焦りを押さえ込むように、ゆっくりと。
 立ち止まろうとする足を、引きずるように。
 最新の注意をはらい、なにげなく。
 一歩一歩、確実に。
 ボクは離れ、岩陰に身を押し込める。

 焚き火の気配が背後から消えたとたん、ついにボクの膝は折れてしまい、大地にひざまづく。
 両腕で震えるこの身を抱え込む。
 うつむき、身を折り、胸の内からこみ上げるものを吐き出そうとする。
 目を見開いても何も見えず、喉が求めても息が苦しい。
 吐き出し、泣き叫びたいのに、生理的な涙させ絞り出せず、わずかな声さえ上げられない。
『ダメだ』
 頭がぐらぐらし、そのまま倒れ込みそうになるのを、気力で押さえ込む。
『ダメだ』
 ここで倒れることはできない。
 背にのしかかり、内から沸き上がるものは、闇なのか?
『ダメだ』
 ここで倒れ、ボクの闇を気づかわせてはいけない。
 違う。
 ここには闇なんかない。
 見上げれば星が瞬き、雲が流れ、月が輝く。
 風が仲間たちの微かな喧噪を耳へと運んでくる。
 燃え炭になり灰になる薪の。まもなく食べ頃になる夕餉の。
 ポットで煮出しているお茶の。匂いと香りを鼻は嗅ぎ取る。
 夢じゃない。
 すべて現実だ。
 闇が見せる夢じゃない。
 求めたって消えたりしない。
 声を出せ。悲鳴でもなんでもいい!
 助けを求めろ! 仲間たちに!
『ダメだ そんな弱気で、この手で大事な人を護れるのか?』
「はは……」
 なんとか絞り出すことができたのは、嘆きの音ではなく笑い声。
 顔に張り付く固い笑み。
 けれどその音が、その形が、ボクを呪縛から解き放つ。
「は……はぁ……は……。あはは……」
 声の混じる一呼吸ごとに、落ち着きを取り戻す。
 情けない姿など、彼らの前で十分以上に晒している。
 別にそれはかまわない。
 けれど疫病神であることは、疫病神であるこのボクの、ボクだけの問題なのだから。



「チャック、どこだ?」
「ここだよディーン。どうしたんだい?」
「オレもションベン。チャックはもうすんだのか?」
「ああ。戻ろうとしてたところさ」
「グレッグが、単独行動禁止って言うんだ。必ず誰かを見張りに立てろって。今までグレッグって連れション好きなんだなと思ってたけど、見張りしててくれたんだ。でさ……」

 両手を広げて、おしゃべりをやめさせる。

「了解。見張ってるからすませなよ。しゃべりながらでもできるだろ?」

 ディーンはもぞもぞと自分のモノを出し、岩に向かって放つ。

「グレッグは、単独行動は、チャック以外禁止って言うんだ。特にオレは注意不足の注意力散漫だから、絶対ダメだってんだぜ? もう旅に出てからずいぶんたつのに、オレのことてんで子どもだと思ってんだよ」
「そりゃあグレッグが過保護だね。一人で何度か死にそうな目に遭えば、いやでも注意深くなるよ。特にズボンを下ろしての用足しの最中に、魔獣が近づいて来るのに気がついた時なんか、冷や汗どころじゃなかったね。確かにああいう経験は二度とゴメンさ。
 あぁ! しかも今後は女の子たちがいるんだ。あの格好は見せられないよ! ディーン。今後ボクが用をたすときは、見張りを頼んでいいかい?」
「もちろんだ! けどスゲー! グレッグも、そういう経験あるのかな」
「ボクより一人旅は長そうだからね。当然あったはずさ」
「オレ、連れションって、グレッグが仲間になって産まれて初めてだったんだ。大人はみんなああなのかな。黒くてデカくて固そうで。チャックはどうなんだ?」

 ボクが用足ししてディーンが見張りに立つ時、まずナニを見張られるのか想像して、ボクは笑いをかみ殺す。

「ボクはもうすませたから今度にしてくれ。それにあまりマジマジ見ないで欲しいな。出るものも出なくなってしまう。こういうモノは、チラ見するものさ」
「ああ。グレッグに怒られた」
「だろうね」

 その様子が、まざまざと目に浮かぶ。きっとディーンは、グレッグのソレを、思い切り観賞したに違いない。

「チャックは連れションしたことあるんだろ? 男の幼馴染みの親友がいるんだし」
「ああケントかい? 小さいころはよくしたよ。どっちが遠くまで飛ばせるか競争したり、雪の上にどっちがより大きな丸を描けるかとか。欲張って丸を閉じられなければ失敗なんだ。あとアパートの屋根から並んでした時はしこたま怒られ……、って何言わせるんだよキミは!」
「チャックが勝手にしゃべったんじゃないか」
「ッて、こっち向かないでくれ! かかるって!」
「もう終わってる」
「なら、さっさとしまったらどうだい?」
「こんどやろうぜ? どっちが遠くまで飛ばせるか」
「負けないよ。ボクはコツを知ってるからね」
「ひゃー! 楽しみだなぁ!」

 ディーンはモノを振ってしずくを飛ばし、満足げにしまい込む。
 ボクはついに我慢できなくなり、吹き出してしまった。

「何がおかしいんだ?」
「いや、確かに連れションなんて、ボクもここ何年もしてなかったからね。こういうのもいいなってさ」
「これからはよろしくな!」
「ボクこそよろしくさ」

 確かにこれからは、度々することになるだろう。
 そしてディーンと連れ立ち、何気ない風を装いながら、キャンプに戻る。ボクたちを出迎えた仲間たちの顔つきが、微妙に視線をそらされたり、あきれかえっているその様子が、ボクたちの会話がキャンプまでしっかり届いていたことを、示していた。

 だからボクは、『ボクの仲間たち』に向かってニッと笑い指を振った。

08.09.03



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