ヴォルスング様は、私にとってだけでなく、RYGS家にとって、お生まれになった時から、ずっと特別な存在だった。
ダイアナ様から、そして両親から、ヴォルスング様のことを幾度も聞かされた。
人々の希望として輝く、特別なお方であると。
その希望は、ヴォルスング様の産まれに由来する。XERD家の血筋であると同時に、ニンゲンの母上をお持ちなのだ。
ヴォルスング様がお生まれになるまで、ベルーニとニンゲンの間に子を為せず、たとえ生まれても一代雑種だろうと。すでに種として違えてしまったのではないかとさえ言われていた。
だが、子が為せぬ原因は、ベルーニ側の遺伝子のゆらぎにあった。
ベルーニの個体差のばらつきは、ニンゲンよりもずっと大きいのだ。
数千年前の宇宙全盛期には、それが標準であった完全体は、数えられるほどの少数になり、欠けた部分のない者などいなくなり、その程度により、生きる力なく消えゆく者の比率が増加した。
原因は、長年の宇宙放浪と、その過酷な環境に耐えようと行った生命への度重なる介入による遺伝子の疲弊であり、種は袋小路にはまり込みつつあると言われている。
ファルガイアへの帰還は、その突破口として求められたそうだ。
それでもこの種としての問題は、まだ切羽詰まったものではなかった。
ファルガイアに到着する直前の、もっとも厳しい宇宙時代の終盤においても、強者のみを残し弱者を切り捨てる人口調整が必要とされた。
ファルガイアに到着し、人口調整が不要になっても、強者が弱者の上に立つことは、正義であった。
正義が力であるからには、力で己の正義を証明するのが、私たちの流儀だ。
もちろん力ある者には、それに相応しい義務と倫理も求められる。
RYGSに生まれた私は、武人としての才に恵まれ、欠けた部分はフェイスマスクと他の能力で補える程度の軽微なものだった。
視力に欠ける者など珍しくはない。眼鏡では補えきれなかったが、他の並以上の知覚が、それを補ってくれていた。
そのため周囲の者たちも、そして自分自身も、この欠陥の存在に長らく気づかず、判明した時には驚かれるよりも呆れられた。
戦闘時、習慣的にフェイスマスクは着用するが、よほどでなければ視力補正を必要を感じたことはない。
一方、この星に残ったニンゲンたちは、私たちよりも、いや正確には成人まで生き延びた私たちと比較すれば、虚弱で体躯も小さく精神力もなかったが、種としてはずっと安定していた。
そして文明の恩恵を受け始めると同時に、爆発的に増え始めたという。
先達は、私たちに対してと同じように、抑制しようとした。
人工的に作り出した過酷な環境による、取捨選択。だが個体差が小さなニンゲンを振り分けることはできず、犠牲者のみを無下に増やしたという。
その施策に、ニンゲンに対する蔑視や嫉妬があったと言う者もいる。
……だが、私にはわからない。それらのことは、私が生まれるずっと前に、終わっていたからだ。
私が成人した頃には、ニンゲンと変わることのない、あるいはニンゲンよりも虚弱なベルーニは、珍しくなくなっていた。
もとより余裕が増え、今まで生存権を認められなかった者たちにも、生存権が与えられるようになった。
そして強者は強者の義務として、戦いの中に命を落とすことが、多々あった。
そこに、謎の奇病が発生した。
弱い者も、超絶的な生命力に溢れた完全な者も、気力のあるなしにも関係なく、Ubの前には等しく膝を折らなければならなかったのだ。
生まれた全てに生存権を与えても、人口を維持することが難しくなり、最初それを喜んでいた者たちも、Ubによる死刑宣告がより無慈悲であることに、気がついた。
Ubは、種に対する、弁明や抵抗の機会さえ与えられぬ死刑宣告だったからだ。
そこに、ヴォルスング様がお生まれになった。
ただ生まれ出ただけではない。
ヴォルスング様は完全であった。
何一つ欠けることないだけでなく、私たちとニンゲンのよい点を併せ持って生まれたと。
それゆえに、このファルガイアという荒野の世界に芽吹いた希望とされた。
ベルーニとニンゲンの架け橋となり、その双方を救う方だと、そう聞かされて私は育った。
初めてダイアナ様に付き添って、ヴォルスング様の家を訪問した時のことを、よく覚えている。
ヴォルスング様の父上がお亡くなりになり、母上とトゥエールビットに越していらしたのだ。
トゥエールビットの片隅にある町屋が、RYGS邸以外の生活の場を知らぬ私には珍しく、興味深く、そしてうらやましかった。
そして何よりも、私は一目でヴォルスング様に魅了された。
金と銀の中程の暖かみのある柔らかそうな長い髪。健康的な褐色の肌。
この時ばかりは、その容姿をはっきりと捉えきれぬ自分の視力が、嘆かわしかった。
「あの、やっぱり変かな」
その髪同様やわらかな声にまじる悲しみは、間違いなく自分の態度が引き起こした物で、私はあわててこう叫んでいた。
「いえ! とてもキレイだったので、つい見惚れ……ッ!」
何を口走ったか気がついて、慌てて両手で口を押さえた。頬どころか耳の先までひどく熱く、さらに慌て何かしら弁明した。
自分が何を口走ったか覚えてはいないが、機嫌をなおされたヴォルスング様は、私の顔をのぞき込むようにして、笑ってくださった。
後々ヴォルスング様がおっしゃるには、まるでキツツキのような勢いで、何度も頭を下げて謝ったらしい。
それゆえ慌てて手を伸ばし、私を止めたと。そのために、間近で顔をのぞき込むことになったのだと。
その間近な笑顔と涼しげなアクアマリンの眼差しを、私は忘れはしないだろう。
ヴォルスング様の母上とダイアナ様がお話しなさる間、私たちは別室で待つようにと言われた。
ヴォルスング様の部屋であったが、ベッド以外、私物がまったくないのが奇異だった。引っ越し直後で荷物をほどいていないのかと思ったが、後にヴォルスング様の父上がお亡くなりになった後、逃げ出すように着の身着のまま移り住まれたと、そう知った。
「とっても素敵な街だね」
私は自分が褒められたかのように、舞い上がった。そして請われるままに、街の様子をお話しした。
「案内してくれると、嬉しいんだけど」
おずおずと求められ、二つ返事で引き受け、そのまま抜けだし、街を案内した。
後先考えず言いつけを破ったのは、記憶にあるかぎりそれが初めてのことだった。
ヴォルスング様も、最初は喜んでいらっしゃった。だが、次第に元気をなくしていくその理由が、当時の私には、わからなかった。
自分が街行く時、それなりの注目をあびるのは、いつものことだし、私からは把握しづらい。それもあり、街の人々がヴォルスング様に、どのような視線を浴びせていたのか、まったく気づいていなかった。
ヴォルスング様の悲しみに戸惑いはしたが、お父上を亡くされたばかりなのだから、それも当然だろうと。
私は気づけないまま、定期的にヴォルスング様を訪ねるようになり、間もなく私がヴォルスング様に付き従うようになっていた。
そしてただひたすら、私よりも一つ年下であるヴォルスング様が示す多彩な知識と才能と、その優しさと深いお考えに感心した。
この方こそ、私が生涯を捧げるに相応しい方に違いないと確信した。
Ubという暗雲は、頭上に重く垂れ込めていた。ダイアナ様も、そして名目上はRYGS訪問であっても、明らかにヴォルスング様目当てのジョニー・アップルシードさえ、Ubは蝕んだ。
それでもヴォルスング様と過ごした少年時代の想い出は、短くとも輝かしいものだった。
あれはちょうど、私が子どもなりに、現実が甘いお菓子で出来ているわけではないことを、理解し始めた頃の話。
理想を形にしたその街で、人の形をした理想とすれ違った。
戦いねじ伏せ上に立つ力が尊ばれるベルーニ社会において、情報系を得意とするICPPの一族が、注目されることなどまずなかった。
どれほど情報系で出世しても、雑用係としか思われず、見下される。
もちろん能力と精神力は直結し、同時に精神力が戦う力になるのだから、能力が高ければ戦う力もついてくる。
とはいえ、情報系がプロの戦士にかなうわけがなく、従って一段も二段も低く見られる。
「見せびらかすばかりが、力じゃなくてよ」
穏健派で情報系幹部を務める姉は、笑いながら私を諭した。
「ゴーレムであれ人であれ、他をを動かし、他の能力を使うのが、情報の力なの。
言いたいことがあるなら、誰かに言わせなさい。やりたいことがあるなら、誰かにやらせなさい。
けれど力づくじゃダメ。それを行う当人には、自分の考えだと思わせるのが最上よ。それがスマートなやり方だわ。
だから力は、その時のために隠しておくべきものなのよ」
そんな姉の考えは、ベルーニの常識とはかけはなれたものだった。力とは、余すところなく示し振るうべきもの。正義が力であるならば、力でもって正義を示せ。
「あら、その常識、誰が作ったと思ってるの?」
ならばベルーニ社会を影から動かし支配しているのは情報系なのかと姉に問えば、姉はそれを否定する。
「支配なんて面倒なこと、誰かに任せておけばいいのよ。私たちは力ある者の影に隠れ、素敵な恋を楽しめばいいわ」
少女だった私には、ニッコリ笑う姉がとてつもなく大きく、そして輝いて見た。
「ほら、見てごらんなさい」
姉の視線の先に、ひどく目立つ二人連れがいた。
「じろじろ見てはダメよ。
髪が青みがかっている方がRYGS家のファリドゥーン。そして肌が茶色い方が、荒野に芽吹いた希望、XERD家のヴォルスングよ」
RYGSもXERDも穏健派の名家だから、二人が一緒にいることは不思議でもなんでもない。
けれどXERD家は、いろいろトラブル続きのはずで、子どもの私の耳に入るのは、XERD家が、その火だねを消したがっていることだけ。
姉さんの意味ありげな視線から、その子が火だねかそれに近いことを推測する。そこにRYGSの子が絡んでいる。
「なんだかファリドゥーンは嬉しそうに従ってるけど、ヴォルスングはあまり嬉しそうじゃないみたい。彼は彼女に惚れ込んでいるけど、彼女はお友だちでいたいみたいな雰囲気だわ」
姉さんに認めてもらいたい一心で、わかったような事を言う。
「よく見なさい。いくらファリドゥーンが頬を赤らめていても、ヴォルスングは男の子よ。ファリドゥーンが赤面性なだけで」
言われてみればその通りだし、ヴォルスングという名は、確かに女の子っぽい響きじゃない。
照れ隠しに、話題を変える。
「荒野に芽吹いた希望って?」
姉さんは簡単に、彼の出自を説明してくれた。
「そして彼が生まれると、穏健派は希望の子だとはやし立てた。彼が、ニンゲンが持つUbへの抵抗力を、私たちに橋渡しする鍵となるに違いなって」
「ベルーニとニンゲンの協調じゃなくて?」
「理想論者でもなければ、どこのベルーニが、ただそれだけを喜ぶの? ただでさえUbに影響されないニンゲンに対する憎しみが、日々増しているのに。
強硬派は穏健派を手ぬるいと責め立てる。けれど穏健派には、それを押し返す切り札がない。
だから彼を切り刻みシャーレの中に押し込んででも、Ubの研究を進めたがってるの」
「ひどい! 彼、完全で天才なんでしょ! 彼がUbをなんとかしてくれるかもしれないって、そういう意味じゃなかったの!」
「日々支持者を強硬派に奪われて、足下を揺さぶられた穏健派の幹部たちは、待ちきれなくなりつつあるし、ヴォルスングの未来を信じられなくなりつつあるの。
もしベルーニが滅んだら、彼はニンゲンの王として君臨できる力を持っているんだもの」
「姉さん。まるで強硬派みたいなこと言ってるわ」
「ペルセフォネ。現実を変えたいなら、まず現実を把握しなければいけなくてよ。それは穏健派も強硬派も同じなの。
そして今、父親を失った彼の味方はRYGSだけ。だからファリドゥーンが一緒にいるの」
今目の前にあることと、姉さんの言葉の意味を考える。短い言葉にも、たくさんの情報が詰まっているから。
XERDや穏健派にとって、すぐ役に立たないヴォルスングは、むしろいない方がいい。けれどRYGSが保護している。
RYGSは間もなく穏健派の中で孤立する。
ただでさえ強硬派に押されている穏健派が、だからこそ分裂しつつある。
そして姉さんが、私を連れてここにいる。
マッチを擦るために? それともポンプを押すために? それともその両方で、情勢をコントロールするために?
鐘の音に二人の男の子は、慌ててどこかへ走って行く。
「さあ、そろそろ私たちもRYGS邸に向かいましょうか。
ペルセフォネ。あなたファリドゥーンと仲良くなりなさい。人脈は何にもまさる宝となるから」
「ヴォルスングは?」
「ファリドゥーンは、ヴォルスングを受け入れる者を歓迎するでしょうし、そうでない者と敵対するわね。
そうね……。ヴォルスングは、将来ファリドゥーンを越える大物になるわ。ただし、大人になるまで生き延びることができればだけど」
「RYGSがついてるのに?」
「全てのRYGSが、彼の味方というわけじゃないわ。その上、世界にどんな影響を及ぼすかわからないトリックスター。近寄りすぎず、けれど遠ざけすぎず、距離を保つのがいいんじゃないかしら」
そして私たちは、街で一番大きなお屋敷を目指して、歩き出した。
ダイアナ様が、RYGS邸で暮らすようヴォルスング様の母上を説得なさったのは、ヴォルスング様を巡る不穏な動きが、活発化してきたからだ。
町屋に閉じこもり、いつもお寂しそうなヴォルスング様の母上の健康状態も、芳しくはない。
だが、引っ越しを手伝うためにヴォルスング様の家に到着した時、私が目にしたのは、命を失った彼の母上と、放心状態のヴォルスング様だった。
そうした事情もあり、まず暗殺を疑ったのだが、どうやらヴォルスング様をRYGSに託しての自殺であったらしい。
私たちの不用意な行動が、ヴォルスング様から母上を取り上げてしまった。
ヴォルスング様。贖いになるとは思いません。ですがこの身をあなた様に捧げます。命にかえて、あなた様をお護りいたします。
あれから、いろいろなことがあった。
一番の大事件は、姉さんの恋。
両親に変わり私を育てるため、他を犠牲にした姉さんにとって、それは初めての、そして熱く身を焦がす大恋愛だったに違いない。
RYGS家と結んだ人脈が、やがて姉さんをニンゲンの男と結びつけた。
それを愚かと笑う人もいる。けれど他の全てを捨ててでも恋に生きる姉さんは、輝いていた。
そんな姉さんの幸せに終止符を打ったのは、Ubだった。
死が身近に迫った時、姉さんは後悔していた。
恋にではない。姉さんは、一瞬たりとも恋を後悔しなかった。
ただ、穏健派の理想の実現のために、全力を尽くしておけばよかったと。
あのヴォルスングが、安心して暮らせる世界のために、尽力しておけばよかったと。
姉さんが、愛する男の子ども一緒に逝ったことを知ったのは、全てが終わった後だった。
毎度ながらの、捏造設定厨です。
特にファリの目が悪い、っていうのが捏造で、これは前からどこかで使いたいと思ってました。
正直アヴリルに気がつかない節穴ぶりとか、フェイスマスクしてるのにグレッグの閃光弾おもいっきり一人でくらってるとか、時々どこ見てるのかわからないような顔してるような気がするし。
ヴォルファリは女王と騎士で、ペルはヴォルを恐れながらも、ちょっと母性働いてるみたいに見えたりするので。