午後からの打ち合わせの前に、一緒に昼飯を食べようとディーンに誘われ、ファリドゥーンは彼の執務室を訪れた。
秘書は、引きつった笑みと助けを求めるような眼差しですがりつきながら、ファリドゥーンをあっさり部屋に通す。
扉を押し開けたとたん、先客と言い争うディーンの声が、耳を威圧する。
ぎゃいぎゃいぎゃいぎゃい。
相手はチャック。喧々囂々真剣勝負で、楽しそうに喚き合っている。
ぎゃいぎゃいぎゃいぎゃい。
二人の行動をたびたび目にはしている。
おおむねチャックは、あっさり折れ、要求に従うべく行動する。
それは、わかる。当然だ。相手は上司で、ジョニー・アップルシードだ。部下が反論すべき相手ではない。
だが、しぶしぶ折れるのはまだしも、しつこく本意をただしたり、ひどく反対することもある。それどころか言いくるめてしまうことさえある。
ぎゃいぎゃいぎゃいぎゃい。
だが、チャックの言い分が通った場合も、ディーンが承認したように見える。ディーンが折れたようには、決して見えない。
ぎゃいぎゃいぎゃいぎゃい。
しかも噂では、決してディーンが認めないようなことについては、チャックは相談せずにやらかすらしい。
となれば、部下としては不出来この上ないのではなかろうか? 少なくとも軍人ならば、どれほど個人的な交流があろうが、即放り出している。でなければ規律が保てない。
そのことについて、ディーンとチャック、双方に別々に問いさえした。
ディーンは、違う見方や意見を持っているからチャックが必要なんだと言い、チャックは、いつ罷免されてもかまわないと言う。
軍の常識が通用しないことだけは、よくわかった。軍政ではない。だから、それもいいだろう。
ぎゃいぎゃいぎゃいぎゃい。
パーティを組んでいる時から、ディーンがリーダーで、その考えに賛同して、チャックが参入したという。
それ以前から、ディーンの方は友人と定め、チャックも好感を抱いていたらしい。
友人兼上司であり部下。
ファリドゥーンは、なぜそれが両立できるのか、不思議でならない。
現に上下関係が解消しても、ヴォルスング様を友人として見ることが、なかなかできない。そのヴォルスング様に、それを求められているにもかかわらず、そうできないことを、申し訳なく思う。
出会ってすぐ、ヴォルスング様は、自分には到達できない理念を持っておられると、その言葉一つ一つに感銘した。
彼こそ未来のジョニー・アップルシードであると、たとえそうでなかろうとも一生彼について行こうと、心に決めた。
その決意は、未だ健在だ。
ぎゃいぎゃいぎゃいぎゃい。
現ジョニー・アップルシードであるディーンをヴォルスング様に、チャックを自分に置き換えて想像してみようとして、挫折した。
イエスマンであることの危険性は、身を持って知った。そのチャックに、教えられた。
ディーンが、自らの地位について淡泊であることは、わからないではない。
だが、ギルドは組織だ。その組織の叩き上げであるチャックが、それをわかっていないとは、到底思えない。
ぎゃいぎゃいぎゃい。
「しかたないね。ここはボクが折れるよ」
チャックの言葉に、聞いているだけでも胃が痛くなりそうだったファリドゥーンは、ほっとする。
「よっしゃ! 昼飯はヤキソバだ!」
「明日は絶対、鍋焼き煮込みウドンだからねッ! 4日連続昼食がヤキソバなんてゴメンだよッ!」
「だからなんでこの暑いのに、鍋焼き煮込みウドンなんだよ!」
「暑いからこそじゃないかッ!」
終わったかと思われた論争が、またはじまった。
ぎゃいぎゃいぎゃいぎゃい。
自分とヴォルスング様であるならば、考えるまでもなく、自分はお供する。
たとえ毎日焼きそばであろうとも、ヴォルスング様がそうなさるなら、それでかまわないではないか。
いやむしろ、ここまで言い争うなら、それぞれ好きな物を注文すればいいのではないだろうか?
「ファリドゥーン! キミもなんとか言ってくれよ! でないと食堂のC定食が、毎日焼きそばになってしまうからねッ!」
いきなりチャックにふられて、とまどった。
いつのまにか、今日の昼食の話から、行政府ビル内の食堂のメニューの話になっていたらしい。
そういえばチャックは、行政府の雑用をいろいろ引き受けていると笑っていた。
それはファリドゥーンも同じことだ。
軍やギルドの本来の守備からは外れていても、出来る者がやらなければ、物事が滞ってしまう。
にしてもメニューなど、食堂の現場担当に任せておけばいいのではないだろうか?
「C定食が焼きそば固定であっても、かまわないのでは?」
「C定は、一番安い定食なんだ。金欠の者にとって、メニュー固定はきびしいよッ!」
「違う! 豚、鳥、海鮮、固くてパリパリしてるやつにトロトロしたのが乗ってるやつとか、ヤキソバにだって、いろいろあるッ!」
「具が変わっても基本は同じさッ! だいたいメニューにヤキソバがあるかぎり、キミはヤキソバしか食べないじゃないか! それは他の料理を食わず嫌いしているもどうぜんだよッ!
C定にヤキソバを入れるとしても、三日に一度にすべきだねッ!」
チャックが大げさなポーズをつけながら、ディーンに指をつきつける。
「そんなの横暴だッ! いくらチャックでも認めないッ!」
「横暴なもんか! ボクはボクの意見を言ってるだけだ! キミにはC定食を毎日ヤキソバにする権力がある! どうしてもっていうなら、そうすればいいさッ! けれどキミの健康のために、キミが毎日ヤキソバを選ぶことは、個人的に阻止させてもらうよッ!」
「ファリドゥーンだって、毎日納豆生卵付セットを食べてるじゃないかッ! それはいいのかよッ!」
「あれは副食だッ! 主食じゃないッ! しかも非常に栄養バランスがいい上に、リーズナブルなんだッ!」
とりあえず、納豆セットは認めてもらえたようで、ホッとする。
ルシルにRYGS邸では納豆を食べないと約束してから、ますます納豆が好きになった。一日一回は、白米であろうが麦ご飯であろうがかまわないが、納豆、生卵、あさつきをよく混ぜて、熱々の丼飯の上に……。
だが今日は、ヤキソバだ。納豆はあきらめなければなるまい。
いやそれよりも、昼食を一緒に取れる機会など滅多にない。食堂ではなく、ルームサービスで取り寄せている。なのになぜ、納豆セットのことを把握されてしまっているのだろうか?
「わかった。チャックがそこまで言うなら、C定食ヤキソバ化計画は、あきらめる」
「わかってくれて嬉しいよ」
「そのかわり、副食として半ヤキソバを導入する」
チャックの視線が、ふっと冷たくなった。
「半ヤキソバお代わりで、主食なしってのはダメだからね」
「えーッ! なんでオレが考えてることが、わかるんだよ」
「その程度、ボクの鋭い推理でお見通しさッ!」
「ちぇッ。チャック、最近レベッカやグレッグよりうるさいんだもんな」
「ボクの目には、あの二人の方が、キミに甘すぎるように見えるけどね。とにかくディーン、ファリドゥーンと一緒に昼食に行きなよ」
「え? チャックさっき一緒にヤキソバでいいって」
チャックは壁の時計を、不要なほど力を込めて、びしっと指さす。
「昼休みは終わりさ。今日の打ち合わせに、ボクは必要ないだろ。キミたちは一時間ほど打ち合わせに出てるってことにして、ボクが留守番しておくから、ごちゃごちゃ言わずに食べに行ってくるんだ。さっさと行かないと仕事が舞い込んで、夕方まで食べ損ねるよ」
確かにチャックの言う通りだ。行政府の目に余る人手不足に、軍から人(ベルーニ)を回せないか、種族を意識せず仕事ができる人材はいないかと。
ギルドも似たような人材の窓口になっているため、チャックも同席するはずだったのだが……。
「それからディーン! ファリドゥーンには、納豆セットも注文してやってくれよ! でないとファリは遠慮してしまうからねッ!」
「おう!」
部屋を出しまに声をかけられ、呆然としながら振り返れば、ニッと笑いながら、チャックが二本の指をチャッチャと振って見せた。
ヤキソバに納豆飯は合わないが、好意を受けておくことにした。
向かいに座るディーンの前に、ヤキソバの空皿が積み上げられていく。
ニンゲンの小柄な体のいったいどこに、あのヤキソバが入っていくのだろう。
「なあ、ファリドゥーン」
「なんでしょうか?」
「ファリドゥーンもだけどさ、なんでチャックって、オレに遠慮してんだろ」
ファリドゥーンは、納豆でむせることしか、できなかった。