「何も、こんな何もねー場所を選ぶこた、ねーんじゃねーか?」
小さな森どころか林もない。湖や川どころか、小さな泉さえない。
あるのは地中に埋もれた遺跡だけ。
そんなものは、このファルガイアのどこにでもある。
古代ファルガイア文明は、この星全体を覆っていたからだ。だが大半は、古代文明の痕跡というだけで、資源として再利用できる部分は、ほとんど無い。
ここにあるのもそのたぐいだ。
「だからいいのよ」
ダイアナは、荒野の風に髪を揺らしながら微笑んだ。
「可能な限り何もない場所を選んだわ。
星をむさぼることなく、この手でどこまでできるか、試してみたいの」
宇宙を旅した者たちと、星に残った者たち。
長い年月を越えて再会した人類の間には、様々な差異が現われていた。
体格、体質、寿命、そして精神力。精神力を力として引き出す古代文明の遺物は、その差をますますあからさまなものにした。
種として別物になったかどうかは、微妙なところ。交配可能であれば、生物的には同種と見なされる。学者たちは「不可能ではないというレベル」と言っている。
文化や文明においては完璧に断絶したといっていい。言語も異なる発達を遂げた。
強弱に差のある文明がぶつかり合えば、強者が弱者を吸収するのは、必然のこと。
言い換えれば、搾取する構造ができあがる。
たとえ強者が、それを望まなかったとしても。
同じ人間であったはずなのに、その差異を区別するベルーニとニンゲンという言葉は、あっというまに定着した。
様々な技術だけでなく、ベルーニがもたらしたテレビを通じて、ベルーニの文明がニンゲンの文明を、言語ともども駆逐した。
それでもベルーニとニンゲンは、混じり合おうとはしなかった。
穏健派と強硬派に分かれて主権を争うのは、古代ファルガイア時代からベルーニたちに受け継がれた、体制の基本だ。
異なる勢力が競い合うことで、力は維持され、天秤が片方に傾むききって倒れることを防ぐのだ。
だから、ほぼあらゆる時代に、穏健派と強硬派は存在し続けた。その時代の二大勢力が、それを名乗るといってもいいだろう。
標榜する旗印は、時代によって違う。
ここ百年は、ニンゲンとの協調路線の穏健派と、ベルーニ優先の強硬派だったが、今後各が標榜する旗印も、変わっていくだろう。
ファルガイア再入植を見届けて、その先駆者として活躍したバーソロミューは、そしてそれを支えたダイアナも、一線を退いた。
ベルーニ優先主義は、ベルーニ至上主義へと変化し、日々蔓延していくニンゲンを見下す風潮をどうにかしようと、ニンゲンに肩入れした。
ニンゲンは、肩を並べる仲間になれるはずだと、堅く信じて。
バーソロミューは天路歴程号において、ダイアナは新しく作る町にニンゲンを招き、ベルーニ文明の門戸を、ニンゲンにも開こうとした。
だが、思い起こせば、そこに間違いがあったのだ。
ニンゲンをベルーニ並に引き上げようとしたのは、ベルーニを至上と信じ、ニンゲンを見下していたからに、他ならない
当時はその思い上がりに、気づけなかった。
この土地に、たった一つの礎が置かれて、まもなく百年。
何もなかった荒野に、人が集まり、物が集まった。
百年という時間と手間をかけた土地は、周囲の気候さえ変え、降水量を増やし、それが呼び水となって地下水が湧き出し、時計塔と共に街のシンボルとなっている。
ベルーニであれ、ニンゲンであれ、終の棲家をここに得たいと望む者は、少なくない。
劇的な変革と共に、Ubから逃れたバーソロミューは、天路歴程号を手下……もといクルーに任せては、ファルガイアの各地を巡り歩いた。
そしてその仕上げとして、トゥエールビットのレストランの店先の席に陣取って、道行く人々を眺めている。
わずかな間に、どこもかしこも変わっていたが、ダイアナが作り上げたこの街並だけは、昔の面影を色濃く残していた。
街は、創立百年を祝う祭りの準備で、慌ただしい。
そろいの旗とリボンで店先は飾りたてられ、時計台の時計も、ぴかぴかに磨き上げられている。
まだ真新しい動乱の傷跡が補修され、真新しいペンキが、隠していく。
まるで街そのものが、新しく生まれ変わったかのようだ。
だが……。
せわしく街を飾り立てているのは、ニンゲン、ニンゲン、そして……ニンゲン。
ベルーニとおぼしき者の姿は、見あたらない。
あってもバーソロミューと同じように、部外者を決め込んで、それを眺めているだけだ。
ベルーニはどこへ行ったのか?
昔も今と同様に、現場で手足を動かしているのは、数に勝るニンゲンであることが多かった。
だが昔のニンゲンは、自主的に働きはしなかった。
何をするか決め、どうやってやるか考え、指示を出すことは、ベルーニでなければできなかった。
ニンゲンは言う通りにしか働かず、言われた通りにすら満足にできず、単純作業に始終した。
ニンゲンのジョニー・アップルシードの誕生は、そんな時代が終わったことの象徴だろう。
ディーンは自分から何かをしでかすヤツだと、バーソロミューはすぐに気づいた。
今までのニンゲンとは、違っていると。
だが……。
バーソロミューは、幾止めかのその想いを、心の中で繰り返す。
ニンゲン、ニンゲン、そしてニンゲン。
自分で考え、行動するニンゲンたち。
それはいい。
だが、ベルーニは、どこへ行っちまったんだ?
ベルーニとニンゲンは分け隔てなく手を取り合い、共に働いているはずではなかったのか?
かつてこの街を動かしていたのも、ベルーニたちだった。
小さな店では、ニンゲンの奉公人を使ってはいても、同じように手を動かして働いていた。
だがそれでも、主導権はベルーニが握っていた。
ベルーニがニンゲンを雇うことはあっても、その逆はありえなかった。
そして今でも、それはまだない。
見る限り、今やニンゲン、ニンゲン、そしてニンゲン。
今この街を動かしているのは、ニンゲンだ。
この街だけではない。
どこへいっても、大差なかった。
ニンゲンばかりの村や町はあっても、その逆はない。
トゥエールビットも、ライラベルも、街ゆく人々にニンゲンばかりが目立っている。
ベルーニが集まっているのは、軍か病院か、でなければライラベルのベルーニ専用マンションに限られる。
だがマンションにも、ニンゲンの姿が混じり始めているようだ。
もとよりニンゲンの方が、人口は圧倒的に多かった。
Ubで、ベルーニの人口は、激減した。
命を失わなくとも、長い療養を余儀なくされ、死は逃れたものの未だ回復途中にあり、虫食い状態になったベルーニ社会の隙間を、ニンゲンが埋めた。
その傾向は、バーソロミューが地上を離れる以前からありはしたが、ここまでひどくなっているとは、思わなかった。
そう。ひどいと感じたのだ。
ニンゲンばかりであることを。
ダイアナが、ベルーニが手塩にかけて育てた街に、ニンゲンばかりがあふれかえっていることが、自他共に認めるバーソロミューが、理不尽な怒りを感じたのだ。
街にあふれるニンゲンたちの姿を見ながら、強硬派にすがった人々の気持ちを、思いやる。
天路歴程号は、穏健派ベルーニたちの、最後の砦だった。
宇宙時代さながらの、それこそバーソロミュー以外には、個室さえない不自由な暮らしを強いられていた。
だからこそ周囲には常に、ベルーニ、ベルーニ、そしてベルーニ。
Ubにむさぼられるベルーニの痛みも、それこそ身に染みて知っているはずだった。
社会不安をあおらぬためと、統計は操作され、公にされる情報が制限されていても、それなりに現状を把握していたつもりでいた。
だが、肌で感じるとは、こういうことだ。
街からベルーニの姿が消えていく。
ニンゲンたちに、飲み込まれていく。
その滅びの恐怖を、バーソロミューは暖かな日差しの下で想ってみる。
それでもファリドゥーンは、以前より街にベルーニの姿が増えたと、うれしそうに語る。
Ubに冒され身動きもままならなかった者や、徴兵されていた者が、防護服を脱ぎ、街に戻ってきたと。
孫ほどの娘に手を引かれたニンゲンの老婆が、自分に向かって会釈する。
「バーソロミュー様も、かわらずご健在のようで、よろしいことでございます」
その老婆に残る面影と、連れの面立ちから、かつてこの街で奉公をしていた娘と気づく。
「おう。あんたも元気そうで何よりだ」
「はい。このたびはおめでたいことで」
「ごめんなさい。おばあちゃん耳が遠くて、しかもちょっとボケちゃってるんです。百年祭。楽しんでってくださいね」
ゆっくりと石畳の道を去っていく老婆と娘の後ろ姿を見送りながら、自分はあと何年生きるのかと、考える。
娘だったニンゲンは、バーソロミューを追い越して、今や老齢の極みにある。
かつて天路歴程号に招いたニンゲンの、紅顔の少年も、同様であることを思い出す。
ニンゲンの時は、ベルーニよりも早く流れる。
生き延びたベルーニたちは、同年代のニンゲンよりも長く生き、多くを学ぶ機会がある。
数で勝っていても、ニンゲンの時はひどく儚い。
バーソロミューは、隣に座るバスカーのローブを着たハーフの青年に目を向ける。
その衣は、強硬派にも穏健派にも属さぬという誓いの現れだ。
彼は街を訪れたバーソロミューに気づき、だが何も言わず、ただその隣の席に腰を下ろし、同じように無言で街の喧噪を眺めている。
ベルーニとニンゲンの仲介者となり、Ubという袋小路からベルーニを救い出すはずの、荒野に芽吹いた希望の子。
だが、生まれたその時から、その重荷を背負わされた子は、重荷を分かち合うはずの者たちからも隔てられ、孤立無援のまま、同じ希望を打ち砕かれた過去の怨念に囚われた。
右も左もわからぬ幼子に、重荷を背負わせ、そのまま放り出したのは、バーソロミューに他ならない。
Ubを背負ってなお、ダイアナが地に留まり続けたのは、ヴォルスングを気にかけたからでもある。
それでもなお、この街はヴォルスングが落ち着ける地とはならなかった。
だが皮肉なことに、この彼を巡る穏健派の内部抗争こそが、彼を消し去ろうとした一派を、破滅させた。
そしてダイアナは、孫息子がヴォルスングの支えとなると、それこそ生涯の支えとなると認めてはじめて、宇宙での療養を受け入れたのだ。
役目をファリドゥーンに譲り、彼女は地を離れ、そして命を失った。
バーソロミューは、宇宙へ逃れた己が身について、考える。
地上で病床にあるよりも、宇宙から睨みを効かせた方がよいと判断してのことではある。
地に残ったよりも、多くのことができたことも、また事実だ。
ダイアナとファリドゥーンがいたからこそ、地を離れることができた、とも言える。
それでも、もっと積極的に、ヴォルスングと関わっていればよかったと。
いや、関わっていたかったと、想いは巡る。
「なあ、一緒に旅しねぇか?」
「いずれ」
思いつきの、だが本気の誘いに、そうかえされる。
「そうか。じゃあ、待つぜ」
バーソロミューは、伸びをしつつ立ち上がり、忙しく働く人々に声をかける。
「おう! 俺にもなんか、やらせてくれや!」
ニンゲンたちが緊張し、そして丁重かつ穏便に断ろうとする気配には、気づかぬふりを押し通す。
「ここはどうすりゃいーんだ?」
最初はおそるおそる、だが引きそうにないバーソロミューに、ニンゲンたちが仕事を分ける。
やがてペンキまみれになるころには、互いに笑顔を見せ合った。
ハーフの若者は、どっぷり日が暮れ、その日の作業がお開きになるまで、黙してそれを眺めていた。
ペンキまみれのバーソロミューが、働いた者たちへの振る舞い酒が満たされたジョッキを手に、ヴォルスングの隣の席へと舞い戻る。
ジョニー・アップルシードとまではいかないが、発泡性の林檎酒(シードル)だ。
「なんの、お戯れですか?」
「戯れのつもりはねーぞ」
「今日一日、ニンゲンにまじったとて、何になります」
「今日一日でやめるつもりはねーが?」
「祭りが始まるまで、お続けになるおつもりですか?」
バーソロミューは、表情に乏しい青年に向かって、ニヤリと笑う。
「街に部屋を借りた」
「は?」
「待つっちっただろーが。どーせお前が動くまで、一月や半年じゃすみそうにねーからよ、腰を据えよと思ってな」
「はぁッ?!」
無表情だった若者が驚く顔に、バーソロミューは満足そうに大笑いする。
「この街のベルーニ人口を、一人増やしてみるのも、面白そーだしな」
「天路歴程号はどうするおつもりですか! クルーたちはッ! RYGS邸で待っているファリドゥーンたちに、どう説明すればいいのですかッ! ここで暮らすなら、ファリドゥーンが部屋をいくらでも……」
バーソロミューは、ヴォルスングに笑いかける。
「天路歴程号はどうにでもならぁな。今日の晩飯は、約束通りRYGS邸で馳走になる。ファリにゃそん時挨拶しとくさ」
「しかし、なぜ街中に」
「今日な、つくづく思ったんだ。
ディーンたちは、俺たちの中に飛び込んできた。
お前も、ベルーニの中にも、ニンゲンの中にも飛び込んだ。
だがよ。俺は一度でも、ニンゲンの中に飛び込んだことがあるのか? ってな。
いつも指導してやろう、教えてやろう、助けてやろうって、上から見てたんじゃねーかとな。
だからよ。今度はただのオッサンとして、ここに住んでみたくなった」
「あなたがただのオッサンに、なれるものですか」
「なれるさ。なって見せるぜ?」
神妙な顔つきになり、じっと見つめるヴォルスングに、バーソロミューは、ことさら笑いかける。
「まあ、お前みてーに、ベルーニ慣れしてねぇニンゲンの小さな村に飛び込むのに比べりゃ、お遊びみたいなもんかもしれねぇ。
だがな、俺にあって、お前にゃねぇもんが、一つあるからな」
「何が、足らなかったとおっしゃるのですか」
バーソロミューは、いきなりヴォルスングにずいと迫り、両手でその両頬をつまむと、グイと左右に引っ張った。
「にゃにをにゃさる!」
ぶわははは! と、バーソロミューは破顔する。
「こいつだ! 笑顔が足らねぇ!」
バーソロミューは、一息にジョッキをあおって立ち上がると、少しばかり不満そうに頬をさすっているヴォルスングに背を向ける。
「手伝え」
「何を」
「決まってるだろうが。引っ越しだ。ファリドゥーンに知られてみろ。お前の仕事が無くなっちまうぞ」
ヴォルスングは、いかにもしぶしぶと、けれどどこか嬉しそうに、後に続く。
「明日は俺と一緒に、祭りの支度を手伝えよ。今日友だちになった連中に、紹介してやるからな」
「もう友人を作られたのですか?」
「んなもんに時間なんかいらねーよ。
だいたいお前、ここにずっと住んでるってのに、RYGS邸まで来る連中以外とは没交渉じゃねーのか?
知ってるか? パン屋のダンナなんぞ、実に面白い男だぞ?」
うむを言わせず先に立って歩きながら、一方的にしゃべり続けるバーソロミューの後を、バスカーのローブを着た若者が、ひっそりついて歩いていった。