(C)hosoe hiromi
◆WA5 >  ◆短編一覧



過去からの手紙

 改造実験塔で、チャックがファリドゥーンとの決着をつけ、次の目的地を探す旅に取り掛かった頃のことだ。

 小さな人里から荒野へ飛び立とうとしたとき、見知らぬ渡り鳥に呼び止められた。たぶんその渡り鳥は、仲間たちが彼を呼ぶ声を、耳にしたのだろう。

「あんた、もしかしたらチャック・プレストンかい?」

 そして彼に、ひどくヨレて汚れた手紙を差し出した。
 宛名はかすれ消えかけているが、確かに『金髪の渡り鳥 ゴーレムハンター チャック・プレストン』と書かれている。

 手紙を出したことも、届けたことも幾度かあったが、仲間の誰にであれ、届くのは初めてだ。
 興味ぶかげにのぞき込む仲間たちの視線など気づかぬようすで、チャックは差出人を確かめもせず、あっさりとポケットにしまいこむ。

「ありがとう。報酬は何がいいかな」

「あんたが落したのか?」

 普通この手の報酬は、差出人が払うものだ。だから渡り鳥は、そう尋ねたのだろう。

「いいや。けどボクが払うよ」

 渡り鳥は、肩をすくめた。

「こいつは近くで拾っただけなんだ。魔獣に引き裂かれた荷物の中にあった」

 渡り鳥が運ぶ手紙の何割かは、配達人と共に、荒野に消える。
 こうして再発見され届けられるのは、マレだといっていいだろう。
 手紙を届けた渡り鳥とチャックは、配達人の運命を慮って、共に顔を曇らせる。
 だが渡り鳥は、暗い雰囲気を払うかのように、笑顔を浮かべた。

「こんなにもすぐ受取人を見つけられたのは、チャパパンガの導きがあったに違いないな」

 そう言う渡り鳥に、チャックは曖昧に笑い返しながら、報酬を渡していた。

「さあ、行こうか」

 渡り鳥と別れると、チャックはポケットの手紙を忘れたかのように、そう言った。

***

 レベッカは、その手紙が気になってならなかった。
 手紙を書くのは、大好きだ。故郷へも時折手紙を出している。けれど受け取ったことは、一度もない。
 移動し続ける渡り鳥が、自分宛の手紙を受け取ることは、無理だと言っていいほど難しい。
 運まかせだし、運よく届いたとしても、ひどく時間がかかるものだ。

 レベッカの両親も、そのことをよく知っていた。
 娘から、無事の知らせを受け取るのは大歓迎、いや必ず出せと約束させたが、こちらから出すつもりはないと断言した。

 いわく、届くかどうかもわからない手紙を出すのは空しいばかり。届かなかったり遅れれば、レベッカを不安にさせるだけ。
 何かあったときだけ手紙を出す。知らせがないのは、良い知らせ……。

 ……ただの筆不精の言い訳だ。
 けれど事実でもある。

 それにレベッカ自身は、こんなに長い旅になるとは思ってなかった。
 けれど両親には、予感があったようだ。
 カポブロンコで生まれた全ての者が、里で暮らし続けることができるほど、里の土地は広くはない。
 それに外で結婚相手を見つけなければ、里の血は、あっというまに濃くなりすぎてしまう。
 だから里で生まれた者は、レベッカの年頃になれば、里を出る。
 戻って来るか来ないかは、成り行きまかせだ。

 だがそうなると、一方通行の手紙は、日記と大差なくなってしまう。だけど、日記と違い、手紙には読む人がいる。大切な人のために心を込めて書く手紙は、やはり日記とは違うのだ。

 ともかくそんな、滅多に届かない手紙を受け取ったのに、チャックは驚きもせず、喜びもせず、封も開けずにしまいこんで、それっきり。

(あたしなら、歩きながらだってすぐに封を切り、読まずにはいられないのに……。)

「なあチャック! 手紙誰からだ? 読まなくていいのか?」

 ちょっとでも油断すれば、手が届かないところに走って行ってしまいそうな、世界を変えるとまで言い出した幼馴染も、同じように感じたらしい。
 そして彼は行動に移す。おもいきりストレートに。

 レベッカは幼馴染の言動に、いつものように指先を額にあてて、小さくため息をついたものの、チャックの返答に、興味津々耳を澄ます。

「故郷からの、無事を尋ねる手紙だよ」

 ディーンの問いかけに、チャックは手紙を取り出しもせず、しごくあっさり返答する。
 興味がないふりをしながらも、なぜ中も見ずにそう断言できるのか、ディーンが突っ込むことを期待する。
 けれどディーンが、その手の期待に応えてくれたことは、滅多に無い。

「無事、知らせなくていいのか?」

「ずいぶん前に出されたものみたいだし、この間ハニースデイには顔を出したばかりだろ? 意味ないよ」

「ふーん」

 ディーンはそれで納得した。
 けれど自分なら、それでも書かれていることを、確かめずにはいられないのにと、悶々とした。

***

 その日の夜。
 夜中目覚めて、眠れなくなったレベッカは、ついにあきらめ、暖かいものでも少し飲もうと、テントを抜け出した。

 焚き火の前には、いつものようにチャックが座り込んでいる。
 そしてレベッカに気がついて、手にしたものを背中に隠す。
 手紙だ、とすぐに気づいた。
 一通だけではないそれは、そろいの封筒、そろいの便箋。同じ人からに違いない。

「チャック、手紙、誰からだったの?」

 眠れなくなったのは、彼が受け取った手紙が気になったからだ。

「故郷からだよ」

 チャックは日中の、ディーンへの返答を繰り返す。

「故郷の、誰?」

 彼は家族を失っている。
 そして故郷へ生還したばかりの、彼の親友が出したにしては、それらの手紙は古びすぎている。

 チャックは、隠すのは無理だと思ったのだろう。一旦は後ろに回した手を戻す。
 受け取ったばかりの手紙だけではなく、どの便箋もくたびれている。
 チャックは、いくどもその手紙を、読み返したに違いない。

 チャックは、笑みを浮かべてわずかに目をそらし、けれどレベッカの問いには、答えることにしたようだ。

「ルシルさ」

 レベッカには、そうだろうとわかっていた。チャックは、差出人がもう、ハニースデイにいないことを知っていたから、自分で報酬を払ったのだ。

 レベッカは、自分でもぶしつけだと思ったけれど、次の問いを止めることはできなかった。

「なんて?」

「無事か。返事をよこせ。ハンターになんかなれないから、さっさと帰ってこい、ってね。あはは」

「どうして返事、出さなかったの」

 不思議そうに見返すチャックに、レベッカは慌てて言い訳する。

「ハニースデイで聞いたのよ。チャックが村を出てから、なんの知らせもなかったって」

 チャックはレベッカから目をそらし、小さく自嘲する。

「村を出る時、ハンターになるまでは、村にも帰らない、手紙も出さないって、決めたのさ。
 そしてハンターになったら、自分でそれを彼女に告げようって。
 カッコつけたかったんだろうね」

 まるで他人事のように語るチャックに、レベッカは苛立たされる。

「チャック。チャックは誰かがいなくなっちゃうのを、あんなに恐れてるのに、どうして自分がいなくなったりしてないって、彼女に知らせてあげなかったのよ!」

「ホント、そう思うよ」

 レベッカは、腹を立てていた。
 たぶん、ここにいない、その手紙を出したころのルシルに代わって。
 今チャックが手にしているのは、全て彼の無事を知ろうとして、彼女が幾度も出した手紙に違いない。
 なしのつぶてでも、彼の無事を知ろうとして、何度も、何度も手紙を書き、渡り鳥に託したのだ。

 チャックは、手紙を見つめるレベッカの視線の意味を、少しばかり取り違えたようだ。

「ああ、これはギルド会館に届いた分さ。ハンター宛の手紙は、ギルドに届くんだよ。
 ルシルは、ボクがハンターになるのは絶対無理だって決め付けてたけど、宛名にはゴーレムハンターって書いてくれていたからね。
 ギルド会館に顔を出したとき、受け取ることができるのさ」

 ずっとチャックは、ルシルからの手紙を受け取っていた。けれど返事は出さなかった。
 そしてたぶん、届けた渡り鳥への報酬さえ、自分で払い続けてきた。
 渡り鳥が報酬を求めて戻ってこなければ、どうして手紙が受取人に届いたと、知ることができるだろう?

「ばかッ!」

 レベッカの小さいが鋭い叫びと共に、乾いた平手打ちの音が響く。
 チャックは座ったまま、自分の前に立ち睨みつけているレベッカを、とまどいもせず見上げている。

「レベッカの言う通りだね。ボクはバカだよ」

 なぜまだ、彼は他人事のように静かに語るのか?

「本当にバカさ。ボクはルシルに、はっきり好きだと言うべきだった。
 必ずゴーレムハンターになって帰って来るから、待っていてくれってね。
 そして彼女に、ボクの無事と彼女への想いを知らせる手紙を、書くべきだった。
 そうしなかったボクは、本当にバカだよ」

 他人事のように、微笑みながら。

 もう、終わっているからだ。
 完全に決着がついている。
 彼自身が決着をつけた。
 当のルシルの知らぬ所で。

 レベッカはもう、チャックが本当につらい時に、そんな顔をすることを知っていた。
 感情が高ぶるまま、勢いで叩いてしまったことを謝ろうと思ったけれど、チャックはまるで独り言のように、話し続けている。

「ボクはルシルを苦しめた。ルシルを傷つけることしか、できなかった。
 彼女の心が、ボクから離れて当然さ。
 終わったって、わかるんだ。
 こればっかりは、あきらめなければ、取り返せるなんていうものじゃない。
 それにディーンのおかげで、やれるだけやることもできたしね。
 これからは彼女が苦しまなくてもすむように、幸せになれるように、ちゃんと考える。
 けれどルシルとボクとは、終わったのさ。いや、始まりさえしなかったと言っていい。
 友だちだけど、恋人にはなれなかった。ボクが逃げたからさ。
 ボクは、バカだったよ」

 言うなりチャックは、手にしていた手紙を、焚き火の中へと放り込む。

 レベッカが息を飲む中、束ねられてもいないそれは、あっというまに火に飲まれ、明るい光を周囲に投げかけながら、燃え尽きていく。
 その炎の照らされて、その炎を見つめながら、チャックは笑っていた。

 言うべきことが見つからず、そのままテントに戻り、毛布に潜り込んで考える。

 チャックの言葉は、自分とディーンにもあてはまる。

 相手を強く想っていれば、いつか気持ちは伝わって、相手も想ってくれるようになる……なんてほど、現実は甘くない。
 少なくとも、チャックほどバカなことはしていない、とは思う。
 けれど五十歩百歩だ。このまま流されていれば、所詮結果は同じだろう。
 そんなことは、レベッカにもわかっている。
 それでも彼女には、ディーンに自分の気持ちを伝えられるとは思えなかった。

(あのニブチンに、どうやったら伝えられるのか、わかってもらえるのか、想像もつかないじゃない。)

 暖かいものを飲みそこねたまま、毛布に包まって横たわってはみたけれど、頭の中でいくつもの想いがうずまき、眠れない夜が更けていった。

***

「レベッカ! 頼みがあるんだけど」

 翌日、そろそろ出発もまぎわという時に、明るい笑顔全開のチャックがやってきた。

 昨夜のことなど、最初からなかったかのようなその様子に、今の今まで、彼にどう謝ろうかと思い悩んでいた気持ちを、踏みにじられる。

 彼は他人のためなら、特にルシルのためならば、本当に一生懸命になり、相手の何倍も苦しみながらでも、人を叱る。
 なのに自分については、騙されても、ひっぱたかれても、無駄に責められても、相手を恨みもしなければ憎みもしない。

 だから相手を責めもしない。

「その性格、少し問題よね」

 レベッカは、自分を棚に上げてと思いつつも、指先を額にあてて、小さくつぶやいてみる。

「何がだい?」

「何でもないわよ。で、何か用?」

「便箋と封筒、少し譲ってくれないかな?」

「え?」

「今更だけど、返事、書こうと思ってさ。無事を知らせたいんだ。
 恋人同士にはなれなかったけど、ルシルは今でも友人として、ボクのことを心配してくれているに違いないからね」

 もやもやとしていたレベッカの心が、チャックの言葉で、一気に晴れる。

「そういうことなら、好きなだけ使ってちょうだい!」

 レターセットを取り出して、丸ごと渡す。

「故郷にいるチャックの親友にも、無事を知らせてあげたら?」

「ありがとう。そうさせてもらうよ」

 そしてレベッカは、好奇心を押さえきれず、声だけ抑えてつけくわえる。

「で、ルシルさんには何て書くの?」

 これまでの経緯を見ていれば、よりを戻そう、という話でないことぐらいは、想像がつく。

「無事に元気でやっている、ケントも戻った、ってことぐらいかな。
 あと、ファリドゥーンの無事も知らせておこうと思ってるよ。彼もそういう気づかいは、できなさそうなタイプだからね」

 そしてチャックはレベッカに、意味ありげにニカッと笑う。

「ついでに『彼はキミにゾッコンだ。種族の壁はこっちでなんとかするから、遠慮なくアタックしろ』かな?」

「チャックッ!」

 レベッカの大声に、仲間たちが振り向いた。
 他人事であるはずなのに、レベッカの頬が赤く染まる。
 慌てて何でもないと手を振って、それから小声で叱りつける。
 けれどチャックは、そ知らぬ顔だ。

「それ、お節介すぎ! ルシルさんに、また怒られても知らないから」

「かまわないさ」

 しれっと答えるチャックに、レベッカは再び額に指を押し当て、小さなため息をつく。
 そんなレベッカに、チャックはもう一つ、思いがけない爆弾を投げかける。

「キミにもお節介が必要かい?」

 レベッカが、その言葉の意味を理解するまでに、3秒かかった。
 見返せば、チャックはニンマリとした笑みを浮かべて、自分を見ている。

(ちょっと何! あたしとディーンのことなわけ? あたしの気持ちを、チャックがディーンに伝えてくれるって言うの? どうしてチャックが知ってるのよ! それとも全然別の話?!)

 混乱したレベッカには、チャックの提案が、冗談とも本気ともわからなかった。

「絶対にッ! やめてよねッ!
 あ、あたしは後悔する前に、行動に移すんだからッ!」

 小声で精一杯叫ぶと、チャックは、まるで今の会話などなかったかのように、笑みを穏やかなものに変える。

「じゃあ、これ、ありがたく使わせてもらうよ」

 そして渡したレターセットを軽く振りながら、レベッカに背を向けた。
 その背中に向かって、レベッカは肩を落とし、大きなため息をつく。
 今から出発だというのに、一日の旅を終えた時よりも、疲れた気がした。

 レベッカは思う。
 ニブチンのディーンへの気持ちは、確かに振り回されっぱなしだ。
 世の中に、ディーンほど女心に鈍いヤツが、そうそういるとは思えない。
 けれどアレと比べたら、ルシルの苦労に比べたら、かなりマシに違いない。

「悪い人じゃないんだけどね」

 小さくつぶやき、もう一つ大きなため息を加えると、レベッカは荷物を持ち上げ、旅立つ渡り鳥の群れに加わった。

2008.4.26



仲間入りしたチャックは、仲間たちに対し「自分は疫病神だから」とは、口にしない。
そのため口にする多くは、100%の嘘ではないけれど、100%の真実にもなりえない。

◆短編一覧