改造実験塔で、チャックがファリドゥーンとの決着をつけ、次の目的地を探す旅に取り掛かった頃のことだ。
小さな人里から荒野へ飛び立とうとしたとき、見知らぬ渡り鳥に呼び止められた。たぶんその渡り鳥は、仲間たちが彼を呼ぶ声を、耳にしたのだろう。
「あんた、もしかしたらチャック・プレストンかい?」
そして彼に、ひどくヨレて汚れた手紙を差し出した。
宛名はかすれ消えかけているが、確かに『金髪の渡り鳥 ゴーレムハンター チャック・プレストン』と書かれている。
手紙を出したことも、届けたことも幾度かあったが、仲間の誰にであれ、届くのは初めてだ。
興味ぶかげにのぞき込む仲間たちの視線など気づかぬようすで、チャックは差出人を確かめもせず、あっさりとポケットにしまいこむ。
「ありがとう。報酬は何がいいかな」
「あんたが落したのか?」
普通この手の報酬は、差出人が払うものだ。だから渡り鳥は、そう尋ねたのだろう。
「いいや。けどボクが払うよ」
渡り鳥は、肩をすくめた。
「こいつは近くで拾っただけなんだ。魔獣に引き裂かれた荷物の中にあった」
渡り鳥が運ぶ手紙の何割かは、配達人と共に、荒野に消える。
こうして再発見され届けられるのは、マレだといっていいだろう。
手紙を届けた渡り鳥とチャックは、配達人の運命を慮って、共に顔を曇らせる。
だが渡り鳥は、暗い雰囲気を払うかのように、笑顔を浮かべた。
「こんなにもすぐ受取人を見つけられたのは、チャパパンガの導きがあったに違いないな」
そう言う渡り鳥に、チャックは曖昧に笑い返しながら、報酬を渡していた。
「さあ、行こうか」
渡り鳥と別れると、チャックはポケットの手紙を忘れたかのように、そう言った。
***
レベッカは、その手紙が気になってならなかった。
手紙を書くのは、大好きだ。故郷へも時折手紙を出している。けれど受け取ったことは、一度もない。
移動し続ける渡り鳥が、自分宛の手紙を受け取ることは、無理だと言っていいほど難しい。
運まかせだし、運よく届いたとしても、ひどく時間がかかるものだ。
レベッカの両親も、そのことをよく知っていた。
娘から、無事の知らせを受け取るのは大歓迎、いや必ず出せと約束させたが、こちらから出すつもりはないと断言した。
いわく、届くかどうかもわからない手紙を出すのは空しいばかり。届かなかったり遅れれば、レベッカを不安にさせるだけ。
何かあったときだけ手紙を出す。知らせがないのは、良い知らせ……。
……ただの筆不精の言い訳だ。
けれど事実でもある。
それにレベッカ自身は、こんなに長い旅になるとは思ってなかった。
けれど両親には、予感があったようだ。
カポブロンコで生まれた全ての者が、里で暮らし続けることができるほど、里の土地は広くはない。
それに外で結婚相手を見つけなければ、里の血は、あっというまに濃くなりすぎてしまう。
だから里で生まれた者は、レベッカの年頃になれば、里を出る。
戻って来るか来ないかは、成り行きまかせだ。
だがそうなると、一方通行の手紙は、日記と大差なくなってしまう。だけど、日記と違い、手紙には読む人がいる。大切な人のために心を込めて書く手紙は、やはり日記とは違うのだ。
ともかくそんな、滅多に届かない手紙を受け取ったのに、チャックは驚きもせず、喜びもせず、封も開けずにしまいこんで、それっきり。
(あたしなら、歩きながらだってすぐに封を切り、読まずにはいられないのに……。)
「なあチャック! 手紙誰からだ? 読まなくていいのか?」
ちょっとでも油断すれば、手が届かないところに走って行ってしまいそうな、世界を変えるとまで言い出した幼馴染も、同じように感じたらしい。
そして彼は行動に移す。おもいきりストレートに。
レベッカは幼馴染の言動に、いつものように指先を額にあてて、小さくため息をついたものの、チャックの返答に、興味津々耳を澄ます。
「故郷からの、無事を尋ねる手紙だよ」
ディーンの問いかけに、チャックは手紙を取り出しもせず、しごくあっさり返答する。
興味がないふりをしながらも、なぜ中も見ずにそう断言できるのか、ディーンが突っ込むことを期待する。
けれどディーンが、その手の期待に応えてくれたことは、滅多に無い。
「無事、知らせなくていいのか?」
「ずいぶん前に出されたものみたいだし、この間ハニースデイには顔を出したばかりだろ? 意味ないよ」
「ふーん」
ディーンはそれで納得した。
けれど自分なら、それでも書かれていることを、確かめずにはいられないのにと、悶々とした。
***
その日の夜。
夜中目覚めて、眠れなくなったレベッカは、ついにあきらめ、暖かいものでも少し飲もうと、テントを抜け出した。
焚き火の前には、いつものようにチャックが座り込んでいる。
そしてレベッカに気がついて、手にしたものを背中に隠す。
手紙だ、とすぐに気づいた。
一通だけではないそれは、そろいの封筒、そろいの便箋。同じ人からに違いない。
「チャック、手紙、誰からだったの?」
眠れなくなったのは、彼が受け取った手紙が気になったからだ。
「故郷からだよ」
チャックは日中の、ディーンへの返答を繰り返す。
「故郷の、誰?」
彼は家族を失っている。
そして故郷へ生還したばかりの、彼の親友が出したにしては、それらの手紙は古びすぎている。
チャックは、隠すのは無理だと思ったのだろう。一旦は後ろに回した手を戻す。
受け取ったばかりの手紙だけではなく、どの便箋もくたびれている。
チャックは、いくどもその手紙を、読み返したに違いない。
チャックは、笑みを浮かべてわずかに目をそらし、けれどレベッカの問いには、答えることにしたようだ。
「ルシルさ」
レベッカには、そうだろうとわかっていた。チャックは、差出人がもう、ハニースデイにいないことを知っていたから、自分で報酬を払ったのだ。
レベッカは、自分でもぶしつけだと思ったけれど、次の問いを止めることはできなかった。
「なんて?」
「無事か。返事をよこせ。ハンターになんかなれないから、さっさと帰ってこい、ってね。あはは」
「どうして返事、出さなかったの」
不思議そうに見返すチャックに、レベッカは慌てて言い訳する。
「ハニースデイで聞いたのよ。チャックが村を出てから、なんの知らせもなかったって」
チャックはレベッカから目をそらし、小さく自嘲する。
「村を出る時、ハンターになるまでは、村にも帰らない、手紙も出さないって、決めたのさ。
そしてハンターになったら、自分でそれを彼女に告げようって。
カッコつけたかったんだろうね」
まるで他人事のように語るチャックに、レベッカは苛立たされる。
「チャック。チャックは誰かがいなくなっちゃうのを、あんなに恐れてるのに、どうして自分がいなくなったりしてないって、彼女に知らせてあげなかったのよ!」
「ホント、そう思うよ」
レベッカは、腹を立てていた。
たぶん、ここにいない、その手紙を出したころのルシルに代わって。
今チャックが手にしているのは、全て彼の無事を知ろうとして、彼女が幾度も出した手紙に違いない。
なしのつぶてでも、彼の無事を知ろうとして、何度も、何度も手紙を書き、渡り鳥に託したのだ。
チャックは、手紙を見つめるレベッカの視線の意味を、少しばかり取り違えたようだ。
「ああ、これはギルド会館に届いた分さ。ハンター宛の手紙は、ギルドに届くんだよ。
ルシルは、ボクがハンターになるのは絶対無理だって決め付けてたけど、宛名にはゴーレムハンターって書いてくれていたからね。
ギルド会館に顔を出したとき、受け取ることができるのさ」
ずっとチャックは、ルシルからの手紙を受け取っていた。けれど返事は出さなかった。
そしてたぶん、届けた渡り鳥への報酬さえ、自分で払い続けてきた。
渡り鳥が報酬を求めて戻ってこなければ、どうして手紙が受取人に届いたと、知ることができるだろう?
「ばかッ!」
レベッカの小さいが鋭い叫びと共に、乾いた平手打ちの音が響く。
チャックは座ったまま、自分の前に立ち睨みつけているレベッカを、とまどいもせず見上げている。
「レベッカの言う通りだね。ボクはバカだよ」
なぜまだ、彼は他人事のように静かに語るのか?
「本当にバカさ。ボクはルシルに、はっきり好きだと言うべきだった。
必ずゴーレムハンターになって帰って来るから、待っていてくれってね。
そして彼女に、ボクの無事と彼女への想いを知らせる手紙を、書くべきだった。
そうしなかったボクは、本当にバカだよ」
他人事のように、微笑みながら。
もう、終わっているからだ。
完全に決着がついている。
彼自身が決着をつけた。
当のルシルの知らぬ所で。
レベッカはもう、チャックが本当につらい時に、そんな顔をすることを知っていた。
感情が高ぶるまま、勢いで叩いてしまったことを謝ろうと思ったけれど、チャックはまるで独り言のように、話し続けている。
「ボクはルシルを苦しめた。ルシルを傷つけることしか、できなかった。
彼女の心が、ボクから離れて当然さ。
終わったって、わかるんだ。
こればっかりは、あきらめなければ、取り返せるなんていうものじゃない。
それにディーンのおかげで、やれるだけやることもできたしね。
これからは彼女が苦しまなくてもすむように、幸せになれるように、ちゃんと考える。
けれどルシルとボクとは、終わったのさ。いや、始まりさえしなかったと言っていい。
友だちだけど、恋人にはなれなかった。ボクが逃げたからさ。
ボクは、バカだったよ」
言うなりチャックは、手にしていた手紙を、焚き火の中へと放り込む。
レベッカが息を飲む中、束ねられてもいないそれは、あっというまに火に飲まれ、明るい光を周囲に投げかけながら、燃え尽きていく。
その炎の照らされて、その炎を見つめながら、チャックは笑っていた。
言うべきことが見つからず、そのままテントに戻り、毛布に潜り込んで考える。
チャックの言葉は、自分とディーンにもあてはまる。
相手を強く想っていれば、いつか気持ちは伝わって、相手も想ってくれるようになる……なんてほど、現実は甘くない。
少なくとも、チャックほどバカなことはしていない、とは思う。
けれど五十歩百歩だ。このまま流されていれば、所詮結果は同じだろう。
そんなことは、レベッカにもわかっている。
それでも彼女には、ディーンに自分の気持ちを伝えられるとは思えなかった。
(あのニブチンに、どうやったら伝えられるのか、わかってもらえるのか、想像もつかないじゃない。)
暖かいものを飲みそこねたまま、毛布に包まって横たわってはみたけれど、頭の中でいくつもの想いがうずまき、眠れない夜が更けていった。
***
「レベッカ! 頼みがあるんだけど」
翌日、そろそろ出発もまぎわという時に、明るい笑顔全開のチャックがやってきた。
昨夜のことなど、最初からなかったかのようなその様子に、今の今まで、彼にどう謝ろうかと思い悩んでいた気持ちを、踏みにじられる。
彼は他人のためなら、特にルシルのためならば、本当に一生懸命になり、相手の何倍も苦しみながらでも、人を叱る。
なのに自分については、騙されても、ひっぱたかれても、無駄に責められても、相手を恨みもしなければ憎みもしない。
だから相手を責めもしない。
「その性格、少し問題よね」
レベッカは、自分を棚に上げてと思いつつも、指先を額にあてて、小さくつぶやいてみる。
「何がだい?」
「何でもないわよ。で、何か用?」
「便箋と封筒、少し譲ってくれないかな?」
「え?」
「今更だけど、返事、書こうと思ってさ。無事を知らせたいんだ。
恋人同士にはなれなかったけど、ルシルは今でも友人として、ボクのことを心配してくれているに違いないからね」
もやもやとしていたレベッカの心が、チャックの言葉で、一気に晴れる。
「そういうことなら、好きなだけ使ってちょうだい!」
レターセットを取り出して、丸ごと渡す。
「故郷にいるチャックの親友にも、無事を知らせてあげたら?」
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
そしてレベッカは、好奇心を押さえきれず、声だけ抑えてつけくわえる。
「で、ルシルさんには何て書くの?」
これまでの経緯を見ていれば、よりを戻そう、という話でないことぐらいは、想像がつく。
「無事に元気でやっている、ケントも戻った、ってことぐらいかな。
あと、ファリドゥーンの無事も知らせておこうと思ってるよ。彼もそういう気づかいは、できなさそうなタイプだからね」
そしてチャックはレベッカに、意味ありげにニカッと笑う。
「ついでに『彼はキミにゾッコンだ。種族の壁はこっちでなんとかするから、遠慮なくアタックしろ』かな?」
「チャックッ!」
レベッカの大声に、仲間たちが振り向いた。
他人事であるはずなのに、レベッカの頬が赤く染まる。
慌てて何でもないと手を振って、それから小声で叱りつける。
けれどチャックは、そ知らぬ顔だ。
「それ、お節介すぎ! ルシルさんに、また怒られても知らないから」
「かまわないさ」
しれっと答えるチャックに、レベッカは再び額に指を押し当て、小さなため息をつく。
そんなレベッカに、チャックはもう一つ、思いがけない爆弾を投げかける。
「キミにもお節介が必要かい?」
レベッカが、その言葉の意味を理解するまでに、3秒かかった。
見返せば、チャックはニンマリとした笑みを浮かべて、自分を見ている。
(ちょっと何! あたしとディーンのことなわけ? あたしの気持ちを、チャックがディーンに伝えてくれるって言うの? どうしてチャックが知ってるのよ! それとも全然別の話?!)
混乱したレベッカには、チャックの提案が、冗談とも本気ともわからなかった。
「絶対にッ! やめてよねッ!
あ、あたしは後悔する前に、行動に移すんだからッ!」
小声で精一杯叫ぶと、チャックは、まるで今の会話などなかったかのように、笑みを穏やかなものに変える。
「じゃあ、これ、ありがたく使わせてもらうよ」
そして渡したレターセットを軽く振りながら、レベッカに背を向けた。
その背中に向かって、レベッカは肩を落とし、大きなため息をつく。
今から出発だというのに、一日の旅を終えた時よりも、疲れた気がした。
レベッカは思う。
ニブチンのディーンへの気持ちは、確かに振り回されっぱなしだ。
世の中に、ディーンほど女心に鈍いヤツが、そうそういるとは思えない。
けれどアレと比べたら、ルシルの苦労に比べたら、かなりマシに違いない。
「悪い人じゃないんだけどね」
小さくつぶやき、もう一つ大きなため息を加えると、レベッカは荷物を持ち上げ、旅立つ渡り鳥の群れに加わった。