「あはは……」
レベッカは笑いながら、頭の隅でぼんやりと考える。
……今自分の口から漏れ出した笑い声って、今目の前にいる彼が、ときおり漏らす乾いた笑い声に似てるかもしんない。
口元と頬が、引きつっているのを自覚する。
ここはライラベルの静かな裏通りにある、焼き菓子のおいしい喫茶店。
目の前に座っているのは、チャック・プレストン。金髪碧眼の青年。絵に描いたような色男。
ただし、現在全開中の軽薄モードが、彼のその見た目の良さをぶち壊している。
最初に出会った第一印象も、これだった。
自意識過剰で見栄っ張りで、薄っぺらで中身がなくて、騒々しくてお人よしで甘ちゃんで。悪い人じゃないけれど、ただそれだけ。
仲間になってその軽薄さの大半が、自分は疫病神だと信じた彼が、人を傷つけまいと作り出した仮面だったことを知った。
そのチャックが、その軽薄さを、レベッカの目の前で、レベッカに対し、鬱陶しいほどに全力で発揮している。
ここ二時間ぶっ通しでカッコつけつつ、人目を気にせず、『レベッカへの愛と賞賛の言葉』を、大声で囁いている。
付き合いは長いのだ。どんなに愛を囁かれても、レベッカには彼のこれが演技だということが、わかりすぎるほどにわかっている。
何しろ彼の本気の恋を、間近で見た。
「はぁ」
レベッカは笑い声に小さなため息を付け加え、意識して緊張を解き肩の力を抜く。
「ねえチャック。褒めてくれるのは嬉しいんだけど、ちょっとワザとらしくない? あたしそんなに……」
チャックはレベッカの言葉を全身でさえぎり、驚きを示す。
「レベッカ、キミはキミの魅力を過小評価しているよ! それにボクは本当にキミのことを、すばらしい女性だと思っている! ボクが思ってるだけじゃないさ! これは真実だよ!」
レベッカは、自分があきれ果てているということを、眼差しと表情で精一杯チャックに伝えようとするけれど、チャックはまるで、それを読んではくれない。
あるいはわかっていても、無視をしている。
「チャック、もういいって」
「よくないよ! ボクはボクのこの気持ちを、キミに伝えたいんだ!」
デート開始直後は、まだ面白く思う余裕もあった。
わざとらしい褒め言葉でも、ここまで一生懸命繰り返されると嬉しかった。
歩く時も座る時も、常にチャックは、さりげなくレベッカをエスコートした。
喫茶店で彼が勧めてくれた焼き菓子は、レベッカの好みにぴったり合った。
プレゼントの小さなイヤリングを、チャックがその手でつけてくれた時には、間近に感じる彼に、レベッカは思わずドキドキしさえした。
そして……、今目の前にいるのがディーンだったらと、ディーンがこの半分、いや一割でも、自分に気を利かせてくれればと、そう思っている自分にレベッカが気づいた時、全てが色あせた。
「チャック、もういいよ……」
レベッカの日記を読んだアヴリルが、そうなることには、気づいておくべきだった。
改めて親友にとなったアヴリルは、レベッカの恋を応援してくれている。
そんな彼女に、以前のアヴリルの姿を追い求めるディーンを、振り向いてくれないディーンを見ていることが、レベッカにはつらかった。
だから、アヴリルの状態が落ち着くと、夢を叶えるために、そしてディーンから自立するつもりで、ライラベルへと移り住んだ。
小さな頃からの、レベッカの夢。サーカスのスター。
サーカスはもうないけれど、それに変るテレビのアクション女優。
ライラベルには、チャックもキャロルもいる。
ディーンだって、ライラベルには仕事で頻繁にやってくるから、会おうと思えばいつでも会える。
だから、一人暮らしでも寂しくはない、……はずだった。
けれどすぐ、レベッカは自分が甘い期待を抱いていたことに気がついた。
べったり顔を合わせる生活をやめ、離れ離れになったら、ディーンが振り向いてくれるかもしれない……。
不慣れな都会の一人暮らしというだけでも負担はあるのに、この業界でのニンゲンの先駆者として、ベルーニと、カメラと、カメラを通して世界中の人々に見られ続け、一日中緊張を強いられる。
自分の魅力と能力ではなく、世界を変えた英雄の一人としての、人気とネームバリュー。
忌憚なく、俳優としての能力を求めてくるペルセフォネ。
褒めてはくれるが、その言葉を信用できないナイトバーン。
思ってもいない気休めこそ言えないまでも、気を使ってくれるデュオグラマトンが、一番付き合いやすいと言えなくもない。
仕事を終えて借りている小さな部屋に帰り、一人になって気がつけば、カポブロンコの生活や、みんなで旅をしていた頃のことばかりを、思い出す。
世界の危機が迫ってはいたけれど、常に仲間たちが、ディーンが、身近にいた。
同じ道を歩んでいた。
けれど今は一人。
ベルーニといっても、種族よりも能力を見るバスカーたちと共にいることが多く、それに応える能力を持ったキャロルや、ニンゲンの組織であるギルドで働くチャックが、羨ましくてならなくなる。
その二人もそれぞれにひどく忙しく、思ったようには会うこともできない。
カポブロンコでは毎日顔を会わせていたディーンこそが、ライラベルではジョニー・アップルシードとして、誰よりも忙しい。そしてカポブロンコと違い、ここではディーンが、レベッカの手伝いを必要とすることもない。
会える機会も、ひどく少ない。
その短い貴重な時間に、ディーンはアヴリルのことばかりを口にする。
始めたばかりの仕事に背を向けて、ディーンとアヴリルと会えるカポブロンコに帰りたい気持ちに、そのディーンの態度が、ブレーキをかける。
アヴリルは親友。けれどもうライバルではない。親友であり、ライバルであったアヴリルとは、別人なのだ。
けれど、だからこそ、つらい部分、整理しきれない複雑な気持ちが残る。
ライラベルの暮らしにも仕事にも疲れきったある日、ついに我慢できなくなり、チャックに無理難題を吹っかけた。
というか、迫った。
……あたしが他の男と付き合っていると知ったら、そうしたら今度こそ、ディーンが振り返ってくれるかも。
けれどその気持ちは見透かされ、あっさりかわされ、結果が一度きりと約束の、このデート。
これまでも会えばお茶か食事ぐらいしていたけれど、そんな普段とは違う彼の振る舞い。
チャックは、大げさな軽薄さを崩さない。
本気で男と女の関係になるつもりがないことが、ひしひしと伝わってくる。
……けれど周囲の人々には、軽薄なチャックが、引き気味のあたしを口説いているように見えているはず。チャックは、そう見えるように振舞ってるんだ。あたしのために。
喫茶店を出て、誘われるまましぶしぶと腕を組み、ライラベルの繁華街を二人で歩く。
ガラス越しの空はすでに薄暗く、ビルの壁面に取り付けられたテレビのいくつかが、新番組のレベッカの姿を大きく鮮明に映し出す。
道行く人々が、そのレベッカとすれ違ったことに気がついて、振り返る。
いつもなら、サインをねだる人の一人や二人やってくるものだけれど、誰も声をかけてこないのは、隣にチャックがいるからだろう。
その代わり、シャッターを切る音を何度か耳にした。
明日にはもうデートの噂が、その証拠と共に街中に広まっているに違いない。
……ディーンの耳まで噂が届いたら、少しはあたしのこと考えてくれるかな? 相手がチャックだと知ったら、心配なんかしてくれないかも。彼氏ができて、よかったななんて言い出したりして。それとも相手が誰であっても、気にも留めなかったりして。
エスコートしているチャックの足が止まり、レベッカは広場の噴水の前にいることに気がついた。
いくつものテレビの音声が交錯するこの場所で、ライトアップされた噴水が、幻想的に輝いている。
騒々しいホワイトノイズが、恋人たちの会話を二人だけのものにしてくれる、デートスポット。
ベンチでは幾組かのカップルが、肩を寄せ合っている。
見上げればチャックは、薄っぺらな笑顔を消し、優しく微笑んでいた。
「チャック、今日はありがと。楽しかった。あたし、そろそろ帰らなくっちゃ」
「ボクも楽しかったよ。またデートしてくれるかい?」
一回だけデート、というのはチャックが言い出したことだ。これもリップサービスだろうか。
「チャックとは、友だち以上になれないみたい。あたしとデートなんかしてたら、チャックだって大事な人、見つけられないんだから」
チャックがふいに、柔らかな笑みを消し片方の眉を上げる。
「友だちでいましょうね、ってことかい? それって男としてちょっと傷つくなあ」
「ゴメンね、チャック?」
レベッカは、間近に立つ青年の雰囲気が、さらに変化したことに気がついた。
浮かべる笑みは濃く、どこか暗く、その両手はいつしか彼女の両肩をしっかりと押さえている。
「これだけボクにさせておいて、ゴメンだけですむと思うのかい?」
「チャック!」
チャックの顔が間近に迫ると、普段彼からは感じない大人の男の気配に、レベッカはゾッとした。
唇を奪われる!
そう思った瞬間、おもいきり身を振りほどくと同時にチャックの頬を平手で打ち、そして背を向け駆け出していた。
何か叫んだような気もするけれど、覚えていない。
そして自分の部屋へ駆け込んで、思い切り泣いた。
思えば、自分からチャックを誘ったのだ。
自分はもう、キスよりもっと大胆なことだってできる、大人だと思っていた。
なのにキスを迫られ、ふいに怖くなって、平手打ちして逃げ出した。
あんな衆人観衆の前で、いくらなんでも酷すぎる。
けれど、思い切り泣くだけ泣いて、思い至る。
……たぶん彼は……。
「明日、チャックに謝らなくっちゃ」
けれど、どんな顔をして会えばいいのか、何をどう謝ればいいのか、わからなかった。
***
翌朝、レベッカがチャックを振ったという噂は、すでにライラベル中に広まっていた。
チャックがレベッカに無理やり迫り、キスしようとして引っ叩かれたという詳細と、まさにそのシーンの写真付で。
このあたり、眠ることなきライラベルならでは、と言えなくもない。
そして噂は、ディーンの耳まで届いたようだ。
「レベッカ! チャックはオレがボコボコに殴っておいたからなッ!」
「ディーンのバカーッ!」
レベッカは、初めて彼から会いに来て、いきなりそう叫んだディーンを、思わずグーで殴っていた。