(C)hosoe hiromi
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闇夜

 両親を失って、RYGS邸にまねかれた。
 RYGS邸の人々は優しかったけれど、それはそうできない人々がこの館を出ていったからだ。
 奉公人をふくめ、たくさんの人々が暮らしているはずの大きな館。けれどまるで、誰もいないかのように、しんとしている。
 そしてヴォルスング一人に与えられた大きな部屋は、ひしひしとヴォルスングに孤独をつきつける。
今夜は窓の外に、月さえ姿を見せはしない。
 眠れず、眠れず、何度も寝返りを打ち、やっと寝入る。

「街のベルーニたちが、あなたを殺すことを決めました。
 そして私たちは、あなたを逃すと決めました。
 すぐに身支度をしなさい。ファリドゥーンが案内します」

 揺り起こされて、館の主にそう告げられた。
 とても優しくて、包容力のある老婆ダイアナ。
 そしてすでに支度を整えているその孫息子、ファリドゥーン。
 彼は一つ年上の、館の主に似て、優しくて包容力のある少年だ。
 ファリドゥーンは、この家系でも特に才長けた者だけが手にすることができるという、機械剣ガンナーズヘヴンをたずさえている。
 そしてダイアナは、ヴォルスングの父が自分に託したグラムザンバーを、手に握らせる。
 彼がそれを与えられ、己がこれを持たねばならぬほどのことが、今起きていることを理解した。

 館に直結した地下遺跡は、この館の住人たちの歴史が、決して平穏なものではなかったことを、示している。この存在が内密にされてきたのは、このような事態を想定してのことなのだ。
 ダイアナは、この地下遺跡に二人を送り出す。

「私はここで、追っ手を引き止めます。ファリドゥーン、役目を果たすのですよ」
「ダイアナ様もご無事で」

 高齢で、病に蝕まれた館の主ダイアナと、彼女へのファリドゥーンの言葉に、ヴォルスングは戸惑いを隠せない。
 ファリドゥーンが祖母に対して、堅苦しすぎるほどの態度を取るのは、いつものことだ。けれどダイアナは、普段その孫息子に役目などという、堅苦しい言葉をかけはしない。
 そしてファリドゥーンはダイアナの無事をわざわざ祈り、彼の両親は姿を現さず、静寂は破られ、館は身震いしている。
 何もかもが、危機的状況をあらわしている。
 ヴォルスングをめぐる争いは、もっとも安全であったはずのこの館にまで及び、そしてファリドゥーンの両親は、たぶんその渦中にいるのだろう。

「ヴォルスング、私のことは心配しないで。私も戦士だったのですから。ごめんなさいね。こんなことになってしまって。でも、時期を見て、戻ってきてちょうだい。約束よ」

 ダイアナはそう言って、ヴォルスングを抱きしめる。
 けれどファリドゥーンには、触れようとしない。彼女は普段であれば、杓子定規に振舞おうとする孫息子を、からかうように幾度も抱きしめるのだが、今は孫息子を、ただヴォルスングを護る戦士として扱っている。

「さあ、二人とも、行きなさい」
「けど、ダイアナ様は……」

 ヴォルスングも、敬愛を込めて、そしてファリドゥーンに合わせて、ダイアナ様と呼ぶ。

「行きましょう、ヴォルスング様」

 そのころは、ヴォルスングより一回り体格が大きく、力も強かったファリドゥーンが、ヴォルスングの手をしっかりと握り、強く引っ張る。
 ここで暮らしている間、ファリドゥーンがこのように、ヴォルスングに触れたことは、一度もなかった。
 表面に出さないようにしているが、祖母や両親を置いて行かなければならないファリドゥーンも、不安で一杯なのだ。それが繋いだ手から、伝わってくる。

 闇に支配され、魔獣がはびこる地下遺跡を、たった二人で協力しながら抜ける。
 ヴォルスングが見事に魔獣にとどめをさすと、ファリドゥーンが嬉しそうに笑う。その笑顔が、ヴォルスングには、嬉しくてならない。街の生活では、こんな風に協力して何かする機会など、ついぞなかった。
 やがて頬に、新鮮で冷ややかな風を感じ取る。
 風が夜露と、荒野の匂いを運んでくる。
 遺跡を抜け出し扉を閉める。内側からしか開けることのできない、岩の扉だ。

「ヴォルスング様、お待ちを」
「ファリドゥーン。当面二人で協力して旅をするんだ。堅苦しいのは、やめにしようよ」

 ファリドゥーンがヴォルスングに微笑む。

「このままでは、目立ちすぎます。これを上にお召しください」
「そんな、キミは僕の召使じゃないんだから」

 ファリドゥーンは、旅のための荷物も持ってきていた。その中から出したのは、バスカーが使う薄いローブだ。受け取ると、ファリドゥーンも同じローブを取り出して、上に羽織っている。
 ヴォルスングも、グラムザンバーを床に置き、それをまねる。

「ヴォルスング様」
「何?」
「いつか必ず、お返しいたします。ですから、どうかご無事で」

 え? と思った時には、すでに駆け出すファリドゥーンの背しか見えなかった。
 そして足元に残されたのは、機械剣ガンナーズヘヴン。ファリドゥーンの、剣。
 彼が持ち去ったのは、ヴォルスングのグラムザンバー。
 一瞬で、理解した。
 ダイアナの言った、ファリドゥーンの役目が、何であったのか?
 あの二人の、ことさら互いを突き放したかのような態度が、何を意味していたのかを。

 最初から、こうすると、ダイアナとファリドゥーンの間で、決まっていたのだ。
 ファリドゥーンが、囮になると。
 そして自分の代わりに、危険の中へと飛び込んでいったのだと。

「ファリドゥーン!」

 ヴォルスングは、自らの足ではファリドゥーンに追いつくことができないと、知っている。

(なんだ、結局ダイアナ様とファリドゥーンって、遠慮なんかしないで互いを使う、家族なんじゃないか。僕は結局、ずっと大切にされる、お客に過ぎなかったんだ。)

 ずっと二人に大切にされてきたことを、ヴォルスングは知っている。
 そしてこれからもずっと。
 ヴォルスングは、ガンナーズヘヴンを手に歩き出す。
 ただ暗い荒野が広がるばかりで、ファリドゥーンの背は、すでにどこにも見えなかった。月も星も見えない夜で、どちらにトゥエールビットがあるのかも、どこへ向かえばいいのかも、ヴォルスングにはわからなかった。



 青年となったファリドゥーンが、ヴォルスングの前に頭を垂れ、グラムザンバーを捧げ差し出す。
 それはよく手入れされ、精錬な輝きをまとっている。
 ヴォルスングは笑みを浮かべてグラムザンバーを取ると、ファリドゥーンの前に、無造作にガンナーズヘヴンを投げ捨てた。


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