ファリドゥーンがルシルに無言で差し出した手のひらには、水色の小さな宝石をあしらった銀のリング。
むき出しで、保存状態が悪かったのか、ずいぶんくすんでいる。
ルシルは静かな微笑みを浮かべ、夫を見上げる。
「チャックから、あたしに?」
ファリドゥーンは、微かな戸惑いと困惑を面に浮かべる。
「あ、いや、チャックはこれを捨てたのだ。
それを私が拾ってきた。
私が持っているよりも、お前が持っていたほうがよいかと。
……しかしやはり、一目でわかるのだな。チャックからお前への物だったのだと……」
ルシルは、クスクスと笑う。
「だってあたし、一度見てますもの」
「そうなのか?」
「ええ。
……あたしがここへ奉公へ上がることになって、村を離れる本当に直前、村を出たきりだったチャックがいきなり帰ってきて、本当に嬉しそうに、正式にゴーレムハンターになったって。
チャックのお父さんが亡くなってから、心から笑ってるチャックを見るのは初めてで。
だからあたしも、心からおめでとうを言ったんです。
そしたらチャックが、その指輪を受け取ってくれって、あたしに……。
でも、あたし素直に受け取らなかったんです。
今から奉公に上がるところだからって。
本当は奉公なんて関係なくて、あたしすねてただけだったんです。
あたしを残して村を出ていったチャックに対して。
手紙一つよこさなかった、彼に。
だってあたし、ケントが行方不明になってから、あたしがチャックを護らなくっちゃって、すごく燃えてたんですよ。
チャックが自分のこと、疫病神だって思ってることも、あたしを災厄に巻き込みたくないから村を出たってことも、頭ではわかってたけど、あたしのことわかってくれてなかった、信じてくれてなかったんだなって、裏切られたようで、人を好きになることも怖くなってしまって。
でもあたし、チャックがすがりついてきたら、そして勝手に出ていったことを謝ってくれたら、許すつもりでした。
小さいころからいつも、あたしが怒って、彼が謝って。
でも彼、指輪を引っ込めちゃったんです。
だからあたし、彼に『いくじなし!』って叫んで、頬をひっぱたいて背中を向けたんです。
なのに彼、追いかけて来てくれませんでした」
ファリドゥーンが、怪訝そうな顔をする。
「ファリドゥーン様が知っているのは、あたしを追いかけてきて、ファリドゥーン様に無謀な戦いを挑んだチャックですものね。
でも彼、すぐに追いかけて来たわけじゃないんです。
あたしが奉公に上がるって聞いただけで、あたしのこと、一旦あきらめちゃったんです」
「なぜだ?」
「……そうですよね。働きに出るだけなのに。
でも、ハニースデイから働きに出た人、ほとんど村に戻っきませんでしたから。
チャックのお父さんも、鉱山に出稼ぎにいって、帰ってくるはずの季節になっても帰ってこなくて、それでチャックが様子を見に行った目の前で、事故で亡くなったんです。
まさか、奉公に出た女の場合、あまりにも奉公先の居心地がよくて、村へ帰らなくなっちゃうなんて、想像できなかったんでしょうね。
わたしだって、あんまりにも待遇が良すぎて、最初びっくりしたんですよ。
それに、チャックにはそういう事情がありましたから、彼がトゥエールビットまで来るとは、思えませんでした。あたしの仕事場に来れば、あたしが災厄に巻き込まれるって、彼そう思ったに違いありませんから」
「だが、彼は来た」
「ええ。あとで問い詰めたら彼白状しました。
メシス駅のときも、このお邸に来た時も、ディーンにはっぱをかけられたんですって。
それに、結局ファリドゥーン様が殺すって言って追いかけるから、また仲間を災厄に巻き込んでしまったって、あたしもファリドゥーン様に、ひどい目にあわされてるんじゃないかって、そう思ったみたいです。
だから、あの後すぐこの街に戻って、あたしの無事をこっそり確かめたんですって。ひどい目に会ってたら、それこそ命がけで助けるつもりで。
でも、あたしとファリドゥーン様が、仲良く街を歩く姿を見て、そのまま街を離れたんですって」
「スマン」
「ファリドゥーン様は、軍人ですもの。お邸内の、しかもダイアナ様の部屋に不審者がいるとなれば、当然のことだと思います。
チャックも、それについてファリドゥーン様のことを、悪く思ってません。
彼が気にしているのは、あのときクシャミをしちゃったことなんですよ。
それに、あたしがもっと、よくしてくれるダイアナ様やファリドゥーン様のことを信頼して、先に相談しさえすれば、よかったんですから」
「だが、改造実験棟にやってきた時は、彼の意思で私に戦いを挑んできた。そして私を打ち倒した」
ルシルはイタズラっぽく笑う。
「はい。けれどその時の話って、何度聞いても信じられない思いです。チャックにそんなことができるなんて」
「チャックは、尊敬できる立派な男だ」
「ファリドゥーン様のその言葉、もちろん信じます。
それでもあたしにとっては、今でもチャックはいくじなしです。
これ、ちゃんと捨てるか、直接渡してくれればいいのに……」
「しかし彼の気持ちを理解……」
ルシルは、ファリドゥーンに最後まで言わせず、夫の大きな手の中から、くすんだ指輪をそっとつまみ上げる。
「彼の気持ち、ちゃんと受け取りました」
そしていとおしむように、それを胸に抱く。
「わかってます。彼の気持ち。
けれど、ほんのちょっとのすれ違いが、少しづつ積み重なって、あたしと彼の道を違えてしまったんです。
そのことは、彼もわかってると思います。
でも、嬉しいんです。チャックの気持ちも、それをあたしに伝えてくれたファリドゥーン様の気持ちも。
あたし愛されて、切ないですけど幸せです」
「……ルシル。私で、その、よかったのか?」
「はい。
……ファリドゥーン様も、このあたしの言葉、信じてくださらないとダメですよ」
「スマン」
「それから、ついでに言っておきますけど、今度あたしに無断で、あたしを物のように賭けて勝負なんかしたら、あたし二人共、許しませんからね」
「スマン」
「でも、今度はすねて何も言わないなんてことはしません。二人並べて、お説教です」
困りきった顔のファリドゥーンを見上げながら、ルシルはことさら、クスクスと笑う。
「あたし、ファリドゥーン様とチャックって、本当に似た者同士だと思います。
だって……。
二人とも、あたしに謝ってばかりなんですもの」
困り顔のファリドゥーンだったが、いつしか妻の笑顔につられるように、優しい笑みを浮かべていた。