橋の上から池を見下ろしながら、チャックはまた一つため息をつき、手にしたパンを千切って投げ落とす。
池で飼われているカモの家族たちは、すでにチャックの正面に陣取り、落ちてきたパンに、わらわらと集まっては、ついばんでいる。
もう一つことさら大きなため息をつくと、残ったパンをバラバラに千切り、一つだけ口に入れ、残ったパンをばらまく。
どうにも食欲がなく、それでも何か食べなければと買った小さなパンも、ほとんどカモにやってしまった。
傷んでもいない人のための食料を、いや多少傷んでいたとしても家畜にやるなど、非常識なことだ。
けれどこの街のカモは、肉や卵を得るための家畜ですらない。鼠を捕り、寒い冬にぬくもりを与える猫ほどの役にも立ってはいない。
そんなペットが、誰にというわけでもなく、この街の人々に飼われ、小さな小屋まで与えられている。
そしてどこかの村で誰かが飢えているときも、上等なパンをせしめている。
チャックはまた一つ、ため息をつく。
ひとたびこの夢のような街での暮らしを味わえば、いつしかこの街を愛するようになり、ここに骨を埋めるという。
パンもなくなり、カモたちもよそへ行ってしまうと、チャックが橋の上にいる理由はなくなった。
とっくに予定の時刻は過ぎている。けれど、どうにも足が動かない。
そしてまた、大きなため息をつきながら、右手で内ポケットの中にあるものの感触を確かめる。
ハンカチに包んだそれは、チャックが正式なゴーレムハンターになった日から、ずっとそこにあり続けた。
その意味を失ってからも、忘れることは一時もなかったが、込めた想いごと思い出すことを拒み、込めた想いと共にずっと抱えてきた。
チャックはハンカチを取り出すと、端をつまみ、池に向かって腕を伸ばして軽く振る。
なんどか振るうちに、固まったハンカチはほぐれ、ポケットの奥にあった時間を示すゴミやホコリと共に、中から小さな輝きがこぼれ落ちる。
……アデュー。
その瞬間、突風が吹き上げた。
チャックの手からハンカチが離れ、天高く舞い上がる。
けれど街路樹の葉は、そよとも揺らいでいない。
風は、チャックの間近でのみ吹いたのだ。
そしてその風の主が、まるで最初からそこにいたかのように、チャックの隣に立っていた。
少し困っているような、悲しんでいるような、すまなそうな顔で、チャックを見下ろしている。
チャックも、少し引きつった笑顔で、彼を見上げる。
「や、やあファリドゥーン。ルシルは元気?」
ファリドゥーンは、無言で軽く握った手をチャックに差し出し、そっと開く。
手の中には、チャックがハンカチに包んで持ち歩き、そして池に落としたはずの、あの輝きが、収まっていた。
小さな水色の宝石をあしらった、銀のリング。
ハンカチに包んでずっとポケットの奥に突っ込んだままだったせいか、ひどくくすんでいる。
それでもチャックには、まぶしかった。
その輝きから、そしてファリドゥーンから目をそむけ、へらへら笑いながら、手すりにもたれて池をのぞき込む。
「キミ、いくらなんでも、それはヤボだよ」
「すまん。よく言われる」
「ハハッ。誰が言うんだい?」
「ルシル、ペルセフォネ、キャロル、ヴォルスング様とバーソロミュー艦長、そして今、お前に言われた」
チャックが吹きだす。
「アハハハハ! キミ、いったいあちこちで何してるのさ!?」
「実のところ、何をもってヤボと言われるのか、さっぱりわからないのだ」
ファリドゥーンも、並んで池に向かう。
「ルシルへ、の物だったのではないのか?」
「……まあね」
「私が預かってもいいか?」
「それはもう、ボクのものじゃない。だからキミの好きにするといいさ」
「ルシルに渡してもかまわないか?」
「ああ。けれど間違えないで欲しい。ボクはそれを捨てた。
それを贈るなら、贈り主はキミさ。ボクじゃない。
そこははっきりさせて欲しいな」
「承知した。それでもルシルは、これを見て全てを理解するだろう」
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
ファリドゥーンの手から指輪を取り上げ、あらためてどこかで捨てればいいものを、成り行きにまかせ、指輪に込もったやるせない気持ちや、その指輪を捨てたことを、間接的に知って欲しがっている自分を、チャックは自覚し、また一つため息をつく。
「渡すなら、ボクがこの街を出てからにしてくれるかい?」
「それも承知しよう。だが、なぜだ?」
「……ヤボなこと聞かないでくれよ」
そして二人は連れ立って、ルシルが待ちかねているRYGS邸へ歩いていった。