◆WA5 >  ◆キャラ

ワイルドアームズ5

チャックとハニースデイ

「え? ハニースデイがなぜヴォルスングを追い出したかって? みんなの前でベルーニの言いなりになってちゃいけないってアジったからだろうね。丁度巡察の時期が迫ってた。だからみんな、厄介事を怖れたのさ」
「我がハーフであることは、関係なかったのか?」
「それはキミがそう言い出した理由だとは思うけど、ハーフやよそ者や渡り鳥ってだけで排斥するなら、最初から受け入れなかったと思うけどね」

 たとえば、いつも通り「うちの場合」だけれど、ケント視点とチャック視点では物事が違って見えている。
 違っている。子どものころは薔薇色だった世界が、大人になったら色褪せた、っていうのもあるけれど、大人になった感性で子どもだったころの自分の感じ方を、あとから書き換えてしまうなんてこともある。

 このサイトに置いてあるものの場合、ハニースデイの描写が大きく違ってるのは、第一は自分の勘違のせいが大きい。
 それを無理矢理、上記のように言いつくろってみる。

 ハニースデイは、排他的で愚痴と悪口ばかりの村なのか、ハニースデイの人々はチャックを疫病神だと疎んだのか?
 偽マリエルの存在をスルーするのに、どうしてヴォルスングを一端は受け入れ、そして追い出したのか?
 
 5の世界の社会的底辺は渡り鳥じゃなくて、あのあたりの村人たちだ。
 ハニースデイの状況も、周辺の荒野に消えてしまった村々より少しだけマシでしかないだろう。
 労働者狩りとか奉公とか出稼ぎは、奴隷狩りと奴隷売買に等しい。
 むしろ所有者が財産として保とうとする奴隷の方が、マシかもしれない。
 けれどポンポコ山の強制労働には、その経済原理さえ働かない。

 人々は疲れ切っているし、僻んで歪んでいる。
 何をしても無駄だとあきらめているし、何かすればより悪くなるとビクビクしている。
 その原因はみんなベルーニのせいだと、人々は思っている。
 けれどベルーニに対してアクションは起こせない。
 諦めきっている。
 偽マリエルはどうでもいいのに、一端受け入れたヴォルスングを排斥したのは、ヴォルスングがハーフとして、ニンゲンとベルーニの関係を変えようと、村人たちに訴えかけたからじゃないだろうか?
 もちろん後からハーフとわかったから、っていうのも有力な線だ。
 けれどただ半分ベルーニだというだけなら、半分でもベルーニを追い出したらベルーニにどう睨まれるかわからないなら、手出しをしなかったんじゃないかと思う。
 偽マリエルは、ニンゲンではないらしいけれど、ベルーニでもなく、そして政治的なものにも口出ししない。
 とにかく恐いのは、ベルーニの機嫌を損ねることだったんじゃないかと思う。

 じゃあチャックはどうだったのか?

 イメージ的には快活で人なつっこい男の子。
 人見知りがなく、いつもニコニコしていて、渡り鳥にだろうが、ベルーニにだろうが、話しかけてしまうような。
 両親は、ゴウノン基準ぐらいで言えば、普通だったんじゃなかろうか?
 ただしハニースデイ基準だと、いい両親になる感じの。
 でもちょっと生活的に厳しくて、その生活の中で甘やかされたりはしていない。その余裕もない。
 うさぎおいし亭のヤキソバの、ちゃんと肉が入ってるやつなんて、それこそ特別な日にしか食べられないような。
 あのヤキソバも、きちんと具が入ってるのは金を払う客用で、村人が食べてるのは屑野菜と屑肉だったり。
 パンじゃなくて焼きそばなのも、パンを焼く余裕がないせいだったり。

 村にはいつもイライラしている人や、悪口や愚痴ばかり言う人もいる。
 チャックは、そういうものに対して鈍いんだと思う。
 むしろ慣れきっている。
 そういうもんだと、思っている。
 普通、そこまで鈍くなれないだろうけど、チャックには最初から友だちがいる。
 ケントと騒動を起こして、ぼろくそに言われるなんて、日常茶飯事だ。
 村人たち、両親、そしてルシルにも怒られる。
 面倒起こすななんて、耳にタコが出来ている。
 キャロルならば、あるいはロディが深く傷つくような罵詈雑言や向けられた悪意も、右の耳から入って左の耳から流れていってしまう。
 それこそミラパルスで、自分に濡れ衣を着せた人々や、処刑しようとしたベルーニについて、引きずらなかったように。

 チャックの父親が亡くなった事故ごろから、村の生活はますます厳しくなる。
 疫病神だってのも、言う人もいたし、言わない人もいた。否定する人もいた。
 一番言ってるのは当のチャック本人なもんだから、チャックを疫病神扱いする人は、チャックにとっては理解者になってしまう。
 一番多いのは、「チャックがバカなことを言っている」という反応。あの事故でおかしくなってしまったのだと。
 鬱陶しいチャックのことを口先で悪く言って憂さ晴らししても、チャックのせいだとは信じていない。
 本気で信じているのは、チャックだけだ。

 チャックが落ち込み、自分の殻に閉じこもるほど、むしろはたで見ているケントは、何もしない村人たちに、何一つ助けてやれない自分に、そして自分を置いて山へいき、自分そっちのけで落ち込んでいるチャックに、イライラする。
 ケントは怒りをそっちに向けることで、自分を保ち、自分を鼓舞する。
 村の将来は、ますます絶望的になっていく。
 ケントはチャックを悪く言う人々に、怒りをぶつける。
 チャックをうとんじる発言をする者に対し、チャックがそれを否定せず受け入れるほど、それが不甲斐なくて、悔しくて、チャックにも、その村人にも、それを止めない周囲の人々にも、反発する。
 余計に反感を買うことになるけれど、自分のためなら怒れないことでも、親友をどうこう言われることは、親友が弱いと言われることは、我慢できない。
 チャックを事なかれ主義だのなんだの言っていいのは、自分とルシルだけだと思っている。
 もっとみんな、何かすべきだと思っている。
 村人たちに対して、年嵩の者たちに対して、から口な見方をする。
 ナイトバーンに望みをかけて、村を出て、そして裏切られる。

 ルシルも、チャックが疫病神だなんて思っていない。
 けれどそう思い込んで落ち込んでいるチャックを支えるのだというのが、ルシルの支えになっていた。
 自分の殻に閉じこもっているチャックも、いつかは自分に向けて顔を上げてくれると思っていた。
 結構ルシルなりに尽くした。気づかった。見返りがなくても愛し続けた。
 チャックも自分を愛してくれていることは、感じていた。
 けれどチャックは最後までルシルを見ようとはせず、ルシルの話に耳を傾けようとせず、ついには村を出ていった。
 それでもいつか帰ってくるかもしれないと村で待ち、そのまま父親を失い、そして母親に売られた。
 戻ってきたチャックは、それを知ってルシルに伸ばしかけた手を、ひっこめてしまった。
 ルシルは、自分が売られていくことを、しかたがないと思っている。
 村人たちが、何をどうすることもできないのも、しかたがないと。
 なにも望めないのが、自分の現実だと。
 彼女がメシス駅でチャックを助けるためにファリドゥーンの前に立つことができたのは、たとえそれで自分ごとチャックが殺されることになったとしても、今以上には悪くなりようがないからだ。
 彼女が売られることで、ハニースデイはまた少しだけ延命する。
 けれどその先は、見えてはいない。
 ルシルはケントについてもチャックについても、そしてハニースデイの人々についても、心を凍りつかせて村を出た。全部、しかたがない現実だ。愛することもできないし、憎むこともできない。
 それをファリドゥーンとダイアナの優しい人柄が、それを解かしていったのだろう。

 

チャックから見たナイトバーン

 うちのチャックは、ナイトバーンとこじれている。

 有名になる前から懐いていて、あこがれていて、父親を亡くした後はより特別な存在で、けれどもう近づくこともなくなって、それでも想いを捨てきれず後を追って、けれど目を背けて。

 悪に転向したことを信じたくなくて、父親を死に追いやったことを信じたくなくて、目を背けて、目をつむって、考えないようにして、それでも背を向けることはできなくて。

 ディーンやレベッカが、あの状況でもナイトバーンの生存を信じられるのは、焦テレビの中の「実は生きていた」とばかりに何度でも再登場するヒーロー像が思い切り染みついてしまっているからで。

 現実的なチャックは、そんなものは物語の中だけだと知っている。
 それでもやっぱり、実は生きてるんじゃないか、奇跡の生還をするんじゃないかと想ってしまう。
 あきらめて、けれどあきらめきれず、どこか期待してしまうチャック。
 けれど彼が生きていることを期待する自分に嫌悪感を抱くチャック。
 現実的に彼の死を受け入れようとするだけではなく、むしろそれを望む自分に嫌悪感を抱き、そんな感情を内に押さえ込んで、流そうとする。

 ナイトバーンは、ハニースデイやその周辺の村々を、絶望へ塗り替えた。
 そのまま死を迎えた人々は、二度と戻らない。
 許せはしない。許すべきではない。
 そう理性は訴えかける。
 感情だって同様だ。
 なのにどこかで、以前の善良でヒーローだった彼が本当だと信じたがっている。
 だとしても、もう取り返しのつかないことが多すぎるのに。
 あの状況でもはや生きているはずがないと理性は訴えかける。
 なのにふと、彼の奇跡の生還を望んでいる、信じている自分に気づく。
 死を望む自分にも、生還を望む自分にも、チャックはただ嫌悪感を抱く。

 何もかもが自分のせいとしか思えない。
 その想いがばかげていることは、わかっている。
 それでも自分という疫病神が間近に存在したせいではないのか? と。
 今ある仲間たちは、必ず自分の手で護る。疫病神である自分から。

 ナイトバーンが生きて戻って、彼の悪行は伏されたまま、半ば表社会に復帰する。
 悪でなくなったものの、過去を背負ったナイトバーンに、チャックは嫌みな態度を取る。
 ささやかな復讐。
 そして甘え。
 チャックは、そんな態度を取ることで甘えている。
 好きだし嫌いだ。完全に嫌うことができたら、どんなに楽だろう。
 全部キミのせいだしボクのせいだ。全部キミのせいにしてしまえたら、どんなに楽だろう。
 頭では、ナイトバーンのしたことは、理解している。だから、嫌いだ。
 自分が疫病神だなんていうのも、ばかげた話だと。
 それでも、気づけばヒーローであるナイトバーンを信じ、期待し、好いている。
 そして自分が疫病神だというのも、事実だと。

 ナイトバーンが、もはやヒーローではなかったことには、気づきながら目を背けていた。
 気づかないふりをして、ヒーローのままであると信じ込もうとした。
 けれど現実から目をそむけていたそのせいで、親友を行かせてしまったのだ。

 ディーンたちと行動をともにするようになって初めて、チャックはギルドがぐだぐだなことを受け入れる。
 ナイトバーンが奇跡の生還を成し遂げて、自分の彼への気持ちにも向かい合う。
 好きだし嫌いだ。向かい合ったって割り切れるものじゃない。
 チャックは自分の気持ちを知った上で、理詰めで行動してるわけじゃない。
 わかってるのは、どうやっても割り切れないってことだけ。

 だから嫌みな態度で甘えてみせる。
 罰を望むナイトバーンに、中途半端にそれを与える。

 チャックは、グレッグにもキャロルにも、好きだからこそ、そんな風には甘えられない。

 うちのチャックは、そういうチャック。

 

チャックの女性観

 チャックはよくキャロルに説教食らってる。
 なんか怖がってるけど、チャックの場合、怖い=嫌いではないと思う。
 チャックにとって基本的にキャロルだけでなく、女の子全般を、そういうものだと思ってるんじゃなかろうか?

 なにせルシルからして、チャックが落ち込んでいたら叱咤激励しそうなタイプだ。
 ハニースデイの女性陣で、印象からして優しげなのは、おばあちゃんたち&偽マリエル。
 偽マリエルのぞくと、ばあちゃんたちも愚痴とか言ってる。
 おばちゃんたちも愚痴言ってるし、イライラおばさんなんかかなりきついこと言うだろう。

 で、イライラおばさんがチャックのことを「疫病神だ」なんだと言ったとする。
 これにケントやルシルは猛反発する。
 けれど、チャックはしない。
 チャック自身が自分を疫病神だと思ってるからだ。
 それを口にすれば、それこそケントとルシル両方にめちゃくちゃ怒られるし、二人を傷つけてしまうから、だんだん口にはしなくなるけど、ずっと主観的には自分は疫病神なわけだ。
 だから、人から言われるのを正面きって認めはしないけど、内心疫病神である自分を認めてもらったようで、ほっとする。もちろん言われて嬉しいわけではないが、幾分なりともわかってもらったような気がする。
 ただしチャックは、イライラおばさんの悪口が口先だけであるとも思っている。
 おばさんは、本気でチャックが疫病神だと思っているわけではない。だから行動にもでないし恐れず悪口を言う。
 口先だけとはいえ、チャックの疫病神を認めてくれてる人。
 チャック視点だとそうなってしまう。
 けれどルシルやケント視点だと、落ち込んでいるチャックに追い打ちをかけているように見えてしまう。
 しかもその時、チャックの理解者に対する内心の声の(うん、そうなんだ。ボクは疫病神なんだ。)が顔に出たりしたら、見事に「一番つらいときのへらへら笑い」とほぼ同じものを、ルシルとケントは見ることになる。
 だから恐れる。チャックが、あの腕はあるのに気の弱い渡り鳥のにーちゃんみたいに、村を出て行くのではないか? と。けどまあ、チャックは気が弱すぎるから、村を出ることもできないだろうとも思っている。

 食堂のおばちゃんの場合は、もうチャックについては情けないの一言だろう。
 勝手にルシルを置いて村を出たことや、便り一つよこさなかったこと、今になって帰ってきたことを、顔見知りの気安さで説教する。ついでに田舎のプライバシーなんかお構いなしのおしゃべりで、チャックが自分からは話さなかった過去のトラウマまで、仲間たちに明かしてしまう。

 チャックは村にいる間に、人との関わりを避けはじめ、出た後にディーンたちに加わるまで、まともな人間関係を避けてきた。で、レベッカは事あれば、ディーンをしかりつけている。アヴリルはベルーニをしかりつけるという大技を見せたし、それはチャックにとっていろんな意味で大事件だったはずだ。そしてキャロルは、チャックに説教くらわしてくる。
 優しそうなのは、ほとんど関わりなかったダイアナばあちゃんぐらいだ。 ついでに仕事つながりで知ってる受付嬢とペルセフォネは、上から目線。

 チャックの知ってる女性陣っていうのは、ことごとくこうである。
 となれば、チャックは女の子っていうのはそういうものだ、と思っていても、おかしくあるまい。

 

キャロルから見たチャック

 人を怖がるキャロルが、平然と叱りつけることができる相手。それが教授と、そしてチャック。
 キャロルはチャックを、安全な相手と認識している。

 うちのキャロルの場合、チャックに対して「これだけ気が弱いなら、イザとなったら勝てる」という印象を持った。
 実際にはチャックは弱者ではないから、弱い者いじめにはならないから、遠慮なしにというのもある。
 「気が弱いチャック」に自己投影した上で、チャックのふるまいが歯がゆくてならないというのもある。

 うちのキャロルは、そう自分を分析する。

 ではなぜキャロルは、教授を叱りつけられるのか?
 叱る内容こそちがえど、キャロルの「しかたがない人だ」という態度は、よく似ている。
 だが教授とチャックは、まるで違う。

 教授は、その態度でもってキャロルの信頼を得ている。
 教授は、キャロル以外には尊大な態度を取るが、それはチャックの軽薄のような演技ではない。実際偉いし、キャロルはその教授の偉い部分を信じ、そして尊敬している。
 教授が絶対にキャロルを傷つけるようなことはしない、とキャロルは信じている。だが、本気になった教授は、絶対に勝てない相手だ。キャロルにとって教授は、世界一強くて大きくて立派な人だ。

 こんな話を聞いたことがある。
 養子が養親を信頼し懐く前に、反抗期があるのだそうだ。
 愛されることを期待するからこそ、無条件に愛されないことは、あまりにもつらすぎるために、先んじて反抗して愛を得られない理由を自ら作り、逆に反抗してもなお愛されることを確かめようとしているのだ、と。
 それが本当かどうかは、私は知らない。
 本当だとしたら、別に養子に限った話ではないとも思う。

 キャロルの教授に対する態度は、ちょうどこの状態ではないのか?
 以前は、反抗など許されもしなかっただろう。
 確かに教授は、しかたのない所が多々ある人だ。
 だがその権力知力を備えた実力者をたしなめられる人など、誰もいない。
 キャロルを除いては。
 ヴォルスングだって、力で脅したり、名分で動かすことはあっても、たしなめられはしないのではないか?
 キャロルはそんな教授を叱りつけ、それが受け入れられることで、自分の価値を確認しているのではないか?
 教授はそれをわかって、あんな態度を取っているのではないだろうか?

 そして教授は迷子になり、キャロルは一人旅を強いられた。
 そこで仲間たちができ、自分の素直な気持ちに従うことができるようになった。
 たとえ目的や行動が異なっても、嫌いになったりしない。
 仲間になったという以上に、友だちができたと言ったほうがいいだろう。
 仲間でなくても、友だちなのだ。その上で、仲間として行動することを、キャロルは選んだ。

 キャロルとチャックと出会い、行動を共にするようになったのは、その前後だ。
 どうやらディーンたちとは、すでに顔見知りであり、友だちであるらしい。
 そしてキャロルにとって、危険のない相手だ。
 チャックは、人を恐れさせるような部分はない。
 ディーンたちには、最初から懐きはしなかった。
 友だちになっても、キャロルはまだ、嫌われたくないと思っているだろう。
 それを支えるのが、ディーンの妹になれ宣言だ。友だちならば、ケンカしたり見損なわれたりすれば、友だちではなくなってしまうかもしれない。が、妹ならば、ずっと妹のままであるはずだ。だからキャロルにとっては、その言葉が特別であり支えになる。
 それでもまだ、キャロルの不安が完全にぬぐわれたわけではない。
 ずっと身についていた不安が、あっさり消えるにはまだ足らない。
 だからキャロルは、確かめはじめる。
 教授に対してしたように。
 家族から一歩進んで、他人に対し。
 その相手がチャックだった。

 チャックは、教授とキャロルの関係なんか知らないし、それどころかキャロルの事情も、人を怖がっていた子だなんてことさえ、見聞きしていない。
 二年前に噂で聞いているはずの、親にイジメられて荒野に飛び出した同じ地方の村の女の子だと、気がついているのかどうかも、わからない。
 ただチャックの場合、怒ったり、叱ったり、嫌みを言ってくる相手に対し、かなりの耐性がある。
 途中から人間関係に踏み込まなくなったとはいえ、それは生来のものでもない。幼なじみのケントとは、ケンカと仲直りも繰り返してきたのではないかと思う。そして女の子に叱られるのなんて、もはや慣れっこのレベルだ。
 軽薄を気取りはしても、あきれるほどに他人に対して競争心だとか敵愾心は持っていない。年下の女の子に生意気されたって、別になんとも思いはしない。
 しかもキャロルの怒り方は、なまじ頭がいいものだから、当然のことを理詰めで言ってくるから、理不尽でもなければ、反論のしようもない。
 また怒られるかと条件反射で多少恐がりはしても、それはキャロルの他人に対する恐れとは、かなり違う。

 そんなこんなで、キャロルはチャックを叱りつける。
 叱りやすい相手なのも確かだが、父親や兄として以外に、初めての甘えられる・甘えたい相手であったのではないだろうか?

 なんて思ったりしてみた。