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ワイルドアームズ5

キャロルの戦略ミス

 うちの教授に自分を失いかけているチャックに「保護欲をそそる相手こそが必要」とか言わせてみた。

 ある程度、教授がチャックに自己投影しての言葉、というよりはマイペースな教授の「かわいいは正義」指向、つまり「キャロルはかわいい。だからキャロルは護るべき存在である。よってチャックも、キャロルを護るに違いない。目の前にキャロルがいて、困ってたり怯えてたりしたら、自分の殻に閉じこもってほっておく、なんていうことが、あるはずがない」という思い込みから出た言葉ではある。

 確かにその通りだとは思う。

 逆にキャロルから見て、教授もチャックも、能力そのものとは別に、「自分が見てないとダメ」で、「遠慮なく小言をくらわせられる」相手ではある。

 キャロルはディーンたちと出会った時、少しづつ教授を投影することで、距離を縮めた。
 まずはアヴリルに。
 そしてディーンに、さらにグレッグに。(たぶんレベッカは違うだろう。)
 最後にチャックに。
 しかも遠慮なしに。
 投影したときのしっくり具合が、他の仲間たちとは、格段に違うのだ。

 キャロルは、もっとも軽薄さをさらけだしていた頃のチャックを知らない。 
 同様に、チャックもまた、他人に対して怯えきっていたころのキャロルを知らない。
 だが互いに、まったく知らないわけでもなさそうだ。

 キャロルを拾った教授は、キャロルの弱さも知っている。キャロルが能力以上に背伸びしていることも。いろいろとキャロルのことを知った上で、わかっておとなしく小言を食らう。

 ならチャックはどうなのか? キャロルの事情を、ちょくせつ聞かずとも知っている可能性はある。親友であるケントが、キャロルらしき噂を聞いているのだから、チャックだって噂を知っていても、そしてその後まもなく行方不明になって強制労働させられていたケントよりも、チャックの方が詳しい噂を知ったということも、ありえるだろう。

 が、直接は見ていない。直接聞いてもいない。

 強く出られると逆らえない、チャックの気質もあるだろう。
 そもそも女の子からの小言慣れも、しているようだ。
 あの、ファリチャクがルシルに小言くらってる公式の壁紙。あきらかにチャックは、ファリに比べて小言慣れしている。「なんで怒られなければならないのだ?」なファリに対して、チャックは「いいからさっさと謝っちゃえよ」的である。
 そして、キャロルにとって腹立たしいことに、年下の女の子に、正面きって反論できないよ、という子ども扱いもあるだろう。キャロルは対等のつもりでいるのだ。

 もちろんチャックだって、キャロルの能力は認めている。キャロルがチャックに対して、そうであるように。
 けれどそういうこととは関係なく、キャロルがチャックのことを、情けなくて頼りなくて目が離せないと考えているように、チャックにとってもキャロルは保護対象である年下の女の子なのだ。

 気が強いといっても、ルシルとキャロルは、まるで違う。
 ルシルは、誰に対しても気が強い。
 何にでも反発する強さではなく、現実の状況や力関係というものを知った上で、弱気にならず強気に出る。
 キャロルの気の強さは、限定されている。
 一人で荒野を渡ることはできても、魔獣とだって戦うことができても、強気に出られる相手は、教授と、そしてチャックだ。
 キャロルは、魔獣であれ、敵であれ、接点のない敵に対してであれば、強く出ることができる。けれど、感情を通わせるべき相手に、疎まれたり憎まれたり、そして無視されることに、耐性がない。
 そういう経験をたくさんしてきたがために、刺激されれば古傷から、すぐに血が流れ出す。

 なら、ルシルはどうであったのか? たとえそれが、村では当たり前のことであったとしても、親によって、ベルーニに売られたルシルは。
 ハニースデイは、キャロルの故郷よりマシだったとはいえ、五十歩百歩だ。状況は厳しく、そして人々は希望に背を向けている。
 受けてきた負の感情もまた、キャロルと五十歩百歩であったとしても、おかしくはない。
 けれどルシルには、チャックとケントがいた。運命共同体としての仲間、そして特別大切な友だちが、幼いころから身近にいた。
 そこに、負の感情を跳ね返す強さをはぐくむ余裕が生まれただろう。
 そしてそれは、チャックとケントについても、同じことが言える。
 気が弱いチャックにしろ、疫病神という斜め上のものを省いてしまうと、相手がベルーニだろうがニンゲンだろうが、相手そのものに対して、嫌われるんじゃないだろうか? 怒らせてたり憎まれたりしてしまうんじゃないだろうか? という気遣いは、まるでしていない。
 誰からも好かれると思っているナルシストでもなければ、嫌われることを気にしないというわけでもなく、あるのは現実的な耐性だ。

 このこと前提に、もう一度キャロルを振り返ってみれば、故郷の村には、そうして支え合える友だちが、いなかったと考えられる。もちろん、子どもの力が及ばず、ということは、あるだろう。
 キャロルは、親に虐待されていた。が、そこに割って入ってくる他の大人も、慰めてくれる人も、一緒に泣いてくれる友だちもいなかった。キャロルがどんな目にあっていても、やっかいごとに巻き込まれるの嫌がって、見て見ぬふりをされてきた。
 そのあたりこそが、キャロルが恐れる無視ではなかったか?
 ひどい目にあっていて、自分の力ではどうしようもない時に、目さえ合わせてもらえないような。
 
 キャロルは、ディーンたちに、嫌われないか? と、心配している。大丈夫だと保証されても、まだびくついている。さらに兄妹という切れない血の繋がりを模し、距離を詰めていく。
 で、チャックだ。
 ディーンの兄宣言の時にはいたが、大丈夫の保証のときには、まだいなかった。
 家族的に捉えた他の仲間とチャックは、少し立ち位置が違っている。
 むしろ、家族という基盤を得たキャロルにとって、優しい他人、ではなかったのか?
 それゆえに、まだ父娘にはなれていない教授を、投影したのではないか?
 見かけも、いやそれ以外だってまるで違うが、投影しうる要素が、チャックにはいくつかあった。
 そういうチャックを、キャロルは欲して見いだした。
 無意識に結びつけ、説教を喰らわせても大丈夫な相手、教授の代りをキャロルは得た。

 チャックがその型にはまったのには、偶然の一致もあっただろうし、キャロルの要求に応えた部分もあるだろう。ルシルとのつきあいで、女の子に説教喰らう状況に慣れていた、という部分も大きかっただろう。
 ただ、ルシルの代わりを求めた、とは思いにくい。
 チャックの「甘えられる人が欲しい」は、本音でもあるだろう。
 キャロルチャックにとって、甘えられる人ではない。
 むしろチャックは、おとなしく怒られることで、キャロルを甘やかしている。
 けれどキャロルは、それを感じ取り、そこに不満を持つ。
 キャロルはまだまだ、甘えたらない。
 チャックは教授の替わりではあるけれど、教授のようには頼れない。
 チャックは、キャロルが甘えるには、頼りないのが問題だ。
 教授を投影するからこそ、いろいろ細かな不満が出てくる。

 教授はキャロルを保護し、食べさせた。強くて大きく、べったり甘やかす。
 キャロルは教授の手の中で、赤ん坊からやり直すことができた。
 教授も教授で、研究一筋の人生を、キャロルの存在が人間味あるものに色づけた。

 クレイドルで、ひさしぶりにキャロルと再会した教授は、いきなりチャックを巻き込んだトラブルの件で、キャロルに怒られてしまう。
 改造実験塔では、キャロルの言葉に、いきなりおつきあいの相手はチャックだと決めつける。
 女ったらしのような顔、とはいえ、キャロル溺愛な教授としては、一番の敵と直感したのかもしれない。

 

下を向いて歩こう

 もしチャックが、ロディの人生を逆走しているなら、いつか教授と荒野に調査に出たおりに、ふと置き忘れられて、そのまますぅっと消えちゃうのかな……。

 CinFに取りかかれば、これがまた一つの自分的ターニングポイントになるのは確かなのに、ぜんぜん書く気になれないのは、どうしてだろう?

 アヴリルの深層意識の中で、チャックはふと、道ばたの光る石を拾い上げる。
「チャックさん! 何してるんですか!」
「いや、氷なのかなって思ったけど、全然冷たくないなって」


 みんなで歩いているとき、ディーンがまっすぐ前を向いて元気よく歩いているならば、チャックは下ばっか向いて時折何か拾ってる。食べられるもんとか。
 ちなみにディーンは、前を向いているだけで、あんま足下見てない。何か見つけると、ぶわーっと走ったりする。みんなの三倍ぐらい、走りながらうろうろうろうろ動き回ってる。
 レベッカもアヴリルもグレッグも、そんなディーンを見守っている。キャロルも基本的にはそうだけど、時々チャックのことを気にしている。とにかく騒がしくてパワフルなので、ディーンは人の視線を集めてしまう。
 チャックはディーンのことを見てない。周囲全体を見て、状況は把握している。足下を見ている時は、その視界に、よくキャロルが入り込んで来る。仲間たちの動向や会話は、見ないで耳で把握してる感じ。

 

あきらめないこと、あきらめること

 怨念は、希望を持つ心の逆ギレなんだと思う。
 あきらめず物事に進む心に、歯止めがきかなくなったものだとする。
 ロディが結果として掴んだ希望を、ディーンは最初から持っている。
 たぶん、怨念を作り出したそれぞれの人も、ヴォルスングも、その点は同じだったんじゃないだろうか。
 最後まであきらめなかった。 
 =自分の最後に絶望した。 あるいは、死んでも、あきらめきれなかった。
 誰かが意志を継いでくれる、そんな状況でもなかったんだろう。

 けど、ディーンがチャックに言う言葉を聞いてると、ちゃんと限界設定してたりする。
 あきらめず頑張ってたら、なんでも可能だ、とは思ってない。
 ディーンの、「人はあきらめなければ、何だってできる」は、その言葉通りではない。

 言葉通りに取ると、望みがかなわないのは、頑張りが足らないからだ、ということになってしまう。
 思い切って行動しないからだ、ということになりかねない。
 年齢的には、それでいいと思う。
 けれどそういう考えを持ち続けると、弱者の否定や、被害を出しながらの無茶につながっていく。
 ついに自分という存在の最後がやってきたとき、成し遂げられていなければ、絶望するしかなくなってしまう。

 成し遂げられず終わる絶望。終わることさえ、認められなかった。
 あきらめられなかった。
 それが怨念なんだろう。
 
 限界設定してる、といってもディーンのそれは、まだあやふやで無自覚なものだと思う。
 限界設定が働いたのは、チャックのときだけ、といっていい。
 正直、チャックがあきらめないタイプで、絶対グレッグを逮捕するとか言い出してたら、ディーンも困っただろう。状況がチャックに、ここはあきらめてくれと、ディーンに言わせた。それをチャックが受け入れなかったら、ディーンの、「絶対にグレッグは悪いヤツじゃない」とぶつかり合うことになってしまう。
 グレッグの逮捕劇以降も、チャックはあきらめることを、ディーンに見せていく。

 私はチャックのことを、少なくとも自分を疫病神だと思う前のチャックを、わりとディーンに近いタイプだったのではないかと思っている。
 最初からあきらめがちだったのではなく、たくさんの夢や希望を抱えた普通のオバカでお気楽な少年だった気がする。
 けれどあきらめを、学んでいった。
 死んでしまった父も母も還らない。きっと友だちも……。

 ロディが、あきらめないことを学んだ時希望の風が吹いたように、チャックはあきらめることを学び、そして災厄の月の光に照らされたのだろう。

 養父の愛にはぐくまれたものの、ひとりぼっちの人造人間が、たくさんの仲間と友だちを得て希望を学んだとのは逆に、平凡な両親と友だちの中で育った村の子どもCは、次々と失っていった。
 どこかに定住して仕事もあってコミュニティに受け入れられるなら、ロディは渡り鳥をやめて定住しちゃうんじゃないか? と思う。
 チャックの方は、荒野を渡り歩くのが好きらしい。というか自分のイメージでは、素で荒野の向こうにある何かじゃなく、荒野をほっつき歩いてるのが好きな気がする。なんかないかなーって。
 そのへん、ゴーレムパーツ掘りに、裏山? ほっつき歩いてるディーンと同じで。
 子どものような冒険心で。けれどチャックは、そういったものにも蓋をしている。荒野が冒険する場所じゃなく、さまよう場所になってしまっても、チャックは荒野をふらふらしていることを、好む気がする。
 別に定住暮らしが嫌いとか、我慢できないっていうんじゃないけれど。

 ディーンと一緒に行動したら、あきらめていた友だちを、取り返した。

 希望も絶望も、行きすぎたら毒になる。
 「あきらめないこと」「あきらめる」事。

 チャックは怨念に手を差し出し、語りかける。「頑張ったね、もうあきらめていいんだよ」

 

不運な青年と幸運の少女

 周囲に不運をまきちらす疫病神であるよりは、不運を自分だけのものにしておきたい。
 人との関わりを絶ってでも。
 そんなことを考えた青年と、そして
 その青年に、幸運をおすそわけしたい女の子と。
 
 勇気をもって踏み出して、それがいい結果に繋がっているキャロルにとって、チャックはもっともわけのわからない人だろう。
 
 いや、まあ、普通、疫病神の気持ちなんてわかんないから、わからないキャロルの方が普通だ。
 
 努力とか決意とか勇気といった類、おおむねなんらかの実を結ぶ。
 キャロルにとっても、そしてディーンやレベッカにとっても、そういうものだろう。
 アヴリルにとっては、微妙な部分もあるけれど、やはりそうだと思いたい。
 グレッグも、そういうタイプだっただろう。
 家族と共にそうした気持ちを失ったけれど、取り戻した。
 時には逃れられ得ぬ理不尽な不幸に襲われ、大きなものを奪われることもある。
 生きているかぎり、自分の全てをもぎ取られたようなこの痛みは続くのだと。
 その痛みは、消えはしないだろう。
 けれど、そればかりではない。
 
 チャックは、そう信じたがっている。
 無意識にそう思っているのではなく、そう信じたがっている。
 どんな努力も決意も勇気も無駄だと思ってるから、そうじゃないと信じたがっている。
 なのに逃れ得ぬ理不尽な不幸は彼について回り続ける。
 
 ファリドゥーンは、チャックにとっての越えられ得ぬ壁だった。
 最初の戦いは、壁を壊そうとしたでもなく、乗り越えようとしたでもなく、ただぶつかるだけとわかってのものだった。
 やることを決意したがゆえにぶつかり、精一杯やってから、あきらめるための。
 どうにもならない現実を、無駄な努力というものを、改めて確認するための。
 それでも精一杯、運命というものに逆らいたかった。
 心の片隅で、逆らえるのではないか、越えられるのではないかと、信じたがっていた。
 
 二度目の戦い。挑んだ時点で、すでにファリドゥーンは壁ではなかった。
 壁でもなかったし、決意もなかった。
 チャックは一人の青年として、一人の男であるファリドゥーンを、ただ怒った、いや叱った。
 そして勝っても、その勝利に納得しなかった。
 彼は、乗り越えることも、壊すこともできないほどの壁、立派な男であってほしかったのだ。
 だが、ファリドゥーンは鏡にすぎなかった。
 同じ弱さを持った、一人の人にすぎなかった。
 チャックが発した言葉は、鏡に映った自分に対する言葉でもある。
 
 ファリドゥーンは、変わった。
 ニンゲンの青年に倒されて。
 その青年に、歪んだ自分の姿という真実を突き付けられて。
 けれどチャックは、変わらなかった。
 
 変わらなかったのだ。
 
 少女は敏感に、そのことを感じ取る。
 それが彼女には、不思議でならない。
 
 チャックとキャロルの幸運だの不運だのの総量は、まるで変わらないのかもしれない。
 二人とも努力家で、自らの力で掴んだ部分は、とても大きい。
 自分の手で幸せを掴み、護り、そして作り出せる事を知っている。
 
 どん底から、幸運と自らの力で、輝ける世界へと芽ぶいた少女は、いつかチャックもグレッグのように、立ち直りうると信じている。
 過去は変えようがないけれど、未来は切り開くことができるのだから。
 だから今日も小言を言いながら、手をひっぱる。
 自分が歩み出た、この素晴らしき輝ける世界へ導こうと。
 わだかまる、過去という闇に背をむけて。
 

「な」と「の」 と書いたけど、実際は「の」と、「な」。

 

ロディ要素とチャックが消えちゃう回避

 私は大きな勘違いをしていたようだ。
 
 WA5には、ロディ要素が分散して含まれていると思っている。
 キャロル、ヴォルスング、カルティケヤらだ。
 そしてチャックは、裏返ったロディ。逆ロディだ。
 性質的にも、立ち位置も、そして爆走中の人生も。
 
 だからいずれ、ゼペット要素を持つ教授と一緒にどっかの荒野にいったまま、ふとチャックだけ消えちゃうんじゃないか? と。
 
 これが勘違いだと、今朝ふと気がついた。
 
 ミラパルスで、すでにそれは成立してる。
 間接的にだが、しっかり教授のせいで、処刑されかけた。
 ディーンが介入しなかったら、そのままあの世界から、いなくなっていた。
 ディーンは、そういう運命めいたものを、ストレートな感性と、恐いもの知らずの行動力と、諦めない心で、書き換えていく。
 
 いなくなるはずの青年を助けた後は、
 復讐に生きる男に、生きて欲しいという本音をぶつけ、
 臆病で孤独な少女のお兄さんになる。
 
 ああそう見ると、わかりやすいグレッグのザック要素だけでなく、キャロルもセシリア要素をも持っているとも言えるだろう。
 
 いやむしろ、無印+F要素を持っているものたちが、その印としてロディ要素を持っていたのではないか?
 
 そう考えると、グレッグの片腕の、あの何のためにあるんだかわからないアレも、そうした印の一つだったのかもしれないなと、今思った。
 
 ともかく、サブPC三人で、実に奇妙な疑似ロディパーティが成立する。
 どーりで、グレチャやチャロルが成立しやすいわけだ。
 
 そして三人は、ディーンの介入により、大きく変る。
 三人だけではなく、ヴォルスングもまた。
 
 レベッカとアヴリルは、いやアヴリルでさえ、そこでは傍観者にすぎない。
 
 ん? ナイトバーンとカルティケヤに、まだなにか見落としがありそうな。