ワイルドアームズ5
チャックが眠れない理由を話せないわけ
キャンプ中、さすがに夜間通して見張りをしているわけにもいかない。
いや、一人旅の時は、パイルバンカーを抱いて座り込み、仮眠を取った。
一人で荒野の真ん中で夜を越そうと思ったら、どうしてもそうなる。
だからチャックはそのつもりでいたのだけれど、ディーンたちはテントを使ってた。
一人で寝ることもあったけれど、たいがい二人で、なぜか三人のこともある。
夜の見張りが女性ばかりというのは、どうかと思わないではない
特に女性陣のうち、もっとも旅慣れているのが最年少のキャロルで、アヴリルもレベッカも、それほどではないとなれば、なおさらだ。
いや、彼女たちはボクよりしっかりしているようだ。と思ったとする。女の子っていうのは、そういうものらしい。だから信頼して任せて眠ればいい。のだけれど、女性陣とは関係なく、眠れない。
テントはさして広くないから、隣で寝ているグレッグやディーンの寝息だけでなく、直接触れていなくても、そのぬくもりさえ伝わってくる。
その息が止まりはしないかと、そのぬくもりが消えはしないかと、チャックは怖くてたまらない。
耳が捉えたその息に、ふれてこの手で確かめたぬくもりに安堵して、眠ろうとはするのだけれど、今確かめたものが、闇の中へ消えてしまいはしないかと。
まぶたを閉じて眠りに落ちたが最後、見失い、うしなってしまいはしないかと。
チャックはそれが怖くてならない。
チャックは寂しがりやということになり、にもかかわらず一人を選らんでいたことで、ディーンを心配させてしまったりする。
もう寂しくないよななどと、ディーンはチャックと友だちになれたことや、仲間と共にあることを、心から喜んでくれもする。
確かにチャックは、仲間ができたことは嬉しい。
そこに間違いは、まったくない。
けれどチャックは、ディーンの元気いっぱいの寝顔を眺めながら、まぶたを閉じることができなくなる。ディーンの寝息に耳を澄ませながらなんとか寝入り、何かの拍子に目覚めた姿を、グレッグに見られてしまう。
けれど、何を恐れているか、話せない。
疫病神であることを否定されるだけだと、わかっているからだ。
チャックは強い
私はチャックを、強いと思っている。
気が弱いし、流されやすいし、暗所恐怖症だけど、地に足がついていて、いわばキャロルのようにはビクビクしないし、根っこのところは前向きでポジティブなんだと思う。
それに「疫病神」という、世の理からはずれた妙な現象で、今のようになっているだけで。
で、強いから「疫病神」になっても、なんとか生きる道を探しながら試行錯誤してられるんだと思う。
チャックとルシル
チャックがルシルを諦めた時、
ハニースディやメシスではなく、トゥエールビットでルシルが新たな道を歩み始めていることを、その目でしっかりと見据えた時、チャックは変ったんだと思う。
チャックについては、原因である疫病神関係がスルーされて、ルシル関係に集中している。
いやそこに集中させないと、話がえらいことになる。
ルシル関係だけでもしんどいのに。
まずハニースディで、ルシルがいくじなし! って行っちゃった時、チャックはルシルを諦めて、
いやそれ以前、村で自分は疫病神だと言い始めたときや、村を出た時点でも諦めて、
メシスで別れたとき、前向きになってもやっぱり諦めなければならなくなって、
トゥエールビットで、完璧に諦めて、
改造実験塔で、自分でダメ押しして。
やっぱり大きいのはトゥエールビットで、ここの騒動の最後、ファリドゥーンと歩くルシルを見た時に、チャックのディーンと行動を共にする目的が、変っている。
身売りなんてない世界、行きたくもない奉公に、あるいは出稼ぎ、強制労働がない世界。
けれどルシルは、奉公先のトゥエールビットで、尊敬できる雇い主のもと、幸せそうに仕事をしている。
自分との仲は終わって、自分より格段に上等な男と新たな関係を築いている。
チャックの視点は独特で、ニンゲン対ベルーニというものが、さほど目に入っていない。
メンバー中、もっとも「体制=システム」によって、ボロボロになってきたにもかかわらず。
貧困と年貢、出稼ぎや奉公は、南東地方全体の問題だ。
ハンターという宮仕えでも、ベルーニの下位組織(それでも、ニンゲンがベルーニの組織に組み込まれるというのは、画期的なことであったはずだ)だし、そこらのベルーニの気まぐれで、命さえ求められる。ミラパルスの出来事を見れば、無許可の旅人である渡り鳥の方が、ずっと自由に行動できることがわかる。ミラパルスの人々もチャックも、契約によってベルーニに縛られている。
グレッグの場合は、カルティケヤという狂人が偶然ベルーニで、だから追う時に種族の壁が立ちはだかったのだし、キャロルの場合は、両親と教授による逆転現象が起きている。
チャックは軽薄さを装う時こそ、ベルーニはニンゲンを道具扱いするなど言う。けれど、お前昨夜殺されかけたばかりだろう。妙に客観的だし、やれやれって感じだし、ニコヤカでさえある。
それは表面的な、「普通のニンゲンならこう考え、軽薄なニンゲンならこう言うはずだ」という前提で、言動を作っているように見える。
チャックの内部では、疫病神である自分とそれ以外の人々という分け方の方が、ニンゲンとベルーニよりも、ずっと大きい。それに比べたら、ニンゲンとベルーニなんて、小さな違いでしかない。
けれどルシルは、ルシルへの恋心は、チャックにとってニンゲン対ニンゲンの、関わりであるはずだった。
そのルシルがベルーニに連れて行かれるとなったとき、チャックは引く。
身売りは不幸なことだけれど、それは疫病神である自分が招いた不幸だし、なによりベルーニに連れていかれる方が、ボクという疫病神と関わり続けるより、ずっといいじゃないか。
そう。チャックにとっては、ニンゲンを抑圧するベルーニ、ニンゲンを道具扱いし、気まぐれに難癖をつけて殺しさえするベルーニよりも、疫病神である自分の方が、ずっとろくでもない存在なのだ。
疫病神と、それ以外の人々。
そういう視点で物事を見ているから、チャックは本質的には、ベルーニを恐れない。
怖いのは、疫病神である自分だけであるし、何から自分の手で何から大事な人を護るのかといえば、疫病神である自分がふりまく災厄からだ。
にもかかわらず、自分は存在し続けることを望んでしまう。
本来の人懐っこさ、人間としての社会性が、今までかろうじて自分を人間社会に繋ぎとめてきた。
覚悟を決めてさっさと切り離してしまわなかったせいで、もしかしたら疫病神という運命から逃れられるのではないかと考えて、ぐずぐずしていたせいで、ルシルまで村から出ていくはめになった。
チャックを最後の最後まで、人間社会に結び付けていたはずの、ルシルという存在。
ここでいったんチャックは、渡り鳥になることで、完全に人間関係を断とうと考える。
渡り鳥といっても、目的地である人里を目指す渡り鳥ではないはずだ。
荒野を彷徨うだけの渡り鳥。
それでもまだ、チャックは生き方を考えている。
けれどチャックは戻ってきて、ディーンたちに合流するという、まったく逆の思い切ったことをする。
やりとげた思い切ったことのご褒美は、親友の奪還と、ナイトバーンの事故なわけで。
そもそも一発できっぱり諦める性格だったら、こんなに何度も諦める必要はないはずで。
うじうじといつまでも引きずるわけで。
いやこうなってくると、生きていることこそが引きずることで。
すでにボロボロのまま、ひたすら引きずりながら歩いているわけで。
しかもその痛みを見せぬよう、極力軽薄にふるまうわけで。
それをやるその根本が、ルシルに集約されるわけで。
けれどトゥエールビットのルシルとファリドゥーンを見て、チャックの目的が変る。
それまでは、ルシルの幸せのためではあるけれど、幾分は自分のためであったはずだ。
世界のゆがみを感じ正したいと望んだディーンとは逆の、個人的幸せの成就がチャックの出発点であったはずだ。個人が幸せになるためには、世界がゆがんでちゃならないから、そこで一致してたわけだ。
奉公に行かなくてもすむ世界。
けれどそれは、奉公にいってもいい自由がある世界ということでもある。
奉公に行かなくてもすむように世界を変えても、ルシルは自分の意思でここに残る。
チャックは、そう気がついた。
それでも、だからこそ、チャックはルシルの幸せのために、世界を変えなければならなくなる。
ルシルが、奉公人として買われたからではなく、自由意志でここで働ける世界へと。
種族や身分を越えて、ファリドゥーンと仲良くなれる世界へと。
自分がルシルと結ばれるためには、疫病神であってはならない。
まずそれは、自分の手で護ればよかったんだ、という結論に達し、すぐさまナイトバーンの事故によって、護りきれないことを突きつけられた。
だが自分が疫病神であっても、ルシルはファリドゥーンと幸せになれるのだ。
チャックは、完璧に失恋した。
新たな仲間たちは、疫病神であっても、自分の手で護ればいい。
けれどルシルを失うと同時に、疫病神であってはならない理由を、チャックは失ったのだ。
猫探しサブイベント
猫探しでリボンタイの少年こと偽ジュードからもらえる報酬が、ディーン用のパーツ、XERD_003SSなんですが、これってもしかしたら、元はヴォルスングの? XERD家の?
反応があがるけど、抵抗が下がるらしい。
リボンタイが13歳だとしたら、ヴォル来訪時は11年前だから2歳。
直接もらったっていうのは、いくらなんでもなさそうだなあ。
手に入れたのはリボン母?
忘れ物?
ヴォルはミーディアムも落としてったから、パーツも落としていったか。
本体(グラムザンバー)はさすがに落としていかなかったが。
追加
リボン母子が、ヴォルのニンゲン側の親戚、というのはどうだろう?
ケントから見たチャック
チャックは、ロディの人生を逆さまに突き進んでるんだな、とか考えしまった。
となると、当然ルシルはセシリアだ。ファリドゥーンの嫁さんになれば、トゥエールビットのお姫様女王様お妃様なわけだし。けれどケント君がザックか。それは違うか。
まあ、三人ともロディ組とは性格はまるで違うし。
特にルシルなんか、自分で自分の人生切り開いてくタイプだろうし。
子どもの頃は三人とも村の子どもABC。ホントに平凡な。
しかもチャックはAですらなくC。
気の強い女の子と、弟分にされてる二名。
ルシルが女王様親分で。
チャックは別の意味でヘラヘラ笑ってて。
ケンカもするし、遠慮もないぐらい、チャックとケントは仲良しで。 ただチャックとルシルは、多少かわいい子だった。ケントは平凡な顔つきで。
ケント視点だと、チャックやルシルが標準で、比べるなんてことはしたことなくて。
チャックやルシルも、幼馴染の顔なんか見慣れちゃってるから、よしあしなんか関係なくて。
子どものころは、チャックやルシルは両親いたけど、ケントはどうなんだろうな。
父親は早くになくして、母親は小さいケントをチャックの両親に預けて奉公にいって、仕送りがあるはずだったんだけどそれも途絶えて、けれどチャックの両親はチャックとケントを兄弟みたいに一緒に育ててて、仕送りが途絶えたことも言わなかったけど、ケントは手紙がこなくなったことから察してて、チャックのお父さんが生活のために出稼ぎに行くのはオレがいるから? なんて思い悩んだこともあったり、そのことでチャックとケンカしたり、みんなで一緒に畑を耕したり、大きくなったらオレたち一緒に働きに行こうななんて話もしてたり。
ARMを支給される頃には、ケントも一人暮らしをはじめたけど、まだいろいろチャック両親に世話になっていて。旅立つ前のディーンみたいな感じの生活で。
そういう事情があるから、ケントはチャックが一人で山にいったことに、すごく腹を立てたし、チャックのお父さんが山で死んだことを、自分の罪のように思っていて、なのにチャックは「自分のせい」にしちゃっているもんだから、とにかくさらに腹立たしかった。
なんて、考えてみる。
貧しい農村だ。子どもにだって仕事はいくらでもある。三人とも、遊んでばかりいるように見えても、それなりに働いていた。働かなければ、ならなかった。
で、ケントはある日、チャックとルシルが、自分と比べて格段に顔がいいことに、気づいてしまう。それがこの村では、決して幸せに繋がるわけでもないことに。
自分とチャックは、いずれ出稼ぎに出なければならない。けれどチャック父と、チャックと、ケントと一緒に出ることになるだろう。だからさほど問題はない。
ルシルの両親は、当然のこととして、時期を見てルシルを奉公に出すつもりでいるようだ。チャック父が季節ごとにでかけ、戻ってくる。どういうところかも、わかっている。村からも、その山が見える。
けれど奉公は、奉公先次第だ。事前に奉公先について情報もない。そして顔がいい場合は、高くは売れるが、顔で高く売れるということは……。
ルシルはその前に、オレかチャックと結婚できるだろうか? 結婚するにも、金がいる。それを稼ぎたい。二人で金を溜めて、あとはルシルをどっちが選ぶかだ。
そんな幸せな、男の子たちの勝手な計画。
けれどある年チャックの父が出稼ぎ先から帰ってこず、様子を見に行ったチャックは落石事故に巻き込まれ、チャック父が亡くなり、チャックも大怪我をする。
そして……。
それぞれの身に、思いもしなかったことが起きる。
いろいろあって、強制労働させられていたケントたちは、チャックによって解放される。
ルシルは、奉公に行ってしまったけれど、全てが終わったわけじゃない。
事なかれ主義に流されるだけだったチャックが、見知らぬ仲間たちとともに、ベルーニにたてついてでも、ルシルを取り返すつもりでいる。ケントは素直に、それが嬉しい。
ひさびさにであった、ケントとチャック。その二人の道は異なってしまっている。それぞれに別の仲間がいる。けれど二人は、時折子どもがえりしたかのように、互いの前で少年に戻る。
そしてひとしきりはしゃいだ後で、二人は再び現実を生きる大人に戻る。
二人は幼馴染で、大親友だ。離れていても。