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ワイルドアームズ5

サブPCの一人旅

 チャックは、暗いの怖いから焚き火かランプ必須。
 とはいえ、開放的な荒野では、閉塞感のある場所ほどは怖くないんじゃないかと思う。降るような星とか、煌々と輝く月とか、荒野を渡る風があれば、案外平気。そうじゃない夜は、ひたすら耐えるのみ。
 背を預けられる場所で、パイルバンカーを抱えて、うつらうつらと浅い眠り。時折薪をくべる。
 一人旅の渡り鳥なら当たり前の光景。
 迷惑をかけるといけないので、用がなければ極力人里には寄りたくないのだが、犯罪者逮捕という仕事上そういうわけにもいかない。犯罪者を見逃すことももまた、人々にとっては災厄だ。
 軽薄な若造として親しい人を作らないよう注意しながら、いずこにも腰を落ち着けず渡り続ける。

 

 グレッグの場合、夜は破壊活動まっさかり。そうでないときは、普通の渡り鳥の一人夜営と同じ。
 人里へは左腕がゴーレムの男の情報を収集するために寄るが、日が暮れてから酒場か食堂へ直行。お尋ね者だから、他人と交わろうとはしないし、必要以上に長居はしない。
 というわけで、暗所恐怖症を破壊活動に差し替えれば、なぜかチャックと大差ないパターンになる。
 違うのは、渡り鳥のように積極的に仕事を受けてもいないし、寝込みを襲われると困るので、あまり宿にも泊まらないかもしれない。

 

 キャロルの場合は、極力夜は人里で過ごす。でなきゃ駅の待合室、セーブポイント、遺跡内で安全な場所を見つけて利用。旅は安全第一。そのいずれも望めない時は、ミラクルアコーディオンに内蔵されている自動防衛システムに頼る。「一人のときも、教授が護ってくれているのです。はい」
 今『児童防衛システム』って書いちゃったけど、なんか間違いでないような。
 立ち回り先は、教授がいそうな場所なので、遺跡とベルーニの集まる場所が多くなる。
 対人恐怖症は、どうやら主にニンゲンに対するものであるらしい。
 だからニンゲンにことさら交わろうとはしないし、渡り鳥たちとも積極的に関わろうとしない。
 教授からもらったお金があれば、びくびくしながらも宿に泊まったり買い物をしたり会話したりするけど、人がざわめく食堂や酒場は苦手そうだ。混雑する時間を避けて利用することはあっても、他人に声をかけられると ビクゥッ! としたりして。

 

 というわけで、この三人の一人旅は共に人を避けすぎだったりする。
 むしろヴォルスングの一人旅のほうが、普通の渡り鳥っぽかったかもしれない。


 荒野においては、ちょっと寂しいとしても、何年か前でも敵なし状態。
 人里には積極的に寄るし、荒野でも人々と交わろうとする。
 渡り鳥たちには怪しい連中も多いから、ヴォルスング程度の怪しさも許容されただろう。
 けれど……、里のニンゲンとの人間関係は、不器用そうだ。
 人間関係を拒絶するチャックよりも。
 お尋ね者であるグレッグよりも。
 ニンゲン嫌いのキャロルよりも。
 ジョニー・アップルシードになることへの意地や、先が見えないことへの不安や。
 望まぬ孤独。理解されぬことへの苛立ち。
 そしてなにより、拒絶されるのではないか、という恐れ。

 にしてもキャロルって、独自の列車パス、もってんじゃないかな? あるいは教授が発行した助手としての身分証明書か。でないと移動できん。

   

ルシルから一言

『ハニースデイの男を信用するな』

ナイトバーンにしろチャックにしろケントにしろ、とにかく信用できないの意味。

   

グレッグから一言

「お前のせいで父親が死んだ、ではなく、父親がお前を生かしたと、そう考えてやっちゃくれねぇか?」

グレッグよりチャックへ、一人の父親として

 

デュオグラマトン

 デュオグラマトンにとって、毀された祭壇のあの装置は垂涎ものだろう。

 それはおいといて。

 いわゆる定番の「テレビ局のオカマ」キャラ。
 
 真実一路で、真実のためなら強硬手段もなんのその。
 裏という嘘が嫌いで、着ている服まで裏表のないリバーシブル。
 だからナイトバーンが嫌い。でも、正反対の存在だからこそ、ひかれてる、とからしい。
 正義厨じゃないし、なんでもまじめ馬鹿正直に正面からぶつかるってタイプでもないらしい。
 とにかく真実大好き。というか、物事には真実があると信じてて、それを追い求め報道せずにはいられないタイプ。真実が好きというより、はっきりとした真実があるものが好きなのかもしれない。つかみ所のないものは嫌いなんだろう。不確定性理論とか嫌いそうだ。
 
 ディーンのこと、気に入るだろうねえ。
 報道なんかも、客観性を保ってるつもりでも、無意識にディーンびいきになってたりして。
 そこらへんにデュオの甘さっていうのがあるといいなって思う。
 
 うちじゃバイってことにしている。
 いや、自称バイ。
 
 性別にかかわらず、人間として好きか嫌いか。
 好みと恋愛対象は違から、ディーンに言い寄るってことはないけど。
 
 ただこいつ、まず信念が先にあって、それに自分を合わせてるんじゃないか? それで自分を縛ってるんじゃないか? って気がする。
 
 「次々女に恋をする」タイプじゃなさそうだし、「男に」でもないだろうけど、両方に対して性的興味が薄いとかないとかの上で、さらに信念で自分を縛ってるんじゃないかと。
 
 で、ペルというムチムチプリンと、ナイトバーンというナイスガイの間で、無性別者を半ば「気取って」るんじゃないか? と。全然そのケがない、とは言わないけれど。けどなんかこう、主張しすぎな気がするから。
 
 その上で、デュオはどんな相手なら、恋愛対象とみなすだろうか?
 同じような無性別っぽいタイプといっても、男と女を兼ね備えた人なのか、どっちも感じさせない人なのか? あるいは信念として、性別というレッテルを無視しようとするのか?
 
 そしてナイトバーンとは男同士の友情なのか、恋愛対象にして三角関係を作るのか?
 
 未熟であり、いろいろ悩みながら変化していく、っていうのがいいな。
 これは友情なのか? 恋愛なのか? 自らの真実はどこに!

 

チャロル・ロルチャは必然か?

 チャックは父親を亡くしてからディーンたちの仲間に加わるまでの間、新しく深い人間関係を結ぼうとしなかったはずだ。だからもしWAVでその壁を乗り越えたなら、以降さらに新たな深い人間関係を結び続けていくだろう。
 けれど、結局それは不完全だったんじゃないか? という考えを、私は基本にしている。
 だとすればED後も、さほど新しい深い人間関係を、結ぼうとはしないだろう。

 他のキャラはそもそも違う。ディーンとレベッカが、カポブロンコから飛び出したとたんに、数々の新しい人間関係を結んでいったように、今後もそさらに多くの人間関係を結んでいくはずだ。ED時点で終わったわけではない。

 だが、二次創作が、オリジナルを自己というフィルタを通して表現しなおすことなのだとしたら、どうだろう。
 所詮完璧なオリジナルなど、神を除いて成しえない。全てが過去のなんらかの、あるいは全ての上に再構成される。新たなものを付け加える試みは常になされているが、それに成功することは極僅かにしかなく、だがその僅かが物事を少しづつ、あるいは劇的に変化させる。
 もちろん普通の自らのオリジナル性を追求する創作活動と、他者のオリジナル性を解釈し裏付けようとする二次創作では、求める本質は違ってくる。
 だが通常の創作活動も、今自分が表現のために使おうとしているパーツの一つ一つに対する理解が不足していれば、うまく組み立てることはできないだろう。
 といっても、それを言葉で言い表せないとしても、理解はできる。そうした理解から生まれた作品は、テクニックのみで作られ小手先で終わる作品よりも、心に訴えかけてくるものだ。

 ともかくED後であろうが、現代学園物であろうが、ジョーク改変だろうが、夢ものであろうが、全ての二次創作が、オリジナルの自己による再表現だと考える。

 たとえば私のSS、短編123「ドラクエごっこ」の本文はごく短いので、ここに紹介する。
「オレが当然ローレシアの王子で、ルシルがムーンブルグの王女。そしてチャックが、トンヌラな!」
「サマルトリアの王子って言えよ!」

 ドラクエの方も知らなければ意味がわからないが、私はチャックとはこういうキャラだと思っている。
 幼馴染たちとゴッコ遊びをしただろうし、その中でルシルはお姫様だっただろう。
 チャックと男友だちは対等な関係ではあったけれど、友だちの方が一手早くおいしい方を取る。だがその友だちも、チャックを軽んじているわけではない。ちゃんと自分と同じ、王子の役を振る。だが主役ではなく、しかもトンヌラと表現する。
 プレイヤーが名前をつけられる主役の王子と、その名で複数の候補から自動的に名が決まる二人目の王子。その名の中の、やたら出現率が多くユニークな、ちょっと情けない印象を与える名前。それを振る。
 この二人目の王子は器用貧乏で、一人でふらふらしていて、のほほんとしていて、パーティを組んだ後はほとんど目立たず、重要な復活の魔法を覚えるのに、たいがい一番最初にやられてしまう。(というイメージを、私を持っている。もちろんあなたのイメージと違っているかもしれないし、それこどろか記憶違いをしている可能性さえある。)
 だからチャックはサマルトリアの王子で、しかもケントはトンヌラと言う。
 そしてチャックは、それに即座に反論する。それは嫌だでもなく、主役をやらせろ、でもない反論を。
 気が弱く押しにも弱い面はあるが、それはこのような日常的場面では現れない。
 チャックというのは、こういうヤツだと、私は思っている、ということだ。
 そう思っていることを、極限までつきつめ余分なものを削ってみたのが、この短編だ。

 いや実際には、ゴッコ遊びをする子どものチャックの姿が浮かんだ。そんなようなやりとりをして遊んでいた。それを現すのに、ドラクエを通して表現した。

 話を戻せば、ED後話であろうと、オリジナルの再表現であるならば、オリジナル中のキャラクターの関係の再表現やその発展形であってもよいのだろう。いや、キャラクター間の人間関係を表すならば、そうでなければならない。

 それを崩すために、付け加える。たとえば、チャックが他人をに対する壁を壊すことができるとしたら、どんな状況か?
 いや私の場合、まず状況が浮かぶ。特にチャックに関する二次創作を始めたころは、そうだった。まず状況が浮かび、そこへいたる状況と、それにより何が起きるかを考え表現する。その後で、なぜその物語を形にしたのか? 形にしたいという要求にかられたのかが、ゆっくりと追いついてくる。

 考え抜いてたどり着いた結論は、殆どの場合最初にふと思いついたものそのものだ。ぐるりとまわって、元の場所に戻ってくる。いろいろ余分なものを引きずって? あるいは何か理解したつもりになって?

 やっぱりチャックにはキャロル、キャロルにはチャックなのだ。

 それに付け加えるべきは、キャロルのナイスバディ化ではない。
 どうにもそれは、しっくりこない。
 ネタから物語にまでたどり着かない。
 牛乳に相談しても、ダメだった。

 チャックがまともな人間関係を作れるようになるまで5年から7年という根拠のないイメージ。
 それはキャロルが大人になるまでにかかる時間だったのかもしれない。

 チャックはキャロルを、異性としては認識しない。
 それどころか、ルシル以外となれば、異性認識できるのは、スケベ本の中のグラビアガールぐらいだ。いやルシルからでさえ、半ば引き気味だ。ルシルはそれこそ、チャックにとっては手の届かない、手を伸ばしてはいけない、物語の中のお姫様なのだ。チャックは白馬の王子になろうとしてもなりきれず、ファリドゥーンという本物がつれて行くのを、ただ見ていることしかできないのだ。そういう考え方についてルシルは大いに不満があるところではあるのだが。
 このような妄想は、するっと出てくる。そこで私は考える。なぜ私はそう思ったのか? と。

 それを考えるために、チャックはキャロルをどう思っているかを、考える。
 異性とは認識しない。保護欲は強いが、距離は取っている。
 キャロルを毛布にくるんだ上で、膝に据わらせ大事に大事に抱え込んでいる。これがチャックのキャロルに対する調度いい距離感だ。(短編78 怖くて優しい悪夢)
 だがキャロルは、その近すぎる距離にドキドキすると同時に、毛布一枚の存在がいらだたしい。異性ではなく、チャックに小さな女の子扱いされることが。

 チャックの時は、父を亡くした14の時に止まったままではないだろうか?
 それ以前からつながりのあるルシルは多少例外だとしても、深い人間関係を拒絶したチャックにとっては、女はすべからく母親であり、子は14以前の自身ではないだろうか?
 そしてキャロルは、女で、子なのだ。

 閉架の「女体化した夢を見た」は、チャックが自分が女になった夢を見る話だ。
 女の自分という、自分ではない自分を夢として外側から見るチャックは、自分を嫌わないでいられる。嫌なことは拒絶しようとし、助けとして仲間に遠慮なく頼る。
 女になったチャックは、キャロルが男性化していたら、名前を交換するのもいいなと考える。この女チャックにキャロルを重ねるわけだが、この女チャックがキャロル的反応を示した時には、女チャックと夢を見ているチャックの距離が開く。
 女チャックが妊娠すると、キャロル要素はほぼ消える。そして前向きで明るい性格が爆発する。女チャックはチャック自身であり、同時にチャックの母親であり、腹の中の子は幼いチャック自身だ。そしてごく自然に、自分を大事にする。
 チャックが14以前の自分をキャロルに見ているならば、夢の中の胎児は、同時にキャロルでもある。毛布にくるんで膝の上で大事に抱える。
 そして夢から覚めたチャックは、お腹の中の子がいないことを悲しむ。キャロルとの距離を詰めてしまうことでうしなうことを、チャックは怖れる。

 たぶんチャックは、直接聞いていなくても、キャロルの事情を聞きかじってはいるはずだ。チャックの場合、グレッグ以外の仲間たちについては、聞きかじりですませているはずなのだ。同じ地方出身であること。今は教授が保護者であること。けれど深くは踏み込まない。だが、苦労してきたことは、わかっている。そしてグレッグの時と同じように、「自分よりずっと大変だったのだろう」と考える。
 そっちがデフォなのだ。親が金で自分の子を売ることが当たり前の社会で、自分はよい両親に恵まれ、幸せな子ども時代を送ることができた、と考えている。
 だからキャロルは、もっともっと幸せを望んでいいし、(周囲に幸せを与えられたのに、災厄を与える)自分はもう十分なのだ。(中篇 ガラクタ)
 キャロルに自己投影した上で幸せを願っているわけだが、この傾向はうちのチャックはかなり広範囲というか手当たり次第に発揮する。(うちのチャックは、私と関係なくささやかにディンレベ派だが、それは二人が幼馴染だからだろう。)それが破綻(閉架 総受けファリ編)し自覚するまでそれは続き、自覚した後もなかなか考え方を変えられないでいる。(閉架 疫病神)

 もとよりチャックとキャロルは様々に対照的で、それゆえ互いに互いを補え合うのだろう。

 キャロルの方に、異存はない。気になってしかたがないのだ。頼りなくて、見てられないのだ。そして遠慮なく頼れる、頼ってしまうのだ。
 キャロルは、甘えることを覚えたから。キャロルは、乗り越えたから。
 だが、本当にキャロルにとっても、チャックは異性なのだろうか?
 それは半ばチャックの対応のせいかもしれないが、キャロルのチャックに対する態度は、あまりにもキャロルの教授に対する態度に、似すぎている。
 もっとも女の子の初恋が父親ならば、そしてキャロルの場合その相手は生家の父ではなく教授であろうから、どこか父親に似た人というのは、やはり対象に入るのかもしれない。

 問題は、やはりチャックだ。
 どうすれば、何があれば、チャックは変るのか? キャロルにチャックが自己投影しているならば、キャロルの成長そのものが、チャックを変えるかもしれない。チャックはキャロルの成長を認めている。(閉架 女体化した夢を見た ラスト)
 キャロルはチャックを、ひっつかまえるつもりでいる。(短編25 おいてかないで)

 二人から目をそむけるのは、やめておこう。
 少しづつイメージを固めているCinFのCは、もはやチャックのCだけではなく、キャロルのCでもある。