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ワイルドアームズ5

軽薄なゴーレムハンター(見習い)

「や、やめてくださいッ!
彼らはボクと、何の関係もないんですッ!」

 ミラパルスの出会い頭と、グレッグ逮捕劇の冒頭で見ることがでる、軽薄なゴーレムハンターのチャック。

 (ハニースデイでも冒頭多少その気はあるけど、演じきれなくなってると思う。あと戦闘中もかなり軽いけど、ゴーレムハンターじゃないし。)

 見習いであることを伏せたり、手柄の分け前を欲しがったり、自分を大きく見せようと必死だけど、底が浅くてミエミエで、軽くて薄っぺらで、悪気がないのはわかるけど、周り見えてない自己中のお調子者で、ずっと一緒にいるとうっとうしいことこのうえない。

 チャックはよく、こんなの『演じ』られたよな、と思う。

 自分は疫病神だから、他人と深い付き合いはしちゃいけないからって。

 「任務に忠実」とはいえ、実際に手柄にこだわってる様子はないし、義理人情や自分の直感みたいなものは大事にしているっぽいし、ディーンたちへの報酬は余裕があるわけでもなさそうなのに二重払いするし。
 年下のディーンに泣いてもいいとか言われても、気を悪くしないどころか、笑顔を返すし、キャロルに大人しくひっぱられていくし。
 自分が追ってた犯罪者の言葉だって、素直に聞くし。
 もう自分を振り向かせることはできないんだとあきらめた上でなお、ルシルのこと大事に思ってるし。

 チャックが怒ったのって、ディーンとナイトバーンのやりとりのときと、ファリドゥーンに対してだけだし。
 ああいうベルーニが全部悪いってことになってる村で育って、処刑されそうになったり、彼女つれていかれても、ベルーニを恨むとか憎むとかなくて。
 窃盗の濡れ衣着せられても、列車に乗るために騙されても、ほんと恨むとか憎むとかなくて。

 自分のためには、怒らないのか?

 グレッグを目の前にして、話を聞いて、見逃して。
 お前その前に、妻子殺しのゴーレムクラッシャーの故郷を一人で訪れてなにを想っていた?

 見栄っぱりで、手柄と地位を欲しがっている、軽薄な見習いゴーレムハンター。
 自己中心的で、自分が大事な若造という、チャックが作り出した虚像。
 それは本来の「明るく軽く人懐っこい」らしいチャックとは、似て非なるもので。

 そういう「軽薄な見習いゴーレムハンター」を演じることで、「軽薄な見習いゴーレムハンター」として生にしがみつき、疫病神のチャックは自分の存在に耐え、生きることができたんだと思う。

 軽薄はエロス。

 だからハニースデイで、ルシルの前では、軽薄でなければならなかった。
 ルシルに意気地なしと言われても、背を向けられても、へらへらしている軽薄なゴーレムハンターでなければ、ならなかった。
 生涯軽薄な男として、人に迷惑をかけまいと荒野を渡り歩くと決める。

 自分は疫病神だと、自分を否定して、生きることにあがく力が弱いチャックだけれど、チャックなりに生きる道は探している。

 タナトスを、疫病神であることが招く災厄を、人々の上にふりまくまいとしつつ、自滅もしまいと荒野を渡り歩く道を選択する。

 あのときディーンたちと出会わなかったら、軽薄なゴーレムハンターとしてのエロスと、疫病神としてのタナトスを抱えたまま、荒野を放浪してただろうな。

 

ボクは疫病神

 たぶん……

 チャックはハニースデイを出てからディーンたちと出会うまで、ずっと軽薄さで人を遠ざけてきたわけで、「自分は疫病神だ」などと言い出したりはしなかったんだと思う。

 それがミラパルスで殺されそうになったところを助けられ、
 列車でグレッグの家族を失った話を聞き、
 ルシルを失い。

 多分軽薄な仮面というのは、チャックにとって当たり前のものになりつつあったんだと思う。
 けれど、それを揺さぶられて。
 ディーンは、掛け値なしにいいヤツだと思って。
 いいヤツだからこそ、かかわっちゃいけないという気持ちと、かかわりたいという気持ちがぶつかり合って。
 作った自分じゃなく、本来の自分を出したくなって。

 だから自分とかかわると不幸になるとか、自分は疫病神だとか、自分の過去の不幸だとか、立て続けに口走って。

 軽薄さを装って、そういうものを出さないのは、周囲の人に気遣わせないためでもあるのだけれど、
 それは同時に、過去に失ってしまった人たちを軽んじる行為でもあって。

 たぶん最初は、ちょっと口走っても、それっきりの付き合いだから、気にせず忘れてもらえるだろうという。
 けれど出会いが度重なり、その時々に追い詰められ、しかもまったくディーンのせいじゃなしに。
 ずっと作ってきた軽薄な仮面を破綻させてしまって。

 そう、たぶん、チャックはずっと、自分の辛さに共感してくれる相手が欲しくて。
 一人で抱え込むには辛すぎて。
 けれど、共感してもらうには個人的すぎるために、誰かに一緒に背負ってもらうことすら辛すぎて、
 人にすがることもできなくて。

 口にしちゃいけない、いけないと思っていたことを、口にしてしまって。
 口にしたって、どうにもならないことだとわかってるのに。
 口にして、それに共感されようが、否定されようが、辛いばかりなのに。
 でもそれは、ずっと口にしたかったことで。

 好感を持つ相手にこそ、知って欲しい、本当の自分のことで。
 本当に、知ってもらってもどうにもならないことで。
 それで同情されたいわけでも、慰めて欲しいわけでもなく。
 知らせることで、嫌われるだけならいいけれど、
 その裏切り行為で、どうにもならないことで、何にもならないことで、相手を傷つけてしまいそうで。

 同時に、そんなことを言ったら引かれるだろうなっていうのもあって。
 いっそ引いてくれというのもあって。

 けれど、ただ、自分はそうなんだと。
 偽りの自分じゃなく、本当の自分は、そういうものを抱えている自分なんだと。
 そんな自分を知って欲しいという気持ちと、
 そんな自分を知って引いて欲しいという気持ちと。

 ルシルのときに、ついにさらけ出してしまって。

 それで、変わらないでいい、なんて言われたの、きっと初めてだったんだと思う。
 作ってた自分と、見得をはりたい自分と、疫病神の自分と、なさけない自分と、理解して欲しい自分と、引いて欲しい自分がいて……。

 全部ごちゃまぜになった自分を抱えこんでいる自分のままで。

 その後ディーンたちと行動を共にするようになって、チャック、すごく嬉しかっただろうな。
 距離感取れないぐらい、興奮状態だっただろうな。

 

グレッグとチャックの痛み

 チャック自身、自分の身に降りかかったことなど、世の中で大変な目にあってる人とくらべたら、たいしたことないって、そう思ってて。
 
 本当に悲しい時には笑ってまで。
 結構楽しんでもいるし幸せでもあるんだけれど。
 
 まちがった強さなのかもしれないけど、そんなチャックの強さに、少しでも近づきたい。
 
 グレッグは、妻子を亡くした時、倒れている妻子を抱くこともできず、周囲の人々に責められてゴウノンを発たなければならなくて、復讐だけに生きてきた。ディーンにつきあってゴウノンまでやってきて、二年目にしてやっと墓で眠る妻子と再会した。
 怒りだけが、その二年間グレッグを支えてきた。
 
 夜一人でいると、怒りに支配される。
 あの瞬間止まった時に、うしなったものの大きさに、
 二人を護れなかった自分を憎み、苦しみ、
 相打ち以外の死すら己に許せず、
 叫び、のたうち回り、その感情を魔獣にぶつける。
 
 どれほどの時がたち、世間が耳をふさごうと、俺が忘れることはねえ。
 
 
 
 チャックは、たぶんお父さんの時もお母さんの時も、ずっとそばにいて、もし自分がいなければって、そう思った。周囲の人々は、チャックをなぐさめて、元気づけようとして、けれどチャックは壁をつくって心を閉ざした。そんな周囲の人々が、大好きだったから。
 心配してもらうことすら拒絶しようと、笑みをうかべ。
 
 夜一人でいると、ひどくやるせない。
 けれど月のミーディアムは、チャックがやるせなさに溺れることを、禁じている。
 怖いし、悲しい。けれど一人であることに安堵もする。
 寂しくても、誰も傷つけずにすむから。
 
 けれど知って欲しい、自分のことを。聞いて欲しい、この心の内を。この苦しみを、悲しみを。
 

親友ケント

 ケント。
 チャックの幼馴染みの親友で2年前にライラベルに向かったまま行方不明、実はポンポコ山で働かされていた。

 という以外設定のないキャラなので、好き勝手に作ってはいる。
 けれどその立ち位置だけでも、チャックに大きな影響を与えた存在ではあったと思う。
 でもって勝手にケントに自己投影している。

 これが本当にルシチャだけだと、レベディーンとかぶりまくりなわけで。

 チャックには、いろいろと危うい部分が多々あるんだけれど、危ういなりに破滅したり他を恨んだりねたんだりといった方向に向かなかったのは、ベースの部分がものすごくしっかりしているんだと思う。
 つまりお父さんとかお母さんとか、そしてルシルとケントとか。
 他にもたくさんの人に大事にされて、だからチャックも人を大事にしようとして。
 意識しないレベルで、それはチャックにとってあたりまえの事で。

 見習いでもハンターの課題をこなして、賞金首なんて追っていたら、人間の汚い部分や醜い部分に首をつっこまなければならないことなど、普通以上に多々あるはずで。
 正規ハンターになりおおせるぐらいだから、無差別にグレッグに対するようなぬるさは見せなかったはずで。グレッグを追ってたんだから、全部ゴーレムほじくって功績をためました、じゃないだろうし。
 それこそ殺されかけても、あるいは騙されても、人を信じている部分があって。
 けれど凶悪犯が他を害することは、きっと殺してでも全力で阻止したと思う。
 殺すことで自分が傷つくだけですむなら、それでいいと。
 憎まれようが、嘲られようが、それでいいと。

 人を信じてはいるんだけど、この行き過ぎというのは他人を拒絶しているも同然で。
 それは「疫病神だから」に通じていて。

 そんな危ういバランスで自己を存在させ続けられるのは、やはり貧乏だけど満たされた幸せを知っているからで。
 そのファクターの一つとして他人としてのケントがいて。
 覚えてないぐらいのころから、なんべんもいがみあったり、意地張り合ったり、殴り合ったりのケンカして。そして仲直りして。

 一緒にバカなことしたり、一緒に怒られたり、競い合ったり。
 常に一緒というわけでもなくて違いをも認め合ってて。
 兄弟とじゃれ合う子犬や子猫がそこで何かを学ぶように、チャックにはケントがいたし、ケントにはチャックがいた。

 ケントと殴り合うチャック、というのは他で見たことがないんだけれど、自分的にはプロレスごっこの一つもできる親友がチャックにいたらいいなあと。

 軽薄を装っているチャックや、うじうじしているチャックではなく、本当に地の部分に明るくバカな部分があって、それを遠慮なく発揮できる相手がいたらいいなあと。
 

 

サブPC3人の意味

 グレッグ、キャロル、チャックは、V世界の理不尽をそれぞれ体現していると思う。

 グレッグの場合は、カルティケヤによる理不尽で、カルティケヤがニンゲンの渡り鳥なら、グレッグはディーンたちと関わっていかなかったはず。ベルーニ個人による横暴。権力者の理不尽な横暴に、踏みにじられた家族。


 キャロルの場合は、確かにベースには、ベルーニによる搾取があった。けれど実質的にはベルーニでもあるんだけど、ナイトバーンというニンゲンによるものだし、実の両親もニンゲンで。やっぱり根源はベルーニのせい、と言ってしまうこともできなくはないけれど、直接的にはニンゲンで。

 ナイトバーンもキャロルの両親も、ひどい目にあった憤りを、より弱者にぶつけたわけで、やっぱりひどい目にあってるけれど、そういう人すべてが弱者にそのツケを回したかっていうと、普通はやっぱりそうじゃなくて。
 それに優しい教授はベルーニで。


 チャックの場合が、一番ベルーニとニンゲンの、一般的で構造的な理不尽に直接さらされつづけていて。つまり貧乏とか、それによる出稼ぎとか、事故とか病死とか。チャック自身も普通のベルーニの理不尽なルールに翻弄され続けている。
 にもかかわらず「自分は疫病神だ」というのがあるもんだから、怨みや憎しみがベルーニに向かないという、妙なことになっている。