(C)hosoe hiromi
◆細江の趣味 >  ◆ライドウ
 

台風来たりなば

 

 どうやら台風が来たらしい。
 銀楼閣に叩き付ける風雨は呻りとなって、ビルそのものを揺さぶっている。
 ライドウは学校にいったまま、帰って来ない。
 いや、帰って来られないと言った方がいいだろう。電車は止まり、道路はあちこち冠水している。
 通り一本隔てた軽子川の増水具合が甚だしい。
 鳴海は、軽子川商店街の青年団の集まりに出るために、身支度を調える。
 軽子川の氾濫に備え、土嚢を積み上げるのだ。
 鳴海がいる銀楼閣は、一階部分の床が高くなっているからまだいいが、商店街の店舗の大半は、客が入りやすいよう床と路面が同じ高さだ。
 道が冠水すれば、そのまま水が建物の中まで入ってくる。
 店先にまで商品を並べている金王屋は、もう荷物を移動させただろうか?
 鳴海は出がけに、本棚の上に作り付けた小さな神棚に手を合わせる。
「もしライドウが帰って来たら、青年団に行ったと伝えてくれるか?」
 祀られているのは一目連大神。つまりイチモクレンだ。
 なぜかサマナーの能力などない鳴海に懐き、居着いてしまった。
 もちろん鳴海には、その姿も見えなければ、声も聞こえはしない。
 それでも事務所で遊んでいたり、鳴海にじゃれついているらしい事が、時折わかる。
 だから小さな神棚を買ってきて、珈琲など供えて祀ってみた。
 ライドウに聞かなくても、珈琲の湯気が渦をまく様子で、喜んでくれたらしいと解釈した。
 話しかければ、窓を閉め切った事務所の中に、風が吹くこともある。
 はじめの頃は、帽子や書類を飛ばされもしたが、今では頬にフッと息を吹きかけられたような、そんな微妙な風で応えてくれるようにもなった。
 だが、その日の呼びかけに応える風は、吹かなかった。
(そうか。台風だからってイチモクレンが家の中で大人しくしてる理由はないな。なにしろ台風ってのは、イチモクレンの団体さんか、イチモクレンの親分だろう。仲魔が来てるんだから出かけていたとしても不思議はないぞ。いや、あるいは台風だからこそ、ライドウを迎えに行ってるのかもしれん。)
 そう考えた鳴海は、返事代わりのそよ風が吹かないことを不思議にも思わず、出かけていった。
 けれどイチモクレンは、神棚の中にいたのである。

            ***

 神棚のイチモクレンは、鳴海の誤解について、考える。
 彼は、ライドウの仲間のイチモクレンとは、別なのだ。
 サマナーのスカウトなど望めもしない、小さなイチモクレン。
 そんなに重くないものを、飛ばすぐらいしか、できはしない。
 ある日鳴海の帽子が目に止まり、かっさらって飛ばして遊んでいたところ、ライドウのイチモクレンに捕まって、メッってされた。
 そして帽子ごと事務所に連行された。
 イチモクレンにしたら、怒られると思っていたら、鳴海は許してくれるどころか、礼まで言ってくれた。
 イチモクレンの見分けなど、ついていない。
 どこにいるかも、わかっていない。
 だけど確かに、話しかけてくれる。
 自分がいることを、喜んでくれている。
 イチモクレンが起こすささやかな風を、楽しんでくれている。
 神棚を作ってくれて、珈琲をご馳走してくれる。
 祀られるほど立派じゃない、弱くて小さなイチモクレンのために。

 鳴海とお友だちになるまで、先のことを考えたことなどなかった。
 けれど祀られて、初めてそれに相応しいぐらいには、強く大きくなりたいと思い始めた。
 だからライドウと一緒に戦っている立派なイチモクレンに、尋ねてみた。
 どうやったら、そんなに強く大きくなれるのか? と。
『ライドウと一緒に戦うことだ。戦って自分を鍛えることだ』
 だが小さなイチモクレンは、その一歩を踏み出すにも小さすぎる。
 どうやって戦えるほど強く大きくなったのかと、再度尋ねた。
『わからん』と、答えられた。
『お前のように小さく弱く、気ままに遊んでいた頃が、あったような気もする。
 大きな屋敷の中にいたような気もする。そうでない気もする。
 別の悪魔であったようでもあるが、あの悪魔であったようでもあり、この悪魔であったようでもあり、その別の姿で、やはりライドウと戦っていたような気もしないではない。
 オレは業魔殿で生まれ、戦う力を備えていた。
 そして戦い、ますます強くなったのだ』
 小さなイチモクレンは、人の嘆きのため息のようにしょんぼりした。
 年を経た悪魔が、口を挟む。
『慌てずともワシらには時がある。長き年月は、欲しいものを与えてくれるもんじゃ』
 そのときイチモクレンは、もう一つ気がついた。
 悪魔の中には、ぶっ通しだったり、転生を繰り返したりはいろいろだが、数千年を越えて存在し続ける者もいる。
 だが人は、すぐに死んで消えてしまうのだ。
 女悪魔が、くちばしを挟む。
『そうとも限りませんえ。この身のように狂おしい情念に人の心を失って悪魔と化する者も、こうしてありんす』
 心を失ってしまったなら、それはもう元の鳴海と言えるだろうか?
 そのへんは、小さなイチモクレンにはわからなかったが、心を失うほど鳴海が苦しむのは、見たくはなかった。

 銀楼閣の周辺では、上空の巨大なイチモクレンと行動を共にする無数のイチモクレンたちが、絡み合いながら乱舞している。
 鳴海の想像通り、台風はことさら強く巨大なイチモクレンだ。
 だが自分と同じというには、格が違いすぎる。
 文字通り雲の上の存在で、人間たちにも巷の多くの悪魔たちにも影響力を及ぼす大物。
 大きさだって、帝都をすっぽり覆って余りある。
 桁違いとはこのことだ。
 見なくても、その存在と息吹を感じた。
 人づきあいなどしたことのない、原初の力そのもののイチモクレンたちだ。
 その中に飛び込みたかった。
 共に踊れば、大きな力の一部が分け与えられるだろう。
 だが飛び込んでしまったが最後、鳴海のことも全て忘れ、戻ってこれないような気がするのだ。
 そんな筈はない。
 けれど、そんな気がした。
 なんだか怖い。
 ライドウが、ライドウのイチモクレンが、そして鳴海が早く帰ってこないだろうか?
 上空と銀楼閣の周囲のイチモクレンたちが作り出す大きな呻りが呼んでいる。
 けれどイチモクレンは、神棚の中で縮こまっていた。

         ***

「ライドウくん! いるかいッ! 鳴海さんが大変だッ!」
 突然事務所の扉が叩かれ、イチモクレンは飛び上がる。
 扉を叩いた者は、すぐに留守と気づいて、また駈けだしていく。
 イチモクレンはすぐさま扉をすり抜けて、その男にしがみつく。
「うわっぷ!」
 男は突風に顔をしかめるが、片腕で雨風を避けながら、走り続ける。
 外はまだ昼であるはずなのに、夜のように、あるいは異界のように暗かった。
 イチモクレンには、走る男とは、別の景色が見えている。
 氾濫寸前の軽子川ではしゃぐ、水に親しい銀氷族の悪魔たち。
 空を埋め尽くさんばかりに乱舞する、同族の悪魔たち。
 男はやがて、丑込め返り橋までやってくる。
 すでに多くの男たちが集まっていて、川を覗き込んでいる。
 水の中に、鳴海がいた。
 飛び込むような勢いで、イチモクレンが鳴海に近づけば、彼がぐったりとした男を右手に抱え、左手で橋脚にしがみつき、歯を食いしばっているとわかる。
 見物人の中から、悲鳴ような女の叫びが上がる。
「鳴海さぁん! もううちの人のことはあきらめてくださいまし! もう充分、充分ですよぉ!」
 女は祈るように、鳴海に向かって両手を合わせて、そして目を固く閉じている。
 普段の鳴海なら、かなりの危険であったとしても余裕があるようなふりをして、大丈夫だから待ってなさいとでも言っただろう。
 だが鳴海はただ歯を食いしばり、上流を睨み付けている。
 上流から、いろいろなものが流れてくるのだ。
 木ぎれや材木や、根こそぎ流れ出した草や木や。
 それらは橋脚にひっかかり、互いに絡み合って水をせき止めてしまいかねない。そうなれば川は氾濫し、橋は流される。
 そして流された橋は、木ぎれや材木となり、さらに下流の橋を流しながら被害を出す。
 だからどうした? 
 今までイチモクレンは、それを気にもしなかった。
 だが今は、そのただ中に鳴海がいる。
『ひゃっホー!』
『いくホー!』
 流れてくる材木に乗って、銀氷族の悪魔が遊んでいる。
 そして鳴海のすぐ横を、ギリギリですり抜けていく。
『なにすんだよー!』
『邪魔だホー!』
 イチモクレンの文句など気にせず、銀氷族の悪魔はみるみる川下へと流れていく。
 たぶん何度か、ああいうものが鳴海にぶつかったのだ。
 けれど鳴海は、それに耐えるしかないのだ。
 だからあんなに歯を食いしばって、上流を睨み付けているのだ。
『ちょっとチビちゃん、あんたはあっち! オバチャンたちの邪魔しないの』
 突然掴まれ、風吹きすさぶ空へと投げ捨てられる。
 上空から見下ろせば、集まっている人々が口々に叫んでいる。
「ロープはまだか!」
「下流にもロープを張れ!」
 ライドウがいてくれたら! とイチモクレンはその姿を探す。
 サマナーのライドウであれば、どんな代償を川で遊ぶあの悪魔たちに払うことになったとしても、鳴海のために交渉してくれるだろう。
 いや、ライドウの仲魔の銀氷族の悪魔なら話も通じやすい筈だし、直接助けることだって出来るかもしれない。
「橋を空けろーッ!」
 二人を助けるために、人間たちが無茶をし始める。
 どうやら橋の上から梯子を下ろそうというらしい。
 橋は、すでにギシギシと音を立てて軋んでいる。
 欄干に縛り付けられた梯子を、身体にロープを結びつけた男が、降りていく。
 男が手を伸ばすが、鳴海たちまでには距離がある。
 鳴海が精一杯、抱えた男を梯子の男に向かって押し上げる。
 鳴海にぶつかる水の抵抗が増す。
 水が冷え切っている。
 鳴海は疲れきり、そして銀氷族の悪魔たちは気にもせず、必死の人間たちをからかうように、そのすぐ近くを水を蹴立てて駆け抜けていく。
 意識のない男の襟首を梯子の男が掴んだ瞬間、ついに鳴海が流された。
 梯子の男に、鳴海を助ける余裕はない。
 イチモクレンは、その目を見開く。
 流された鳴海の身体が、がくんと止まり、なんとか鳴海は水上に頭を出す。
 下流に用意されていた川を横切るロープに、ひっかかるように捕まったのだ。
「ロープを伝って来られるかーッ!」
 だが鳴海は、声も上げられないほど精根尽き果てている。
 つかまっているのが、精一杯なのだ。
 再び身体にロープを結びつけた男が、川に張ったロープ伝いに鳴海を救出に向かおうとするが、水の流れと漂流物に妨害されて進むことができず、引き返す。
 鳴海の命綱となっているロープにも、様々な物が引っかかり始める。
「別のロープを投げろーッ!」
 先に輪を作ったロープが投げ込まれる。
 が、投げられる先から何体ものイチモクレンが面白がって取り憑き引っ張り合うため、鳴海の手元には届かず明後日の方へと行ってしまう。
『やめて! やめて!』
 小さなイチモクレンも、その争奪戦に参加するが、興奮しきったイチモクレンたちは、その話を聞こうともしない。
「くそッ! 風が強すぎるッ!」
 誰もが絶望的な気持ちになりつつ、何度も鳴海に向かってロープが投げ込まれる。
 だがそれは、何のためのロープであるかなど気にもしない、より多くのイチモクレンたちを、集めるばかりのようだった。
 小さなイチモクレンは、天を見上げる。
 そこには空を飛び交うイチモクレンたちと、空全体を覆う大きなイチモクレンの姿がある。
 ロープ争奪戦から飛び出した小さなイチモクレンは、ひたすらに天を目指して飛びながら、声を張り上げる。
『お願い! 助けて! ほんの少しだけ、みんなを止めてッ!』
 小さなイチモクレンの声など、空を舞い踊る狂騒の中では、僅かにも届きはしない。
 けれど小さなイチモクレンは、幾度も幾度も叫びながら空を目指す。
 空の大きなイチモクレンの所まで、いったいどれほどの距離があるものか?
 そんなことは、考えつきもしなかった。
 小さなイチモクレンは、ただ濃い灰色一面の空に向かって飛び、叫び続ける。
 それを気にするモノは、一体もない。

 唐突に、風が変った。
 小さなイチモクレンが見上げていた灰色一色の空の中心が、僅かに明るくなったのだ。
 それはみるまに明るさを増し、濃い灰色から灰色に灰色から輝くばかりの白に変る。
 乱舞していたイチモクレンたちも、それに気づいて空を見上げる。
 唐突に雲に穴が開き、光が溢れた。
 重苦しい空にぽっかりあいた丸い穴の向こうに青空が輝いた。
 まるで夜のようだったこの世界が、まだ真昼であることを思い出す。
 あまりにも眩しいからだろう。何事かと上空を向いていたイチモクレンたちが、一斉にその目を閉じる。
『ありがとう! ありがとう!』
 ただ小さなイチモクレンだけは、すでに空に背を向けて、礼を叫びながら鳴海の元へと急いでいた。

「台風の目が開いたぞッ!」
「風が止んだっ! 今のうちだ! 急げ!」
「気をしっかり持つんじャ!」
「鳴海さん!」
 大勢が、鳴海に呼びかけている。
 だがすでに、鳴海の眼差しからは、生気が失われていた。
 風は止んだが、水の流れは相変わらずで、それどころかさらに増水しつつある。
 鳴海のかなり近くまでロープは届くのだが、鳴海がそれを掴むことができないのだ。
 水に落ちたロープは、またたくまに銀氷族の悪魔たちに浚われてしまう。
 周囲の人々の呼びかけが、悲鳴と落胆に変りつつある。
 ふっと鳴海は空を見上げ、まるで別れの挨拶をするかのように片手を上げると、がっくりと首を垂れた。
 もう、川に渡されたロープにつかまる力もないのか、引っかかっているだけの状態で、今にも水の中に引きずり込まれそうになっている。
 その時、突風が巻き起こった。
 風は、引き上げられていた水を吸った重いロープを吹き飛ばし、鳴海に向かって一直線にその先端を伸ばしていくと、まるで意志があるかのように、鳴海の上げた片手にクルクルと巻き付いていく。
「今だッ!」
 一瞬の出来事にあっけに取られていた人々が、そのロープのもう一端を引っ張り始める。
 鳴海はそのロープを掴んですらいない。巻き付いているだけで、今にも解けそうだ。
 一刻の猶予もなく、運を天に任せ、ただ人々は引っ張ることしかできなかった。
 ロープは、岸から伸ばされた何本もの手が鳴海の身体をつかみ取るまで、しっかり腕に巻き付いていた。
 小さなイチモクレンは最後まで、腕とロープにしがみつき、それを解かせはしなかった。

        ***

「鳴海さん、いつも自分は怪しいの専門の探偵だからって、普通の素行調査とか断っちゃってるでしょ。だから何して喰ってるんだって町内でも怪しんでた人がいたわけ」
「そりゃまあタヱちゃん、怪しいの専門の探偵が、怪しいのは当然でしょう」
 一夜明けて、鳴海の入院先に、帝都新報のタヱが見舞いにやってきた。
 電話も電気も電車もあらかた止まっている中をだから、なかなか大変なことである。
 ライドウの方は当日夜遅く帰り着き、鳴海の着替えなどをここへ運んびつつ見舞った後は、徹夜のまま今は被害の出たご近所の後片付けに行っている。
 軽子川は氾濫を免れ、丑込め返り橋も流されずに済んで、めでたしめでたしだ。
 もちろん怪我人は鳴海以外にも数名出ているし、瓦は吹っ飛んで雨漏りするし、吹っ飛んできた瓦が雨戸を突き破ったりしている。
 だが台風とは、そういうものだ。
 筑土町で死者が出なかったのは、奇跡的といってもいい。
 鳴海が助けたあの男も、すでに息を吹き返している。
「もう、葵鳥ですって。けどまあ今日は、大活躍と怪我に免じて許してあげる。
 で、その活躍を、町内会のみなさんに何度も聞かされたわ。鳴海さんが魔法を使ったったって言い出してる人がいたわよ」
「魔法?」
「手のひとふりで、ロープを呼び寄せたって。誰も触ってないロープがビューンって」
 鳴海は本気で首をひねる。
「ああ、あれか。大体は聞いてる。誰かが投げたか風で飛んだロープが、運良くオレの手に絡みついたんで、そのまま引っ張り上げたって。だけどそのあたり、まるで記憶にないんだよ」
「全然?」
「全然まったくカケラもない。ただ意識が途切れかけた時、急に頭上が明るくなったのは覚えてる。その明るいのを掴もうとして、そっから先の記憶がない。天国でものぞき見しちまったかな」
「それは夢じゃないと思うわ。鳴海さんが助かる直前、突然真上に台風の目が開いたんですって。パァって明るくなって、ピタリと風も止まって、そしたら鳴海さんが手をあげて、そこにロープが絡んだそうよ。
 不思議なのは、台風の目って普通移動してくるもんじゃない? 突然ぽっかり空いて、鳴海さんを引き上げた直後に閉じて、暴風雨が戻って来た。そのことも鳴海魔法使い説を補強してるわ」
「そうか! わかったぞ! イタタタタ」
 鳴海はてのひらにポンと拳を打ち付けようとして、痛みに顔をしかめて突っ伏す。
「何が」
「いやぁ、最近事務所にイチモクレンを祀ったんだ。風の神様さ。あいつが助けてくれたに違いない」
「あいつ? 神様をあいつ呼ばわり? で、ロープと青空の奇跡は、その神様の御利益だっていうの? 話的には面白いわね」
 どうやらタヱは、鳴海が冗談を言っていると思ったようだ。
 だが構わずメモ帳を取り出したタヱに、鳴海は渋い顔をする。
「おいおい、帝都新報はいつからこんな怪しい話を扱うようになったんだ?」
「何言ってるのよ。私は筑土町の人命救助のヒーローを、取材しに来たんですからね」
「あんまり有名になりたくないんだけどなあ。探偵が名前も顔も知られてちゃ、調査にさしつかえるだろ?」
「しかたないわね。じゃあ『筑土町の人命救助の英雄は、謙虚にその活躍を、祀っている』えーっと、何だったかしら」
「一目連大神。数字の一に目玉の目、連なるに大きな神」
「『一目連大神のおかげだからと、強く匿名を希望した』でいいかしら」
「恩に着るよタヱちゃん」
「感謝の気持ちがあるなら、葵鳥って呼んで欲しいんだけど」
「あとライドウが金王屋あたりにいるはずだから、イチモクレンに、珈琲上げといてって伝えておいてくれないか?」
「珈琲? 鳴海さん。神様に珈琲あげてるの?」
 驚くタヱに、鳴海はニンマリ笑って見せた。

 

 金王屋の奥で、金王屋の店主とヴィクトルが言い争っている。
「ライドウ! 我が業魔殿の水かきは、いつ手伝ってくれるのだ!」
「ヴィクトル! ライドウは屋根の上だ! 穴蔵から声は届かんぞッ! 科学の力とやらで何とかしたらどうじャ! でなければいつもの妙な手伝いの連中はどうした!」
「おぉ! なんたる悲劇! そもそも電気が止まっておるのだ! 電動ポンプが使えん! たとえ電気が来たとしても、水が引き装置が動かせねば手伝いは呼べん! 装置が動かば手伝いはいらぬ!」
「なんじゃ、電話でも水に浸かって壊れたか。なに壊れてなくとも今電話は通じんわい。にしても大げさなヤツじャ! ワシが手伝ってやる!」
「なんとッ!」
「このワシが手伝うのだ、感謝せぇ!」
「いやご老体、それだけはやめてくれ」
「何がご老体じャ。お前の方が歳だろうが。それともこのような事態となっても当初の約束通り、ワシにさえ地下室に入れはせんと言うかッ!」
「そうではない! 金にならねば舌さえ出さぬ金王屋の主がそのような事をすれば、今度は風雨などではなく、雪なり槍が降ってくるぞッ!」
「ええい、ではどうしろと言うのだ! ライドウは貸さんぞ! 所詮屋根の修理を先にせねば次の雨でまた水は入るのだ! 屋根が先だ屋根がッ!」
「話だけでもさせてくれ! ライドウの仲魔を貸してもらえばそれですむのだ!」
「ライドウの仲間? わかった、ライドウ! ちょいと来てくれんか!」
 金王屋の店主は、竿竹で天井の梁をガシガシ突いて呼ぶ。
 梯子を下りてきたライドウは、いつもの帽子に、いつものズボン。
 ゴウトが一緒なのも、いつものままだ。
 だが今日は、上半身はシャツ一枚。
「ライドウ! なんという恰好をしているのだッ!」
「昨日の今日だ。別におかしくはないだろう」
 そのころライドウの上着と外套は、銀楼閣の屋上の物干し台で、イチモクレンが送る風を受け、気持ちよさそうに翻っていた。