2001梅雨
もの書きは、会社員とも、小売り業とも、違います。
何が違うって、生活のパターンが違います。
収入のパターンも違います。
よって、生活設計も違ってきます。
参考まで、私の場合です。
もの書きの生涯設計。
もの書きになりたいと考えている人の中には、その時その時で全力投球さえしていればいいと思っている人が、少なくありません。
今あなたは健康で、扶養しなければならない家族もなく、自分の健康や生活に無理をさせることが可能かもしれません。そうした状況にものを言わせて、実績を作ってしまう時期があってもいいかもしれまえんが、ずっともの書きを続けるつもりなら、それがずっと可能だと考えることは、できないのです。
今あなたが二十歳なら、十年後はまだ今とさほど変わらないかもしれません。
しかし二十年後や三十年後は、どうでしょう?
そんな先の社会情勢など、私にだってわかりません。
けれど時間だけは確実に過ぎていくのです。
あなたも、あなたの両親もその分だけ老け、収入を失ったり、あなたも両親も体力が落ち、病気にもなりやすくなり、一方扶養しなければならない新家族が、増えているかもしれないのです。事故や災害だって、長い間身に降りかからないという保障はありません。
そして、一年の収入が増えたとしても、もの書きに退職金もなければ、休業保険も、年功序列で収入がアップすることもないのです。
けれどサラリーマンだって、会社がプールした社員が稼いだお金を、ちょっとづつ貰っているにすぎません。退職金だって、そのストックを一度に貰っているに過ぎないのです。
そして預けてある金は、自分の自由にはなりません。いつのまにか経営陣が失敗していて、そのお金を使ってしまい会社は倒産、溜まっていた有給休暇も、来月もらうはずだったボーナスも露と消え、これから高給を貰うはずの時期に失業し、さりとて転職もできないけれど、ローンだけは残っている、ということだってありえます。
少なくとももの書きなら、いえ自営業者なら、自分で備え把握することができるのです。
もちろん三十年後や四十年後、私たちがどのような状況に置かれているかは、わかりません。備えが必ず役に立つとは、言えません。
保険会社だって銀行だって、潰れるときは潰れます。
それでも、無視することはできませんから、できるかぎりリスクを分散しつつ、蓄えるしかなさそうです。
もの書きの一年。
もの書きの仕事に、月給はありません。
今手をつけた仕事の収入を得られるのは、丸一年先なんていうことも、めずらしくはありません。しかも給料ほどは確実というわけでもありません。
雑誌連載していたら、打ち切りや廃刊になったとか、出版計画が、なし崩しに遅れまくった上に、消えてしまったとか、出版社が倒産した、なんてこともあります。
そんな相手の理由ばかりでなく、ある日突然書くのが嫌になる、書けなくなる、なんてことも、あるのです。
病気だろうが、スランプだろうが、書けなければ収入は途絶えます。
書いたのに、「出版できません」などと編集者に言われることもあります。
言われて当然なほど、書いたものの出来が悪いこともあります。
出版社が、いきなり倒産することおあります。
相手のミスを一方的に押し付けられることもあります。
常に泣き寝入りする必要はありません。今後仕事がこなくなるんじゃないか? と恐れて泣き寝入りしている中には、冷静に考えたらこれ以上付き合いを続けてもメリットはまったくなく、それどころかデメリットばかり、ということもありますし、穏便に話し合うべき時も、はっきり抗議すべきときもあります。
けれど、誰にもどうしようもない状況だろうが、抗議するべき状況だろうが、トラブルが起きれば、とりあえず収入が遅延したり、減ったり、途絶えたりするのです。
はっきりいって、そんなことは、よくあります。
そして、最悪の抗議すべき状況で、裁判になり、勝訴したとしても、かなりの手間と時間を取られた上に、本来の全額は手に入らないものです。
出版社が倒産して、その原稿を丸ごと他の出版社に引き受けてもらえることになっても、収入は確実に遅延します。
とにもかくにも、トラブルは発生し、一年の予定なんか、あっというまにめちゃくちゃになってしまいます。
それを乗り越えるためにも、蓄えは必要です。
予定通りだった我が家ですら、昨年末のダンナの本から、10月の私の本まで、本が出てません。そのかわり、10月から年末年始にかけてダンナの本も私の本も連続する予定ですが、その分の印税が入るのは11月末ごろからの予定というわけです。
もの書きの一ヶ月。
書籍中心でシングルタスクでしか引き受けていないと、仕事のスケジュールやON-OFFは、月単位になりがちです。
一旦仕事が終わると、次の仕事が入ってなければ、仕事の再開は明日かもしれないし、半年後かもしれないし、もしかするとずーっと無いかもしれない……。
そして仕事が入れば、最低でも一ヶ月は仕事をし続けることになります。
書籍の場合、発売日は月単位であることが多いので、締め切りも月単位になります。
そして締め切りには、何日かの余裕を持たせてあります。
何日かは、入校が遅れることが多いですし、それぞれのもの書きが、一斉に原稿を入校してきても、編集部は一度に全部、対応しきれません。理想としては、順番に入校されてきたものを、順番に編集したいわけです。
ところが、絶対にそうした計画は、うまくいきません。
大半のもの書きは、余裕を越えて遅らせてしまいます。早く書いた人でも、書いてしばらくすると、書き直したくなってしまうからです。
編集の方でも、早めに入校されたものがあると、遅くなった物の代わりに、先に出してしまうことがあります。
毎月の発売日に一定数の本を出す、ということが、書店で棚を確保するために、とても重要だからです。多すぎても、少なすぎても、いけません。
予定通りにいかないことを計算に入れて、毎月一定数の出版物が発行されるようにするのが、編集者の腕と言えるでしょう。
もちろん編集者は、いつまでも待ってくれるわけでは、ないのです。
もの書きの一週間。
もちろん、もの書きには平日も休日もありません。ですから、何曜日に仕事をしようが、関係ありません。
もっとも育児中は、保育園も幼稚園もない休日に、もの書く仕事はできません。
編集部は、ほとんど土日は休みです。でも、出社している場合も、よくあります。
まあ最近は、時間や曜日に関係なく、メールしておけばいいので、助かります。
もの書きの一日。
もの書きには、一日のノルマというものは、ほとんどありません。自主的に決めることもできますが、絶対にその日のうちにやらなければならない仕事というのは、締め切りが迫っていない限り、ないのです。
一日のうち、いつ仕事をするかも、自由裁量です。
楽そうですが、実はそうではありません。
つまりそれは、「(自分のための)仕事があるから」と、家庭や地域社会の仕事を断る理由に、できないということです。
そういった仕事を放り出し、やりたいもの書き業だけに専念する……、というのでは、社会人として未熟で、生活しているとは言えません。
特に家事は、平日の日中にしかできないものもありますし、育児中は子供の時間に合わせなければなりませんし、無理をして倒れるわけにもいかないのです。
ちなみに、もの書きが昼夜逆転する必要は、ありません。けれども同業者も編集部も、大半は、午後からでないと連絡すらつきません。けれども、深夜まで連絡がつくことが、よくあります。今はメールがあるので、便利になりました。
もの書きの一時間。
書籍の場合、一時間単位の仕事というものは、あまりまりません。
しかし、ないわけではありません。
雑誌だと、もっと頻繁に響いてきます。
一日二十四時間の、どの一時間でも同じというのは、ある意味問題です。
結局は、後でも書けると時間を譲れない家事にかまけているうちに、自分に無理をかけていることが、よくあります。
もの書きの五分。 で、ご飯の支度に後片付けに、掃除洗濯子供の送り迎え、その他雑用を差っぴいて、ぶっ倒れない程度に睡眠時間を取ろうとすると、結局五分単位で時間が貴重なものになってしまうというわけです。