角川スニーカー文庫の、「ルナ2 レミーナただいま修業中」の、三話と四話の間の話。「レミーナ」は、最初から5本書いて4本使うつもりだったので、こういう没が発生した。ちなみにこれは、完成に近い下書きであり、完成版ではないため、本編とは矛盾・重複する部分や、荒削りな部分がありますので、ご了承ください。
魔法世界ルナ。
ルナの天には、月がない。
それにかわるのが、青き星だ。
星といっても、見かけの大きさは、私たちの世界の月よりも、ずっと大きい。
さらに、昇ったり沈んだりはせず、夜も昼も天の一角にじっとしている。
じっとはしているけれども、変化に富んでいる。
まず、正午には新月ならぬ新青となって姿を隠している。
日の傾きと共に少しづつ姿を現し、夕方半青となり、真夜中ついに満青となり、夜のルナを光々と照らす。
その後少しずつかけてゆき、夜明けに半青となり、そして正午再び新青となる。
さらにその表面の模様も、青き星の自転と雲によって、刻々と千差万別に変化する。
ルナの人々は、この青き星を大切に想う。
人は昔、青き星からアルテナ様に連れられて、ルナへとやってきた。
それぞれの魂も、青き星からやってきて生を得て、最後には青き星へ還っていく。
ルナの人々は、常に世界と人々を見守る青き星と、常に世界と人々を見守る女神アルテナの姿を重ね合わせ、青き星を見上げて、自分の想いをそこに映す。
それは、ルナを去った誰かの魂のことかもしれないが、年頃のルナの少女であれば、青き星を見て想うのは、ルナで魂を寄り添わせる相手の……、つまり恋の行方というのが、定番だ。
ヴェーンの穏やかな昼下がり。
レミーナは窓辺で、ほとんど空の青にとけ込んでいる青き星を見上げながら、ため息なぞをついている。
「あ、あのぉ」
窓の外から、遠慮がちに声をかけたのは、オーサ家に借金作って居候している、神官少年のティオである。
「なに?」
気の抜けた声で返事をしてから、レミーナはティオが持っている物を見て、ハッとした。
「ティオ……。何してたの……」
「え? あの、洗濯物干しですけど……」
ティオは手にした空の洗濯カゴに目をやってから、そう言って、その直後しまった! という顔をした。
「それはやらなくて、いいっていったでしょーッ!」
叫ぶレミーナは、真っ赤である。
「す、すみません! でも早く干さないと夕方までに乾かないしッ!」
答えるティオも、真っ赤である。
いくらレミーナが、世間からはごうつくばりだとか、ケチんぼだとか、しみったれとか言われていたとしても、男の子に自分の下着を干してもらって、平気でいられるような神経は、していない。(だいたい、それとこれとは、関係がない。)
「だったら私に、いいなさいッ!」
と叫ぶレミーナに、
「ごめんなさいッ! レミーナさん、忙しそうだったからッ!」
と叫び返しつつ、カゴを抱えて庭を逃げていくティオを見送りながら、ふぅ、と、ため息をついてから、目を覚まそうとでもするかのように、プルプルと首を振った。
「あーもう、何考えてたんだか、忘れちゃったわ!」
実際には、忘れたわけじゃない。
ただ、空の青にとけ込みそうな新青の青き星を眺めながらふと「青き星が、夜その輝きを増すように、世界の危機が訪れれば、魔法ギルドも必要とされて、その輝きも増すのに……」と、考えたのだ。
だけどそれじゃあ、まるで世界の危機を望んでいるみたいで、それはいくらなんでも魔法ギルドの当主らしくないと、レミーナは忘れることにしたのである。
長年、世界の平和の礎となってきた魔法ギルドをまとめるオーサ家も、ルナ史はじまっていらいの永い平和の中で、名前だけの没落名家となりはてている。
ティオは、自分に与えられた部屋で、近所の人から引きうけた、古着の仕立て直しをしていた。
裁縫の腕とスピード、そして服に対するセンスが近所で認められ、ヴェーンの人ばかりか、近郊の猟師や樵たちまでもが、古着をティオのところに持ち込んでくる。
ティオとしては、本業である神官の仕事以外のことで、お金を貰うつもりはなかったけれども、レミーナとラムスに説得された。
……こんなふうに……。
「ティオ君。夫を亡くした後、裁縫で子供を育てている人のことを考えてごらん。キミは裁縫がうまい上にタダだ。するとその人の仕事が減っていくんだよ」
「え……。ボク、そこまで考えたこと、ありませんでした。わかりました。すぐにお裁縫を引きうけるのは、やめにします」
「なにバカなこといってんのよ! そんなこと考えてたら、お金儲けなんて、なんにもできないじゃない!」
「え、でも、ボクがやることで、誰かを困らせるなんて……」
「ティオが稼がないなら、私が困るわ! お金返す気がないっていうの! 私なら困らせてもいいっていうの!」
「まあまあ、レミーナちゃん。誰もが豊かになるのが、商売の理想ってものだよ。ティオ君も稼いでお金を返せばいいし、その誰かも稼げばいい」
「だったら間違いなく、オーサ家の借金は、絶対その誰かの借金より多いはずよ。割合でいったら、私の方が困ってるわ」
……そのレミーナの読みは、間違ってはいない。
オーサ家の借財は、半端ではないのだ。
それを聞いてラムスはアハハと、朗らかに笑う。
「借金も財産のうちってね」
つまり、借金をしていられるうちは、信用があるということだ。
だけどレミーナ自身は、ラムスの言葉の意味を捉えきれず、首をひねっている。
商売人にとって、もっとも重要なのは、実のところお金ではない。財産をお金のまま持っているだけでは、死に金だ。お金は運用して初めて生きてくる。そして運用のために必要なのが信用なのだ。
借金は信用の証なのである。
ちなみにレミーナを信用してお金を貸しているのは、ラムス自身。
いや……もしかすると、このラムスのレミーナへの評価は、チロの毛皮のように、実体のないものかもしれない。そしたらレミーナがぽしゃりったとたん、ラムスはレミーナの家財全てを差し押さえでもしないかぎり、信用を失ってぽしゃることになる。
いや、レミーナの維持費ばかりかかる古くて大きな屋敷にも、ラムスが貸しているお金ほどの価値は、ないかもしれない。
ということは、やっぱりラムスは、レミーナ自身の将来を信じたといっても、いいだろう。
商売の原則からいえば、リスクは分散すべきで、こんなにも個人によりかかった信用貸しは、すべきではない。
それに、メリビア一の老舗であるラムス商会も、ラムスの父が旅から帰らず、祖父が商売に失敗してから、かなり厳しい自転車操業が続いている。
稼いだお金をすぐさま支払いに宛て、なんとかやっているのである。
少しでもお金の流れを滞らせたり、誰かを不安がらせて信用を失えば、あっというまに出ていくお金が入ってくるお金よりも多くなって、ラムス商会はその歴史を閉じるだろうという、切羽詰まった状況なのだ。
もちろん、だからといってラムスはそれを、おくびにも出しはしない。
ニコニコ笑顔と小太り体型、実際よりも年上に見えないこともないおっさん臭い態度で、いかにも大丈夫という印象を与え、信用をつなぎとめているのである。
そのニコニコ顔で、ラムスはぽんぽんとティオの肩を叩きながら、こう言った。
「ティオ君。ボクはキミの仕立ての代金は、もっと高くすべきだと思うよ」
「え、……でも」
「そりゃあ、少しでもいい物を、少しでも安く提供するのが、商人の仕事さ。商人がやり方を工夫し競争して、世の中は良くなっていくんだ。だけどその競争で、キミはズルをしている」
「え? ボク、そんなことしてません」
「キミが安く裁縫を引きうけられるのは、キミに養う家族も生活の心配もないからなんだよ。その分安く仕事を引き受けているあたりが、ズルなんだ」
「あ……」
実際には、衣食住どころか、針も糸もハギレまで、オーサ家のを使っている。
そして稼いだお金は生活費の一部としてオーサ家に収めているが、じゃあその金額で一人暮しをしろといわれたら、部屋代どころか食費も捻出できないだろうという額にすぎない。
ましてや養うべき家族がいたら……。
ラムスは、そのことに気づいたティオに、大きく頷いた。
「裁縫を生活の支えにしている人たちを苦しめない方法で、ティオ君は仕事を引き受けるべきだと思うね。そのためには正当なる技術と労働の対価を、受け取ることさ」
とまあこんなわけで、ティオは裁縫仕事をときたま引き受けたりしているわけだ。
……弁済金の返済には、及ばないけれども……。
話しはもとに戻り……。
「ティオー!」
レミーナの呼び声に、ティオは手を止めた。
「は、はい! ごめんなさい!」
あきれ顔のレミーナが、部屋に入ってくる。
「そのあやまり癖、なんとかならないの? まるで私が、ティオをいじめてるみたいじゃないの」
ティオは赤くなりながらうつむいた。
「え、えーっと、そうじゃなくって、勝手に洗濯物を干して、ゴメンなさい!」
ティオはレミーナに言われるまで、自分が干した洗濯物について、完全に「洗濯物」としてしか、意識していなかった。
ところが言われたとたん、恥ずかしいやら、罪悪感やらで、いまだドキドキしている。
一方レミーナは、すでになんでもないっていう顔だ。
そういうフリをしているのではなく、もともと気持ちの切り替えが早いのである。
「ティオ。もうそれはいいから、それよりさっきは、何か用だったんじゃないの?」
「あ、はい。古着の仕立て直しに来たボエ村のサリーさんが、ロイブ村のコープさんから聞いたそうなんですけど、カリス村に怪物が出たそうなんですよ」
「またそういう話?」
魔法世界ルナには、幽霊や魔物のたぐいが実在する。
だから、怪物が出ることも、あるにはある。
が、いかんせんルナにはTVも電話もない。
ニュースは人から人へと伝えられるうち、ひねくりまわされて、こねくりまわされて、原型をとどめなくなる。
歴史と伝統ある魔法ギルドの、栄光の時代であれば、そういったニュースがあれば、真っ先に魔法ギルドが掛けつけて、真相を解明し、事件を解決し、人々の尊敬を得た。
だけど、最近は平和だし、魔法ギルドも腕の振るいようがないわ、と、レミーナがティオにこぼしてからこっち、ティオはそういう話を聞くたび、さっそくレミーナに教えることにしているのだ。
また、といわれてティオはちょっとスネた顔をする。
「またって、今度こそ間違いないですよ。だって、サリーさんがコープさんから聞いたんですから」
と、まるで自分が見たようなことを言う。
「そうはいうけど、ティオが仕入れてきた話に、まともなのがあったためしが、ないじゃないの。私がちょっと調べたら、何十年も前の話だったり、すでに解決されてたり、根も葉もない噂だったり、いつどこで起きたのかさっぱりわからなかったり。
それに喋る火吹きネコとか、呪われた村とか、子供をさらって戦闘員にして世界征服を企む仮面の男とか、私に何をしろっていうのよ。ネコには喋らせておけばいいし、呪いを解くのは神官の仕事だし、子供を集めて世界征服ができるなら、やって見せて欲しいものだわ。こないだの人面犬の話なんか、調べたら犬面人のことだったじゃない。犬系の獣人族が歩いてたからって、なんだっていうわけ?」
「でも……、カリス村の人が困ってるんです。もし本当だったら……」
瞳を潤ませながら、レミーナに助けを求めるように見上げるティオに、レミーナは困った顔でワシワシと自分の髪をかきあげた。
「どうしろっていうのよ」
「あ?」
突然ティオが、凍りつく。
魔法ギルドは、いまやレミーナ一人。
いくら魔法ギルドの理念や理想がどうであっても、怪物をなんとかしろというのは、レミーナに怪物退治をしろというのと、同じである。
ティオが手伝ったとしても……、14才の女の子と、13才の男の子では、怪物に襲われる役が、せいぜいである。
その三日後。
メリビアのラムス商会。
レミーナはティオを連れて、メリビアにいた。
簡単なマジックアイテムを、売るためだ。
簡単なというのは、レミーナが魔法を掛けたアイテムを一工夫したもので、そんなに持たないという特徴がある。
本格的なマジックアイテムほどの高値は付かないが、仕組みが単純な分作りやすく、効果にも間違いがない。
光る木の実。
これはドングリに光の魔法を掛けて、さらに封印を施したものだ。
買った人が封印を解くと、その後しばらく輝き続ける。
一晩用、三日用、1週間用とあり、光る期間が短いほど明るく輝く。
熱い鍋は、鍋に火の魔法を掛けて、封印したものだ。
封印を解くと、鍋が熱くなる。
保温用と、煮炊き用の2種類がある。
冷たい水差しは、氷の魔法を掛けて、封印したものだ。
入れた水が、いつまでも冷たい。
ただ、光る木の実以外は持ち運びが不便なのと、使う方だってそのたびに鍋や水差しが増えていくのでは面倒なので、ラムス商会がお客にレンタルする仕掛けになっている。
一度売った鍋や水差しは、魔力が切れてから再びラムス商会に集められ、レミーナがそれに魔法を掛けなおし、用意してきた封印用紙を張りつけて完成させるというわけだ。
メリビアでは、この鍋を使った海鮮魔法鍋という料理が、流行つつある。
いつのまにか、『歴史と伝統のヴェーンに古くから伝わる健康にもいい魔法料理』ということになってしまっているのは、ご愛嬌だろう。
もちろんヴェーンでは、昔からこうした道具を使ってはいたけれども、どんな鍋で作ろうが、海鮮鍋は海鮮鍋、シチューはシチューである。
それはともかく、おかげでオーサ家の家計は安定しつつある。
ただしレミーナは、ラムス商会に到着したとたん、倉庫に閉じこもって魔法の掛けまくり。魔法力がつきた時に、広場のアルテナ様の像までお参りに行くだけという、地道な作業の繰り返しに忙殺されている。
最初はティオも、鍋や水差しを運んだり、封印用紙を張りつけたりと、レミーナを手伝っていたのだけれども、さすがにラムス商会の店員さんたちの方が手際がよく、というかティオの手際が悪すぎて、たまには一人で遊んでおいでと、ラムスに小銭を握らされて、町へ放り出されてしまった。
日暮れ過ぎ。
ティオはいつもより遅れて、ラムス商会に帰ってきた。
……ここんとこは、レミーナの作業があるので、二泊三日でラムス商会にお泊りだ。
「ダメでしょー、ティオ。夕食までには戻ってこなくっちゃ。ラムスさんに悪いじゃない」
「す、すみません。町で知り合いに会ったので」
ラムス商会の食堂。
レミーナ、そしてラムスとその祖父の大ラムス(代々ラムスという名前なのだ)はすでに食事を終えて、食後のお茶を飲んでいる。
ティオはそそくさとテーブルにつき、自分の分を食べはじめる。
皿のシーフードシチューは、まだ熱かった。
「あれ?」
ティオは、不思議そうにレミーナを見る。
どうやらレミーナが、皿に火の魔法を掛けたらしい。
レミーナは何でもないっていう顔だ。
「ありがとうございます。レミーナさん」
ティオは、ニコニコと、シチューを食べ始める。
……レミーナさんて、性格はキツイけど、悪い人じゃないんだよなー。とか思いつつ。
「それからねもう一つ、ティオにいいニュースがあるわ」
「なんですか?」
「カリスの村に怪物退治に行くわよ」
ティオは、一瞬なんのことだかわからず、ついで理解してから、思いきりむせた。
「ゲーホゲホゲホ」
「そんなに喜ばなくったって、いいんじゃない?」
「驚いたんだと思うなー」
「ワシもそう思う」
と、これはラムスと、大ラムス。
ラムスはニコニコしながら、こう言った。
「レミーナちゃんから、ティオ君はずいぶんカリスの村のことを心配しているって聞いてたから、カリス村の方から来た人に聞いてみたんだよ。事件はつい最近のことだし、しかも怪物退治を名乗り出る人がいなくて、困ってるらしい。なにせ怪物一匹に対し、賞金が14シルバーなもんだからね」
「14シルバーですか?」
ティオは、自分の実力とは関係なく、困っている人がいれば、手助けしたいと思うタイプだ。もちろん、賞金の額なんて、関係ない。
だけど、怪物退治で14シルバーっていうのが非常識に低いことぐらいわかるし、それにいくらなんでも14シルバーでレミーナが目の色を変えるとも思えない。
……いや、これはティオの買かぶりでしかない。レミーナは、たとえ1シルバーでも、目の色を変えるときは変えるのだ。
それはともかく、ティオは感動した。
お金第一のレミーナが、儲けを度外視して、村人を助けに行こうと言ったと思ったからだ。
「よほど貧しい村なんですね。レミーナさん、行きましょう。ボクたちに怪物退治ができるとは思えませんが、行けば何かできることがあるはずです。そうなんでしょう?」
レミーナは、意外そうな顔をした。
「あら、私は怪物を退治して、一儲けするつもりよ」
「え? 怪物退治、するんですか? ボクたちだけで? 14シルバーで? 旅費の方が高くつくでしょ?」
「大丈夫よ。私の魔法力も、めきめき成長してるから、ティオはサポートしてくれればいいわ。それにね……」
レミーナは、瞳にシルバーの輝きを満たして、にっこり笑った。
「……怪物は、1000匹くらいいるんですって」
ティオは、硬直した。
脳裏に、1000匹の怪物に囲まれて悲惨な最後を遂げる自分の姿が、まざまざと浮かんだ。
ついでにレミーナの脳裏には、14000シルバーの怪物に囲まれてほくほくしている彼女の姿が、浮かんでいるに違いないと、ティオは確信した。
そんなティオにはおかまいなしに、レミーナは話し続ける。
「経費として旅費と滞在費がかかるんだけど、問題は何日滞在しなきゃならないかよねー。カシス村が食事と宿を提供してくれるんだといいんだけど」
独り言のように経費と収入の計算を始めたレミーナの隣で、ティオは食事も忘れて、真っ白になっていた。
意識を飛ばしたまま、レミーナやラムス×2の顔を順番に見つめる。
ラムスも大ラムスも、ニコニコしている。
……なんで?
ティオには、レミーナやラムスたちが何を考えているのか、さっぱりわからなかった。
なにせ、山へ行けばサルに襲われ、森へ行けば遭難しかけ、古屋敷へ行けばいもしないオバケに恐がって震えるしかできなかった(これはティオだけ)、2人である。
ティオがオーサ家の食客になってからずいぶんになるが、いまだに、レミーナがどんなに自分と一緒なら大丈夫だと保証しても、オーサ家の地下迷宮にすら、入ったことがないのだ。
……大昔、魔法ギルドの学生の訓練や試験のために使われていた、練習用の怪物がいる迷宮である。
どういう仕組みになっているのかはわからないけれども、餌を与えなくても、常に一定数の怪物が、適度にうろつくようになっているし、しかもその怪物たちは、迷宮の宝箱に被害を与えないよう、条件付けがなされている。
そのため、レミーナは迷宮を、宝物庫として利用していた。
……宝物庫といっても、オーサ家にはたいしたものは残っていないが、それでもそんなこととは露知らぬオーサ家の財産目当ての胡乱な連中は引きも切らず、ミリアやレミーナを騙して何か出させようとする者だけでなく、断もりなく入り込んで持ち出そうとする者も多く、これがまたとっつかまえても「勇者なんだからいいじゃないか」などと開き直るため、それなりの対策として、怪物のいる迷宮を、重宝に使っているというわけだ。
そして胡乱な連中に「マジックアイテムが欲しい本物の勇者なら、本物の迷宮で本物の怪物を倒してね」と告げ、さらに「入場料は、100シルバーです」などと言ってやれば、9割方は尻尾を巻いて逃げ出すし、残り1割のうちの9分までは迷宮に挑戦してから逃げ出した。
胡乱な連中の中には、一応の腕だけはある戦士もいる。だけど、魔法使いの訓練用に用意された怪物たちは、魔法攻撃でないと倒しにくいのがそろっているため、魔法が使えないと、かなり厳しい状況に陥るのである。
そして……現在のルナの、魔法ギルドにさえ魔法使いがいない状況では、胡乱な連中の中に腕のいいフリーの魔法使いがまぎれ込んでくる心配は、ほとんどないというわけだ。
入場料は、丸儲け。
ただし、たった一度だけ、レミーナが留守の時、自称「絶滅寸前の希少主族ピクシー保護活動家」なる人物が、この迷宮をあっさりクリアし、オーサ家の貴重なマジックアイテムを、ごっそり持っていってからは、マジでたいした物は残っていない。
ついでにピクシーというのは、絶滅寸前どころか、すでに絶滅した種族であり、レミーナが知っているかぎり、偶然水晶の中に封印されていたヤツが一人、テミス近くのオーサ家の崩壊寸前のボロ別荘で隠れ住んでいるきりである。
結局、その保護活動家一人のために、このアイデアの収支は赤字に転落したけれども、だけどまあオーサ家の資産の中では、地下迷宮と怪物は、維持費がかからなくて、役にたつ部類に属するといえよう。
それはそれとして……。
ラムスは、行っちゃってるティオの肩を、ポンポンと叩いた。
「大丈夫だよティオ君。たった14シルバーの賞金しかかかってない怪物が、そんなに強いわけはなんだから。ハイリスク・ハイリターン……つまり、危険な仕事で大きく儲けようっていうのは、いくらなんでも薦めない。強敵一体と戦うより、雑魚を沢山やっつけて、実力をつけるのが先決さ」
ティオは我に返って叫んだ。
「実力ってなんですかぁ。実力ってぇ。ボク、怪物退治の実力なんて、身につけたくないですよぉ」
レミーナが、ちょっと難しい顔をして、小首をかしげた。
「なにいってるよの。実力っていったら、もちろん私の場合魔法使いとしての実力、ティオの場合神官としての実力に決まってるでしょ」
「え?」
「ティオ。あなたヴェーンに来てから、神官の力が、全然伸びてないでしょ?」
「ええ、まあ」
「このままじゃ、将来フリーの神官として、やってけないわよ」
「僕は、仕立て屋の方が向いていると思うけどなー」と、これはラムス。
「あのー、ボク、アルテナ神団の神官なんですけどー」
ティオは本来、神殿をヴェーンに建立し、正しい神の教えを広めるという使命を、アルテナ神団から受けて派遣された、神官である。
その使命を果たすまでは、おめおめ神団には帰れない、という決意で、ヴェーンにやってきた。
もっとも、そのことを覚えているのは、当人のティオと、絶対反対の立場を取るレミーナだけで、人々にはティオのことを、素直で人のいい男の子としか、思っていない。
あるいは、一番にレミーナの子分、二番に腕のいい仕立て屋、やっと三番に一応は神官というところだろう。
どんな村にでも町にでもあるというアルテナ様の像に祈れば、完璧な癒しを得ることができるこのルナで、不完全な癒しの祈りしかできないティオの、神官としての力が必要とされることは、まずないといってもいい。
レミーナは、ずいと自分の顔をティオに近づけた。
「それは無理ね。だって私、ヴェーンのアルテナ様の像を、神殿の中に囲い込んで、祈るたびに料金を取るなんてこと、絶対にさせる気がないんですもの」
ズドーンと落ち込むティオを、一応ラムスは、励ました。
「まあまあティオ君。レミーナちゃんはレミーナちゃんなりに、ティオ君の将来のことを、考えてるんだから。ね」
ティオは一応、最後の無駄な抵抗をする。
「怪物退治で、なぜ神官の実力が伸びるっていうんですかー」
もちろんレミーナは、さっぱりきっぱりニッコリ元気に宣言した。
「だって、人助けじゃない」
ティオは釈然としないものを感じたけれども、それ以上反論することはできず、そのままレミーナがメリビアでの仕事を終えた後、2人はカリスへと出発したのである。
ラムスの紹介で、カリス方面からメリビアへ作物を売りに来た農夫の帰りの馬車(スピードは、徒歩と変わらない)に便乗させてもらって3日、徒歩で半日。
ごく平凡な、ルナのありきたりな農村が見えてきた。
まず村長を訪問する。
村長の家で、最初に応対に出てきた太ったオバサンは、レミーナとティオを胡散臭げにジロジロ見まわした。
そりゃ、そうだろう。
「怪物退治に来ました」と言う14才の女の子と13才の男の子を、はいそうですかと受け入るのは、このルナ広しといえど、ヴェーンのミリアぐらいのものである。
「怪物退治は子供の遊びじゃない。忙しいんだから、帰った帰った」
オバサンは、かったるそうに、こう言って、シッシと二人を追い払うしぐさをする。
レミーナだって、自分たちがもろ手を上げて歓迎してもらえるとは思っていない(なにせ、そういうのを度々追い返す立場にいるのである)が、だからといってこの態度にムカッと来ないわけではない。
「メリビアから3日もかけて来て、はいそうですかと帰れるもんですか。とにかくあなたじゃ話にならないわ。村長に、ヴェーンのレミーナ・オーサが来たと伝えなさい」
「レミーナさーん」
堂々と胸を張ってそう次げるレミーナの隣で、もちろんティオはオロオロしている。
オバサンは、そう聞いても、投げやりにフンと鼻を鳴らしただけだった。
「ヴェーン? オーサ?」
レミーナの言ったことを、まるきり信じちゃいないということを、隠そうともしなかった。
さてここで、このオバサンが、なぜメリビア経由で、徒歩で4日半しか離れていないヴェーンのことを知らないのかと、不思議に思う向きもあるだろう。
ところが、電話もなければ電車もなく、おまけにちゃんとした地図もなく、ノロノロと馬車が通れる道すでに立派な街道というルナでは、徒歩3日が知ってる範囲のボーダーライン。
そこから先となると、航路や街道に接したメリビアのような大きな町が噂として知られるだけで、カリス村や、ヴェーンのような、街道にも面していない村や町のことなど、行商人でもなければ知りもしない。
一方ルナの人々にとって、ヴェーンやオーサの名は、子供のころ瞳輝かせて寝物語にねだる物語に、必ずといっていいほど登場するのだ。
レミーナは、ちょっと困った顔をして、ポリポリと自分の髪を、かきむしる。
あまり「黙っていさえすれば美少女」には、ふさわしくないしぐさだけれども、オバサンから見れば、自分たちが「伝説かぶれのお子様二人」にしか見えないことは、よーくわかっていたからだ。
それでもオバサンが、二人の目の前でピシャリと扉を閉めてしまわなかったのは、ティオの神官服の威力である。
レミーナの魔法使いの服など、今のルナでは変な服でしかないけれども、神官服はどこでも通用するルナ全土共通の身分証となる。
女神が実在する世界では、偽魔法使いや、偽勇者ならともかく、偽神官は存在し得ないからだ。
レミーナは、しかたがないと指を一本立てる。
そして小さく呪文を唱え、小さな炎をその指先に出現させた。
オバサンは、またも鼻を鳴らす。
ルナでは、魔法の一つも使えない方が、珍しい。
レミーナは、呪文を唱えてもう一本指を立て、その指先に小さな青い光を出現させた。
オバサンは、オヤ? という顔をする。
生まれつきの魔法は、一つきり。
他の魔法を覚えるには、特別な素養と修行が必要となる。
レミーナはさらに呪文を唱えて、三本目の指を立て、その指先に小さな無数の氷の結晶が、くるくると舞うエリアを出現させた。
オバサンはすでに、どんぐり眼を見開いている。
たいした魔法ではないけれども、レミーナは、ルナの一般常識を超える魔法を越える魔法を使って見せて、自分が魔法使いであることを、証明しようというわけだ。
ヴェーンにやってくる、レミーナを見くびる偽勇者たちの前でよくやってみせる、デモストレーションの一つである。
だけどオバサン、レミーナの魔法にはそこそこ驚いたものの、魔法を3つも使えるということが、どれくらいスゴイことなのかについては、知らなかったらしい。
「それが、どうしたってのさ」
常識を知らない相手に、非凡なことをして見せたって、その違いはわからない。
レミーナは、ウーンと唸ってから呪文を紡ぎ直し、その手を真横に突き出した。
とたんに火と氷の魔法が消え、光の魔法が昼なお煌々と輝きだす。
光球は等身大ほどに膨れ上がり、白い光の人型の姿となったとたん、新たに現れた赤い光の竜に飲み込まれ、それを急成長する緑の光のツタが覆い隠し、その合間に現れた黄色い光のツタの実が膨れ上がってツタに置き換わり、そしてひときわ強く輝きながら多数の小さな光球に分裂し、四方八方に飛び散って……消えた。
もちろん、これほど変幻自在に扱える天然の魔法なんてのはなく、レミーナの才能と修行の賜物ではあるけれども、火や氷の魔法と比べれば扱いやすい、実態のない光の魔法を一ひねりした、見かけだけのいわばコケ脅しである。
だけど、この方がオバサンには効果があったようだ。
最後の光球がとびちるところで、オバサンは尻餅をついていた。
「村長に、取り次いでくれないかしら?」
オバサンは、コクリと頷いた。